第2話

 ライルは、法王のいる中枢院を出ると地図を頼りに示された場所へ向かった。

 極秘任務だけあって、そこはまさに人里離れた湖のほとりであった。

 常に濃霧が立ち込める、ピュアラでも有名な“神秘の湖”。

 その名前とは裏腹に、濃い霧の影響でひとたび迷い込めば二度と出られない危険な場所である。

 そんな死の湖のある一点を地図は示していた。


(こんなところに、人がいるのか?)


 コンパスで方角を確かめながら慎重に進む。一歩踏み外せば湖の中へ落ちてしまう。そんなギリギリの場所を歩きながら、ライルは濃い霧の中を進んだ。

 すると、真っ白いもやの先に、灯りが見えた。それはチロチロと揺れ動き、ライルを呼んでいる。

 あの世へといざなう死人の魂でないことを祈りながら、その灯りを目指す。


 近づくにつれ、人影が見えてきた。小柄な人物のようだ。マントのような物を羽織り、手で松明を振っている。女性のようでもある。

 ライルは目を細めながら、凝視した。


「こちらです」


 手を振る謎の人影が声を発した。やはり、女性のようだ。品のある、穏やかな声をしている。

 ライルは、足元に気を付けながらその人物の元へと向かった。


「はじめまして」


 最初にライルの目に飛び込んできたのは、巨大なメイスであった。

 背丈ほどもある柄の先端に、凹凸のついた球体が取り付けられている。人の頭ほどもあるその球体は、鋼鉄製なのか不気味に輝いている。

 その、見るからにおぞましいメイスを握っていたのは、それとは正反対の清楚な女性であった。


 銀色の長い髪の毛を頭上で結わえて、長いかんざしで止めている。

 色白で、黒い眉に黒い瞳が印象的なかなりの美女である。

 30代前後だろうか、細面に小ぶりな赤い唇が大人の雰囲気を醸し出していた。


「ライル様でいらっしゃいますか? リリィと申します」


 女性はそう名乗ると松明の灯りを消した。どうやら目印として点けてくれていたらしい。


「はじめまして、ライル・クレーバーです。すごいメイスですね」


 初対面の女性に対して何を言っているんだ、と思いながらも言わずにはいられなかった。


「ああ、これですか?」


 リリィはメイスを持ち上げながら言った。


「これは杖です」


 ニコリと笑いながら断言する彼女に、(それは通じないだろう)とライルは思った。

 そもそも、こんなに重そうな杖などあるはずがない。身体を支えるどころか、一緒に倒れてしまいそうである。

 しかし、彼女は杖であること以外認めようとしなかった。


「まあ、どちらでもいいですけど……」


 メイスか杖かという話は別にして、ライルは本題に入った。


「リリィさん、あなたが法王様に伝えたラバの山火事についてですが……」

「聖女シルビアの指示で、村人たちを皆殺しにした事件ですね」

「それは本当なんですか? この国の女神として名高い彼女が、そのようなことをするなど信じられないのですが」


 現地に赴く前にリリィがどのような過程でその情報を得たのか、それを知る必要がある。

 ライルは、半ば問い詰めるような形で彼女に尋ねた。


「本当です。といっても、私も直接見たわけではありません。村人たちの魂が訴えてきたのです」

「魂が?」

「死者の念、とでもいいましょうか。今回の事件のようにたくさんの人たちが非業の死を遂げた場合、その無念さが私の頭の中に伝わってくるのです」

「死者の念? あなたは霊媒師なのですか?」

「いいえ、違います。ですが、死者の言葉を聞く能力は、昔から持っていました」


 ライルは眉を寄せた。

 うさんくさいなんてものじゃない。

 よく聞く似非えせ占い師のにおいがぷんぷんする。

 法王がなぜ彼女の言うことを真に受けるのか、不思議でならない。


「でしたらもう一度、聖女シルビアに殺されたという村人たちとコンタクトをとってください。事実を確かめたい」


 ライルの言葉に、リリィは首を振った。


「それは無理です。死者の念は、死んだ直後にしか聞けません。女神イシス様の元へ召されたあとは、聞くことができません」


 ライルは「はん」と鼻で笑った。


「まるで、逃げ口上が上手なペテン師ですね」


 これみよがしに痛烈な批判を浴びせる。

 これほど重大な事案になっているというのに、その根拠はこの女が山火事の際に死者の念を聞いたからという言葉のみ。これでは話にならない。


「リリィさん、あなたが法王様とどのような関係なのか存じませんが、そうやって他人を陥れて取り入ろうとするのは感心しませんね。こういうことをしていると、いずれあなたの身を滅ぼしますよ」


 この言葉に、リリィの顔がピクッとひきつった。


「あらぬ誤解を抱いているようですが、法王様とは何もありません。あなたのその俗な考えこそ他者を陥れていることに気づきませんか? そうやって自分の世界でしか物事を計れない人間は器量を小さくしますよ」

「私は小さい人間ですか」

「少なくとも、私よりは」


 ライルはここに来たことを早くも後悔した。法王には互いに信頼せよと言われたが、信頼に足る人物とは到底思えない。


「わかりました、ここで言い争っていても無意味です。私はカルドとして法王様の命を受けておりますのでラバの調査には向かいます。ですが、あなたの手は借りません」

「そうは参りません。私はライル様とともに行くように法王様に言われています。一人で行くというのなら、あなたが法王様の命に逆らうことになります」

「………」


 リリィの言い分ももっともだった。ライルも、法王からは二人で行くように言われている。


(やはり、会わない方がよかった)


 大きなため息をつきながら、ライルはそう思った。

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