第7話

 リリィは困ったような表情でライルに目を向けた。

 身体中には大量の返り血を浴びている。真っ白なイシス教の神官衣が赤く染まるほどだ。

 手にするメイスの先端からは、ポタポタと赤い液体がしたたり落ちていた。


「……」


 唖然とした顔で彼女を見つめるライルを無視して、リリィは壁中が穴だらけの崩壊した『やまびこ亭』の中へと入って行った。


「リリィさん」


 慌ててライルも後を追う。


 中のロビー兼食堂は、外と同じほど酷い有様だった。

 床板がいたるところで踏み抜かれ、陥没している。

 きれいな調度品が散乱し、足の踏み場もない。

 そして、散乱した調度品がかぶさるように多数の屍があたりを埋め尽くしていた。

 この無残な死体も外と同様、原形をとどめていなかった。


「うっ」


 仕事柄、悲惨な遺体には遭遇することが多いライルだが、思わずその異臭と惨状に目を背ける。

 リリィはそんなライルには目もくれず平気な顔をしてつかつかと奥へとすすみ、ぺたんと床にへたり込むアンナの側へと向かった。

 目の前で両親が殺され、多くの山賊たちが叩き潰されるのを目撃した幼い少女の心は崩壊寸前であった。


「……」


 目を見開いたまま、目の前の光景を放心状態で凝視している。リリィがそばにいることにも気がついていない様子だ。

 リリィは、そんな彼女に悲しげな瞳を浮かべると手を振りかざした。


「安らぎの精霊よ、この少女の記憶を消し去りたまえ。そして、安らかな眠りを」


 ぽわっとオレンジ色の光が輝くと、放心状態の少女の身体を包み込んだ。


「はぅ……」


 その光を浴びたアンナは、瞬時に深い眠りに落ちて行った。


 その時、ようやく気分を取り戻したライルが散乱した山賊たちの屍を避けながら近くにやってきた。


「これはひどい…」


 彼は足元に転がるマッシュとマーサの遺体を見るとそうつぶやいた。

 今朝まで、あんなに元気だった姿が見る影もない。

 剣で斬り殺されたのか、身体中から血を流して絶命している。

 マッシュにいたってはそこらじゅうに剣で突かれたあとがあった。


「せっかく、病気のマーサさんが治ったというのに…」


 ライルは目を閉じ、静かに祈りを捧げた。


「せめて、安らかに女神イシス様の元へと召されますように」


 祈りを捧げるライルに、リリィは横から声をかけた。


「まだ、間に合うかもしれません」

「……え?」


 ライルは祈るのをやめ、彼女に目を向ける。


「間に合う?」

「少し、下がっていてください」


 そう言うと、リリィは跪いて床に倒れるマッシュとマーサに両手をかざした。


「再生の女神イシス様、どうかそのお力を」


 そう言うと、口元で何かをつぶやきだした。ライルも聞いたことのない言葉だった。


(古代魔法か?)


 そう思った瞬間、彼女の手から青白い光が輝きだした。

 今まで見たオレンジ色の光とは違う、力強いまぶしいほどの光だ。

 その光は、強烈な輝きを発しながらマッシュとマーサの身体に吸い込まれていった。

 バチバチと火花のような閃光が巻き起こると、ライルは信じられないものを目にした。


 みるみる床に倒れるマッシュとマーサの傷口がふさがれていく。

 血が止まる、というのではない。完全に修復されていくのだ。

 まるで、そこに何もなかったかのように完全に元通りになっていく。


「こ、これは…!!」


 さすがのライルも腰を抜かした。この目で見ても信じられない。

 そして、さらに信じられないことが起きた。


「ごふ!!」


 死んでいたはずの二人が息を吹き返したのだ。

 彼らは口内にたまっていた血を吐きだすと、うつろな表情で目を開いた。


「な、な、な……」


 ライルはペタンと床にへたり込みその光景を眺めている。


「……?」  


 マッシュとマーサはわけがわからないという顔で起き上がった。


「あなた…?」

「マーサ、お前…」


 きょとん、としながらお互いに顔を見合わせている。

 彼らに手を振りかざしながらリリィはホッとため息をついた。


「よかった、間に合いましたね」


 自分たちに手をかざすリリィの姿に気づいた二人は、慌てて立ち上がった。


「なんだ、なにがどうなっている!?」


 足元には、寝転んで寝息を立てているアンナの姿がある。

 宿屋のロビーは崩壊し、山賊たちの屍が散乱していた。


「これはいったい…」


 驚愕の表情を浮かべるマッシュとマーサにリリィは申し訳なさそうに謝った。


「すいません、少々やりすぎてしまいました」


 全身返り血を浴びている彼女の姿に、二人は目を見張る。


「もしかして、あなたがこれを…?」

「はい…。壊した分は弁償を…」


 リリィの言葉を遮るようにマッシュは手を振った。


「いえいえ、弁償だなんてとんでもない! それよりも、あなたが山賊を相手に戦ったのですか?」


 マッシュにはとても信じられなかった。

 相手は凶悪な山賊だ。

 一般の人間が戦って勝てるような輩ではない。ましてやイシス教の神官衣を着た女性が。


「ある程度の戦いは心得ておりますので」とリリィは答えた。

 “ある程度”では済まないことをライルは知っている。

 彼女の戦いぶりはまさに人間業ではなかった。


「信じられませんが、目の前の惨状を見れば信じざるを得ませんね」


 マッシュは釈然としないながらもそうつぶやいた。

 それよりも、疑問に思うことがある。

 自分たちはその山賊たちに殺されたはずだ。

 それなのに、なぜか生きている。


「一つ伺いたいのですが、私たち死んだはずでは…」


 おかしなことを言っているのはわかる。

 人生において、本気でそのセリフを吐く人間はいない。何を言っているんだと自分で思いながらもマッシュは尋ねた。

 目の前で息絶えたマーサも、傷跡がまったく見られない状態で生き返っている。


「蘇生の魔法を唱えました。亡くなられた直後だったので間に合いました」


 リリィはたいしたことではないといった感じで答えた。


「蘇生の魔法、ですか……」


 通常であれば「何を言っているんだ」と笑われそうな言葉だが、信じざるを得ない。

 実際、自分たちは生き返っているのだ。


「娘さんにはこの数時間分の記憶を消しておきました。目覚めても、あなた方の身に起こったことは忘れているでしょう」


 静かに寝息を立てているアンナに優しい笑みを浮かべるとリリィは言った。


「近くにイシスの神殿がありますので、彼らにこの方たちの埋葬をお願いしておきます。あなたがたは、この子とともにしばらく別の町か村で骨を休めてください」


 その言葉に、マッシュは深々と頭を下げた。


「ほ、ほんとうに何から何までありがとうございます。あなた様がいなかったら、アンナもともに殺されていたことでしょう。あなたは、私たち家族の命の恩人です」

「ほんとうにあなたは女神様のようです」


 マッシュとマーサが心から礼を述べると、リリィは微笑みながら「イシス様の加護があらんことを」と祈りを捧げた。

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