第3話

 水の国ピュアラは横に大きく広がった楕円形のような形をしている。

 その真ん中に首都ミュッヘンが存在し、そこを中心に網の目のように街道が伸びている。ラバ地方は、その街道を西にいった先、ミュッヘンからもっとも離れたピュアラのはずれにあった。

 山岳地帯が多く交通の便には不向きな土地だが、温暖で自然豊かな場所である。


 ライルとリリィがともに旅立ってから、およそ10日あまり。

 起伏の激しい山道を歩きながら、ライルは大きく息をついていた。さすがに、身体中が痛い。

 怪しまれぬよう旅の巡礼者を装って普段乗り慣れている馬を使わなかったことが災いした。

 白いイシス教のローブも歩きづらい。


 しかし、前を歩くリリィは息切れ一つしていなかった。

 どういう体力をしているのだろう。

 旅には慣れているはずのライルも、彼女の底知れぬ身体能力には舌を巻いていた。


「……はあ、はあ、はあ。リ、リリィさん。少し休みませんか」

「疲れましたか?」

「もう歩けません。足がパンパンです」


 ライルの言葉に、リリィは申し訳なさそうな顔をして言った。


「すみません、私の歩く速度が速かったようですね」

「いえ、そんなことは…。これは私の運動不足が原因です。やはり普段から歩かないとダメですね…。馬ばかり使っていましたから…」


 素直な彼の言葉に笑みを浮かべると、リリィは前方を見据えた。

 遠くに一軒の旅の宿が見える。


「あそこに旅の宿がありますね。あそこで休みましょうか」


 少し明るいが、二人はそこで宿をとることにした。

 山岳地帯の多いこの地は、ところどころにこういった旅の宿が点在している。


「ごめんください」


 木の板で建てられた簡素な建物。一見、民家のような造りだが、『やまびこ亭』という看板がぶらさがっている。入り口付近で声をかけると「はぁい」という声が中から聞こえてきた。

 木製の扉を開けて出迎えてくれたのは、幼い少女だった。

 思わず、二人は目を見張る。


「いらっしゃいませー。お泊りですか?」


 少女の言葉に戸惑いながらライルは言った。


「あ、あの…、宿を取りたいのですが」

「かしこまりました」


 少女はニッコリ笑って扉を大きく開けた。


「どうぞ」

「………?」


 訝しく思いながら中に入る。外見とはうって変わって中は装飾品がほどこされたきれいなロビー兼食堂が広がっている。

 客は誰もいないようだ。


「こちらにご記帳をお願いします」


 カウンターごしに帳簿を差し出される。ライルはそこにサインしながら少女に尋ねた。


「ここには、君ひとりなのかい?」

「ううん。ママがいます。でもママ病気で寝込んでいるから、今パパがお薬をもらいに行ってます。だから、そのあいだ私が店番してるんです」

「そうなんだ、えらいね」


 幼いのにしっかりしているなとライルは思った。


「パパ、もうじき帰ってくるからそれまで待っていてください」


 食堂のテーブルをすすめられ、そこの椅子に腰かけるとお茶が運ばれてきた。


「どうぞ。粗茶ですが」

「ありがとう。難しい言葉も知ってるんだね」


 二人は温かい湯飲みを受け取ると、中のお茶を口に含んだ。旅の疲れが癒される優しい味わいだった。


「ママがご病気って言ってたけど、どこか悪いのかい?」


 ライルが尋ねると少女はうなずいた。


「うん。お熱が出たり、ゴホゴホ言ったりしてる。でも、今日は大丈夫みたい」

「そうなんだ、心配だね。それはいつからなのかな?」

「わかんない。だいぶ前から」

「だいぶ前?」

「2、3年前からってパパが言ってた」


 どこか寂しげなその表情に、ライルはいたたまれない気持ちになった。

 どう見ても5才くらいの女の子だ。

 ということは物心がつくころからこの子の母親は病気で寝込んでいることになる。

 まだ、いっぱい甘えたい年頃だろうに。


 その時、二人の会話を聞いていたリリィが湯飲みをテーブルの上に置いてゆっくりと立ち上がった。


「少し、見させていただけませんか?」

「リリィさん?」


 ライルが困惑した表情を向ける。


「何かお力になれるかもしれません」


 しかし、少女は頭を振った。


「でも、パパがお客さんには誰にも会わせちゃいけないって……」

「大丈夫です、少し見るだけですから」

「……でも」

「パパが帰ってくる前にすみますから」

「……うん、じゃあ」


 少女はコクリとうなずくと、二人を建物の奥の部屋へ案内した。

 薄暗く、静かな通路。

 その通路の突き当り、部屋の扉の前へ来ると少女は小さくノックした。


「ママ、いい?」


 そう言いながら扉を開けると、痩せこけた女性がベッドの上で横になっていた。


「ママ……」

「アンナ、ここにはあまり近寄らないでって何度も……」


 横たわる女性が言葉を紡ごうとした瞬間、続けて入ってきたライルとリリィに気が付き慌てて毛布を口元へと引き寄せた。


「あ、これはいらっしゃいませ」


 困った顔をして少女に目を向ける。少女はモジモジとうつむいていた。


「お見苦しいところをお見せして申し訳ございません。大変失礼ですが、あまり私に近づかない方が……」

「大丈夫です、私がこの子に頼んだのです。少し見させていただくだけですから」

「あの、あなた方は……?」

「旅の巡礼者です」


 言いながらリリィはつかつかとベッドに横たわる女性に近づき、その額に手を置いた。


「………?」


 きょとん、としながら女性はリリィを見つめる。

 彼女は口元で何かつぶやくと、淡い光が手の平からあふれ出てきた。


「……!?」


 その場にいる全員が目を見張る。まぶしくはない。優しそうなオレンジ色の光だ。

 その光は、優しく女性の身体を包み込んだ。


「これはいったい……」


 ライルがつぶやく。

 こんな光、見たこともない。

 しばらくして、その淡い光は消えた。

 リリィは何事もなかったかのように女性に言った。


「再生の女神イシス様に祈りを捧げました。よくなるといいですね」

「……は、はい」


 女性はよくわからないといった表情で彼女を見つめる。心なしか顔色がよくなっている。


「リリィさん、今のは……?」


 ライルが尋ねる。


「お祈りです」

「いや、お祈りであの光は……」


 枢機卿の捧げる祈りでも、あのような輝きは見たことがない。


「あなたはいったい……」


 ライルの問いを無視して、リリィは食堂に戻っていった。

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