第44話 小さき者の抗い方

 二人が仲睦まじくイチャついているその頃、一番端のレーンで球を投げた秋葉あきはは彼らの様子をチラ見しながらため息を零した。

 頭上のモニターには七投目にして四つ目のストライクマークが刻まれる。残りの三投も9ピンかスペアという惜しいスコアだ。


「何よ、あの女。ボウリングが学びたいなら、慧斗けいとより私に言いなさいよ」


 そんな独り言を呟きつつ、次のボールを投げて新たにストライクを重ねる秋葉。

 そんな様子を密かに見ていた人物が、彼女の背後から近付いて声を掛けてきた。


「お姉さん、いい腕してるね」

「……誰?」

「おっと、そんな怪しいヤツを見るみたいな目はやめてくれよ。ただ、少し一緒に遊べないかなと思って声を掛けただけだからさ」

「十分怪しいわよ」


 秋葉は変装用のサングラス越しにでも分かるほどに鋭い目付きで男を睨みつけるが、どうやら相手はこういう場面に慣れているらしい。

 怯むことも無く距離を縮めてくると、腕を掴んで強引に椅子の方へと引っ張り始めた。

 彼女も抵抗はしたが、運の悪いことにボウリング場の足元は滑りやすい。自分より一回りも二回りも体格の大きな相手に抗うことは難しいのだ。

 そのまま椅子に座らせられ、上から押さえつけられるようにして身動きを封じられる。

 ずっと、男なんて自分なら簡単にやっつけられると思っていた。慧斗相手ならいつもそうだったから。

 だけれど、今ようやく思い知った。喧嘩をする時も、取っ組み合いになるような時も、彼が自分に対して本気を出したことなんて無かったのだと。


(助けて、慧斗……!)


 心の中でそう祈っても届くはずがない。こんな時ですら隠れることを辞めないのは、ストーカー紛いの行為が悪いと自分でも分かっているから。

 犯罪者に片足を突っ込んだも同然の自分を、慧斗に見て欲しくないと思ってしまうから。

 こんな人間、好きな人に助けてもらう価値なんてない。もういっそ諦めて―――――――――。


「そこのお兄さん」

「ん? なんだ?」


 決めるしかない覚悟を決めようと、目をギュッと閉じたその時。誰かに呼ばれて男が振り返った直後、ピシャッと水が跳ねる音が聞こえてきた。

 おそるおそる顔を上げてみれば、目の前の男のズボンには大きな水の染みが出来ている。

 そのさらに奥では、半分ほど中身の減ったペットボトルを握る慧斗の姿があった。

 これは彼がやったということだろうか。けれど、運動が得意でない慧斗がこんな男を怒らせて勝てるはずがない。

 そんなことは彼自身が一番よく分かっているはずなのに。それなのに……。


「てめぇ……!」

「お兄さん、大丈夫? お漏らししちゃったなら、新しいズボン買いに行った方がいいと思うよ」

「はぁ? これはお前が水を……っ?!」


 男にも秋葉にも、掛けた本人である慧斗にも、ズボンの染みが水のせいであると分かる。

 けれど、ようやく気が付いたらしい。それ以外の不特定多数には、お漏らしというワードを聞かせるだけでそう思い込ませられるのだと。

 いくらムキムキの巨漢でも、おしっこを漏らしたという恥ずかしさには勝てない。慧斗はそういう内面に攻撃を仕掛けたのだ。


「か、帰る!」

「出て左に曲がったら服屋さんあるから。そこで染みが目立たない服でも買いな」

「うるせぇ……!」


 股間部分を必死に手で隠しながら、大慌てでボウリング場から飛び出していく男。

 その後ろ姿を見送った後、慧斗はポケットから取り出したハンカチを目の前の女の子に渡した。


「ごめんね、少し水掛かっちゃったでしょ」

「あ、いや、ありがとう……」


 どうやらサングラスと帽子のおかげで自分だとはバレていないらしい。

 ほっとした様な悲しいような気持ちになりつつ、秋葉は濡れた膝や脚の水滴をポンポンと拭き取った。


「……どうして助けてくれたの?」

「僕の幼馴染が昔言ってたんだ。困ってる人に手を差し伸べることも、見て見ぬふりをすることにも勇気がいる。どうせなら自分も嬉しい方に頑張ってみたいでしょって」

「……」

「急に思い出しちゃってさ。それだけの理由だから気にせずにボウリングを続けて」

「……いえ、もう帰るわ」


 秋葉はそう呟いて荷物を持ち上げると、振り返ることなく受付の方へと歩いて行く。

 彼の真っ直ぐな目を見たら、自分がいましていることが馬鹿らしくなってきたのだ。

 こんな風に付け回さなくても、彼は幼馴染として心の中に住まわせてくれている。

 それが分かっただけでも、今日のところは引き下がっておくとしよう。……それに。


「もう、私をこれ以上困らせないで」


 あのまま慧斗の前にいたら、耳まで赤くなるのを我慢できそうになかったから。逃げ出したというのが妥当な言葉だろうと思う秋葉であった。

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