第8話
『やまびこ亭』をあとにしたライルとリリィは近くの神殿に立ち寄り、山賊たちの弔いをお願いした。
もちろん、リリィの神官衣は新しいものに取り換えられている。
ライルの荷物の中に入っていた替えの神官衣だ。
リリィには多少大きいが、血まみれの神官衣よりははるかにマシだった。
「リリィさん、あなたはいったい何者なんです?」
神殿をあとにして、ラバの地への旅を再開した直後にライルはそう尋ねた。
すでにリリィがただのイシス教徒でないことぐらいわかっている。
彼が目撃した数々の奇跡─中には奇跡と呼べないものもあるが─それはカルドであるライルの理解の範疇を超えている。
死んだ者を生き返らせるなど、聖女シルビアの伝説そのものだ。
リリィは、「ふう」とため息をついて立ち止まった。
「わかりました、すべてお話しましょう。お察しの通り、私はリリィではありません。本当の名前をシルビア・ロックビルと申します。魔王と戦った一人です」
「やはり、そうでしたか…」
彼女の言葉に、ライルは膝が震えるのを感じた。
想像はしていた。
しかし、本物だと本人の口から言われると、立っていることすらできないほどの緊張感が走る。
「それが、なぜ偽名を…?」
震える声で尋ねると、シルビアと改めて名乗った彼女は答えた。
「私がシルビアであると知られたくないからです」
「どうしてですか? 聖女シルビアは国の英雄です。神のごとき存在です。あなたはピュアラの人々の希望と誇りでしょう?」
「それがいけないのです」
彼女は首を振った。
「私はみなさんが思うような善人ではありません。たまたま生まれ持った能力が人々の傷を癒せるというだけで心は普通の人間なのです。決して神ではありません」
「神でなくとも、あなたのような能力はとても素晴らしいことです。現に、今朝も3人の家族を救ったじゃないですか」
「逆に、多くの命も奪いました」
シルビアの悲しげな表情を見て、ライルはハッとした。
なんとなくだが彼女の言わんとしていることがわかる。
「聖女、という肩書きが重すぎるのですね」
「善と悪の区別はつくつもりです。悪は絶対に許してはなりません。ですが、私は悪に対する憎しみが人より強いのです。ともすれば、先ほどのように…」
「鬼神のごとく暴れまわる、と」
なるほど、とライルはうなずく。
確かに、山賊を蹴散らしたあの戦いぶりは“聖女”とはかけ離れたものだった。
仮に聖女シルビアが人々の前であれほど暴れまわったならば、ある意味、逆の伝説が国中に広まるであろう。
“破壊神シルビア”と。
そして、それはこの国に混乱をもたらす恐れがある。
「法王様は、それを危惧して私をカルドの任から外されました。そして、私もそれを望みました。二人の利害が一致したのです。今ではリリィという偽名で影ながら法王様を支えております」
「それで、あなたとともに行くよう法王様がおっしゃられていたのか」
今まで抱いていた疑問が次々と氷解していくのを感じた。しかし同時に、なぜ最初からそのことを言ってくれなかったのかと憤る。
シルビアは、ライルの心中を察して言った。
「このことを知っているのは、法王様だけです。枢機卿の方々ですらこのことは知りません。万が一のことを考えてのことです。そのせいで根も葉もない噂だけが飛び交っているみたいですが、法王様は一向に気にされておりません。偉大なお方です」
ライルは法王が自身の地位を守るため聖女シルビアを追放したという噂を思い出した。
しかし、それはまったくのでたらめだった。
むしろ逆である。彼は、聖女シルビアの清廉さのイメージを守るため、あえて自分を悪者にしているのだ。
ライルは、法王の心の広さと国を思う心の深さを痛感した。
「では、ラバの地で聖女シルビアが村を焼き払ったというのは……」
「おそらく、私の名を語る者の仕業でしょう」
その言葉に息を飲む。
それはそれで、大変な事態だ。
せっかく法王が自身の立場を悪くしてまで聖女の清らかさを守り通しているのに、これでは彼女の悪い噂が広がりかねない。
カルドという地位を捨て、行方をくらましたことがかえって弊害となっている。
「急ぎましょう、リリィ……シルビア様」
「リリィでけっこうです、ライル様」
確かに、道中でシルビアと呼んでは姿を隠している意味がない。
「では、リリィ様」
「様もいりません、いつも通りで」
「ですが……」
「あなたはカルド、私は旅の巡礼者。その立場をお忘れなく」
「わかりました、リリィさん」
ライルはこくりとうなずくと今までと同じ呼び方をした。
「はい、参りましょう。ライル様」
二人は、ラバの地へと急いだ。
※
陽が傾きかけた頃、ようやくライルとシルビアはラバの地へ到着した。
いくつかの峠道を超え、深い森にさしかかると急にひらけた場所に出た。
それは、開拓して広がったのではない。
大規模な山火事により、森の一部が消失したのだ。
二人の目の前には黒く焼けただれた木々の光景が広がっていた。
「これは、
すでに煙こそ上がってはいないものの、その火事の勢いはすさまじいものだったと想像できる。
「……」
シルビアは目をとじ、何事かをつぶやいた。
「リリィさん、どうかしたんですか?」
ライルの問いかけに、彼女はうっすらと瞼を開ける。
「森の精霊ドライアードに尋ねました。やはり、この火事は人為的なもののようです」
そんなこともできるのか、とライルは目の前の聖女を感嘆しながら眺めていた。
「残念ながら、村人は全滅のようですね」
そう言いながら、彼女は手にしたメイスをかざし祈りを捧げた。
聖女シルビアの心からの弔いだ。
死んでしまった村人たちも、少しは救われるだろう。
「聖女シルビアの偽者の所業、ということで間違いないのですか?」
「ドライアードによると、この地にやってきたのは北のはずれにある神殿の人間ということです」
「北のはずれ?」
ライルは首を傾げた。
そのような場所に神殿などないはずだ。
少なくとも中枢院に届けが出されている全国各地の神殿の中に該当するものが思い浮かばない。
彼には、数百あるすべての神殿の場所が頭に入っている。
「ということは、無許可の神殿ということでしょう。リリィさん、いよいよこれは間違いないようですね」
「いかがいたしましょう」
ふむ、とライルは腕を組んだ。
「相手がシルビア様の偽者ということであれば、考えがあります」
「その考えとは?」
「まあ、見ていてください。今日はもう日が暮れています。また明日にしましょう」
自信満々の笑みを浮かべるライルに、多少不安そうな顔を見せながらもシルビアは
「お手並み、拝見いたします」
と言った。
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