第46話 お金のやり取りにはご用心

 ボウリング場を後にした二人は、乃愛のあの案内でおすすめのカフェへとやって来た。

 駅から距離的には近いものの、大きなメイン通りではなくその横の細い道でひっそりと経営する隠れ家的カフェなんだとか。

 そういうカフェはコーヒー豆にもこだわっているから値段が高いと聞いたことがあるが、実際メニューを見て目を丸くしてしまった。

 それほど大きくないカップに入ったブラックコーヒーが一杯700円。正直、好んで飲む方では無い慧斗けいとからすれば、試しにでも頼もうとはならないお値段である。

 ただ、乃愛の前でそんな情けないことを言う訳にはいかない。二つの気持ちが葛藤した結果、頼むしかないという結論に至ったのだが――――――。


「コーヒーはお嫌いですか?」


 咄嗟にそう聞かれると反射的に否定しそうになったものの、彼女の真っ直ぐな目を見るとそんな嘘ですら情けなく思えて来てしまった。

 乃愛は笑ったりしない、そんなことはこれまで一緒に過ごした時間だけで分かり切っている。

 そうなることを恐れている癖に、男はコーヒーが飲めるべきという偏見を手放そうとしないのは自分自身の方だと気付かされた気がした。


「……その、荒木あらきさんは好き?」

「大好きです。ですが、何もブラックで飲めだなんて強制はしませんよ」

「バレてたのか」

「ふふ、慧斗さんは分かりやすいですからね」


 乃愛は「それに……」とカバンの中を覗き込むと、中から二枚の紙を取り出し、こちらへ呼んだマスターにそれを手渡す。


「お値段のことなら気にしないで下さい。これ、コーヒー一杯無料券です」

「え、さすがにそれは悪いよ。結果的に荒木さんに払ってもらうことになっちゃうし」

「コーヒーを飲めないとかっこ悪いなんて偏見を捨てたなら、女に払わせるのがダサいって偏見もまとめて捨てちゃいましょう」

「でも、今回はお礼ってことだし……」

「私、こう見えて割引券を集めるの好きなんです。よくお買い物をするので、沢山貰う機会があるからこその趣味なんですけどね」

「だったら尚更使わせられない」

「最後まで聞いて下さい。集めるのはいいのですが、別にダブりは欲しくないんです。一枚ずつ集めるコレクターみたいな感じで」


 分かったような分からないような。そんなことを言う乃愛によれば、この店は彼女の父親……つまり亜門あもんさんが個人的に出資して作られたものらしい。

 当時、路頭に迷っていたマスターを路地裏で拾い、彼の夢を聞く内に自分も一緒に叶えてあげたくなったんだとか。

 そういう経緯で、荒木家にはお礼という意味で毎年無料券が沢山送られてくるそうだ。

 ただ、亜門さんは忙しいために多く顔を出す時間が無い。乃愛だけで使い切ることも出来ず、メイドさんたちにも配ったがそれでも余る。

 せっかくならこの機会に慧斗にも……という考えだったらしい。それなら確かに乃愛のためにもなるし、遠慮する方が無粋というものだ。


「でも、お礼なのに部外者の僕が使ってもいいの?」

「部外者だなんてそんな。これはデートですよ? つまり、慧斗さんはいずれ荒木家と深い縁で結ばれるかもしれないということ」

「それってつまり……」

「冗談です、ふふ♪ マスターはそんなことで私のお願いを拒否したりしませんよ、ね?」


 「ね?」と口にすると同時に彼女の視線が向けられると、マスターはやけに畏まった様子で首を縦に振った。

 それほどまでに亜門さんのことを尊敬していて、故に娘である乃愛にも丁寧に接しているのだろうか。そう思ったがどうやら違うらしい。


「建物のローンと改装費を出したのはお父様ですが、毎年一番融資しているのは私ですからね」

「融資?」

「慧斗さんには言っていませんでしたが、私お小遣いを元手に融資業をしているんです」

「高校生なのにすごいね」

「ただ言われた金額を渡して、期日までに一割増で返してもらうだけの簡単なお仕事ですよ。資金さえあれば誰でも出来ます」


 確かにそれだけなら誰でも出来るだろうが、そう上手くいかないからこそ銀行は融資を渋る。

 もしも経営が上手くいかずに返済が出来なくなる場合もある……いや、むしろそういうケースの方が多いからだ。

 しかし、乃愛は父親と繋がりのある人間なら拒むことなく貸すと言う。彼女の桁違いのお小遣いにも驚きだが、人を選ばないというのは仕事としてはとても危険ではないだろうか。

 素人ながらにそんなことを聞いてみると、乃愛は手で口元を隠すようにして微笑みながら言った。


「大丈夫です、相手はお父様の知り合いですから。全てを失ってでも返せない金額はそうありません」

「……全てを?」

「ふふふ、これも冗談です♪ どうしても回収出来ないのなら諦めます、その代わりお父様からの信頼は落ちてしまいますが」


 そんな話をしてクスクスと笑う彼女に、慧斗が何だか見てはいけない部分を見てしまったような気持ちになったことは言うまでもない。

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