第47話 夕焼けは少しほろ苦い

 慧斗けいと乃愛のあがコーヒーと会話を楽しんでいる頃、店の一番奥の席に座っていた人物は二人の様子をチラ見しながらコーヒーセットについてきたカヌレを口へと運んだ。

 その人物というのは他でもない秋葉あきはである。しかし、今回に関しては跡をつけてきた訳では無い。

 落ち込んだ心を、何度か通っているこの店のスイーツに癒されようと思って入店したのだ。

 角砂糖を五個入れたコーヒーも飲み終え、カヌレを食べてもう帰ろうと思っていた矢先、二人が入口近くの席に座った。

 これでは帰る時に気付かれてしまう。そんな気はなくとも、向こうは偶然だと思ってくれないかもしれない。

 最悪の状況を想像すると腰を上げるに上げられず、追加のカヌレを食べ終えても尚動けないでいた。

 これ以上時間稼ぎは苦しいだろう。何もしないのに店にいると迷惑をかける可能性もある。

 そう考えた彼女は、思い切ってカバンを手に取ったが、立ち上がる直前に二人の話し声が聞こえてきてしまった。


「今日って一応デートだからさ。聞いておきたいんだけど、楽しんでもらえた?」

「一応は必要ありませんよ。それに、聞かれるまでもなく楽しかったです!」


 まるで付き合いたてのカップルのように、お互い照れ合いながらの初々しいやり取り。

 羨ましいと思うと共に、ふつふつと怒りにも似た感情が込み上げてきた。

 自分の方が慧斗を楽しませられる。慧斗のことを笑顔に出来る。もっともっと幸せにしてあげられる。

 その自信を彼女は持っていたから。突如として現れたライバルに、みすみす全てかっさらわれる訳には行かないのだ。


「じゃあ、そろそろ帰ろうか」

「そうですね」


 慧斗が会話しながらいじったスマホをポケットに入れると同時に、秋葉のスマホが短く震える。

 まさかバレたのかと思ったが違った。メッセージの内容が『今日は乃愛の家に泊まる』というものだったから。

 いつの間にそんな話をしたのだろう。ボウリング場で離れた後だろうか。

 ついそんなことを考えてしまったが、それよりも今は目の前の一大事だ。

 本当ならこのまま家に帰るつもりだったが、二人だけでお泊まりなんて危険なことを許すわけにはいかない。


(何とか理由をつけて合流を……)


 秋葉は心の中でそう呟くと、会計を済ませた二人を追いかけるようにして店を出た。

 悪いことをしているのは分かっている。けれど、ボウリング場の件で既に吹っ切れてしまっていたのかもしれない。

 しがみつく罪悪感でさえ、今の彼女の足を止めるほどの重さはなかった。


「ここまで来たら何でもやってやるわよ」

 ================================


 一方その頃、店を出た慧斗は他愛もない会話をしながら荒木あらき家への道を歩いていた。

 普段は使わない細い近道を二人で歩いてみたり、あえて遠回りをして知らないパン屋さんの前を通ってみたり。

 この小さな探検は乃愛を子供のようにワクワクさせ、少年のように瞳をキラキラと輝かせてくれた。

 けれど、本当の目的はそこじゃない。慧斗は大きな門の前で手を振り彼女の背中を見送った後、荒木家に背を向けて歩き出す。

 すぐに聞こえてくるかと思った疑問の声は無く、彼は仕方なく自ら一番近くの電柱の裏を覗き込んだ。


「隠れんぼは終わりだよ、秋葉」

「え、どうして……」

「逆にバレてないと思ってたのが不思議」


 ずっと気が付いていた。カフェにいたことも、その後も尾行されていたことも。

 分かっていたからこそ、あえて遠回りをして着いてきているのを確認する隙を作ったり、狭い道を通って尾行できないように阻んだのだ。

 ゆっくり近道を歩く二人と、大回りの道を全速力で走る秋葉の勝負は、後者の方が早過ぎて鉢合わせしそうになったけれど。

 彼女は慧斗の思惑通り嘘のメッセージを信じ、追いかけてきた。別に深い意味は無い。種明かしとともに少し文句を言おうと思っていただけだ。


「そうだ。貸したままのハンカチ、返して」

「そこから気付いてたなら言いなさいよ」

「何か理由があるんだと思ってさ」


 ハンカチを受け取りつつ「それにしても……」と言葉を続けると、秋葉は首を傾げながらこちらを見つめる。

 少し言うかどうか迷ったが、彼女のせいで今日一日のデートは完全に身が入らなかった。その仕返しくらいは許されるだろう。


「そんなに僕のことが好き?」

「……」

「あ、嫌いだから付け回してるのか」

「それは違う!」

「そっちははっきり言うんだね」

「っ……う、うるさいっ!」


 照れたように赤くなる頬を夕日のオレンジ色に隠しながら、彼女は独り言のように「悪かったわよ、迷惑かけて」と呟いた。


「お仕置きが効いたみたいだね」

「ええ、もう尾行は懲り懲りよ」

「じゃあ、次は二人でどこか遊びに行こうか」

「いいの?」

「遊びたいから着いてきたんでしょ?」

「……まあ、そういうことにしておくわ」


 やれやれと言いたげな秋葉に今度は慧斗の方が首を傾げつつ、二人は肩を並べて帰路に着くのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る