第4話
ライルは、どうも腑に落ちなかった。
リリィという女性、どう考えても普通ではない。いや、見た目はいたって普通なのだ。巨大なメイスを杖がわりに歩いているのは別にして。
この長旅で彼女の疲れた表情はおろか汗をかいている姿を見てもいない。
野宿は平気そうで、たき火をしながら横になるとすぐに寝てしまう。
食事もそれほど必要としないようで、乾パンをほおばる程度ですましてしまうこともあった。
ここまではいい。そういう人間も中にはいるだろう。
しかし、謎の光を手から放っていた。あのような現象は誰しもができるものではない。
いったい、彼女は何者なのか。
法王とつながりがあることは確かなようだが、いまいちわからなかった。
訝しく思いながら、食堂のテーブルに置かれたお茶をすする彼女を眺めていると宿屋の少女アンナが近づいてきた。
「ん?」
モジモジしながらライルを見つめている。
「私に何か用かい?」
「あの……聞きたいことがあるんですけど」
「なんだい?」
「おじさんって、この人と夫婦なんですか?」
その言葉に、リリィは「ぶほっ」とすすっていたお茶を吐き出した。
「きゃ」と、アンナが反射的にライルにしがみつく。
「けほ、けほ。ごめんなさい……」
ライルはむせ返るリリィの姿をはにかみながら眺め
「どうして?」
と尋ねた。
「お部屋を分けた方がいいのか聞きたくて……」
「ああ、そういうことか。残念ながら私たちは夫婦ではないよ」
ライルは皮肉を込めて「残念ながら」の部分を強調して言った。
その言葉に、リリィはギロリとライルを睨み付ける。
「じゃあ、恋人同士?」
「それも違うよ。私と彼女はなんの関係もない。だから、部屋は別々にしてくれないかな」
アンナは納得のいかない顔をしながら「うん、わかった」と答えた。
「でも恋人でもないのに一緒に旅をしてるなんてへんなの」
そう言い残して、その場を去っていく。
「はは…」
ライルは乾いた笑い声をあげ、リリィを見つめた。彼女は、恥ずかしそうに視線をそらす。
「……」
気まずい空気の中、二人は湯飲みに残ったお茶をチビチビと飲んでいた。
その時、入り口の扉が開いて一人の男が姿を現した。
「ただいま、アンナ。今帰ったよ」
「パパ!!」
奥の勝手口からアンナが飛び出して、入り口に現れた男に駆け寄っていく。
この宿屋の主人マッシュであった。
ガタイの大きな、善良そうな男である。
すかさず、ライルとリリィは席を立って頭を下げた。
「パパ、お客さんだよ」
アンナの言葉に、マッシュも頭を下げた。
「あ、これはこれは。いらっしゃいませ」
手にした紙袋をカウンターに置く。
アンナはその置かれた紙袋の中を覗き込んで言った。
「パパ、今日もお薬いっぱいだね」
「そうだね。アンナ、これをママのところまで持って行ってくれるかい?」
「うん」
彼女は紙袋を手にすると、そのまま奥の部屋へと走って行った。
それを見送りながら、マッシュが申し訳なさそうに謝った。
「どうも、お待たせしてしまったみたいですいません。なにぶん、家内が病気がちで一人で切り盛りしているものですから…」
「いえ、お気になさらず」
ライルが明るく振る舞う。
妻が病気で2、3年も寝込みながら一人で宿屋を営むのは並大抵のことではないだろう。
「すぐに、お部屋の支度をしてまいりますから少々お待ちを……」
帳簿につけられた名前と、アンナが指定した部屋番号を確認しながら鍵を用意する。
と、奥からアンナが駆けつけてきた。
「パパ、パパ!!」
「どうしたんだい、アンナ」
「ママが…ママが…」
「ママがどうかしたのか!?」
アンナの様子にただ事ではない雰囲気を感じ取ったのか、マッシュは「失礼」と言って奥へと走って行った。
ライルとリリィもすぐに後を追う。
さきほど案内された通路の奥、突き当りの部屋に入ると、不思議な光景が広がっていた。
寝込んでいたはずのアンナの母親が上半身を起こしてベッドに座っていた。
最初に比べてかなり顔色が良い。
「マーサ、お前……」
マッシュが信じられないといった表情で、その姿を眺めている。
ライルも目を見張った。
多少やつれてはいるものの、生気に満ち溢れている。青白かった顔が朱に染まり、輝くような笑顔を見せていた。
「あなた…。自分でも信じられないの。今までにないくらい気分がいいわ」
「ママ!!」
アンナがベッドに座る彼女に抱きついて歓喜の声を上げている。
「マーサ、本当に大丈夫なのか?」
困惑するマッシュに、マーサと呼ばれた彼女は言った。
「大丈夫よ、あなた。ウソみたいに身体が軽いの。そこの旅の方が私の額に手をかざしてお祈りをしてくださったからだわ。歩くこともできるかも」
リリィは微笑みながら答えた。
「あまり無理はなさらないでください。でも、元気になられてよかったですね」
何をしたのか、マッシュには知る術はない。
しかし、奇跡としか言いようがない。
これほど晴れ晴れとした妻の顔を見たのは数年ぶりだ。
マッシュは心の底からリリィに感謝の言葉を述べた。
「どなたか存じませんが、ありがとうございます…。本当にありがとうございます…」
感動のあまり声が震えている。
娘のアンナには伝えてなかったが、妻のマーサは余命数ヶ月の命だった。
医者からも見放され、二度と起き上がることはないだろうと言われていたのだ。
「まさに、神のおぼし召しです」
涙ぐむマッシュの姿を見ながら、やはりライルはこの光景に異常さを感じていた。
このマーサという女性がここ数分の間に起き上がれるほど回復したのは素晴らしいことだと思う。
しかし、このような奇跡は枢機卿の誰もができるわけではない。いや、できる者などライルが知る限り一人もいない。
常人では考えられない力が働いていると思わずにはいられなかった。
「あなたはまるで聖女シルビア様のようだ」
「!!!!」
マッシュが口にした言葉を、ライルは青天の霹靂の想いで聞いた。
彼としては比喩として使った表現であろうが、ライルにとってはまさにそれがぴたりと当てはまる言葉であった。
彼女が聖女シルビアであれば、法王の信頼が厚いのもわかる。この女性に施したのも、治癒の魔法と考えればつじつまが合う。治癒の魔法は見たことがないが、この現象はそれ以外考えられない。
だが、それならばなぜ聖女シルビアが“リリィ”という偽名を使うのか。
なぜ、カルドの地位を捨て、行方をくらませたのか。
仮に彼女が聖女シルビアであったとしても、それはそれで多くの疑問が残った。
「……ああ、わからん!!」
頭をクシャクシャに抱えながら首を振るライルを、リリィは静かに見つめていた。
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