第35話 親しいからこそ厳しいことも言えてしまうけれど

 あれから結局、秋葉あきはは国語と社会を、乃愛のあは数学と理科を担当することに決まった。

 そして、勝負が不公平にならないよう、結果が平均点から何%差があるのかでポイント化し、二教科の合計が高い方の勝利とすることに。

 これならば、テストの難易度が変わっても平等に勝敗を決めることが出来るというわけだ。

 慧斗けいとにとって一番幸せなエンディングは同点でドローにすることなのだろうが、そんなことが出来るなら勉強を教えて貰ったりなんてしていない。

 不可能なたらればは考えるだけで虚しくなるので脳の隅に追いやって、先程から小テストの採点をしている秋葉の方へと視線を向けた。

 今日の家庭教師は彼女が担当なのだが、本気で勝ちを取りに来ているらしい。

 昨日の今日でもうテスト問題を予想した小テストを何枚も作ってきては、慧斗にそれらを解かせて理解度を測っているのである。

 ただ、その結果はあまり期待にそぐわないものだったようで、赤ペンのキャップを閉めながら深いため息を零していた。


「この漢字、先生が注意するように言ってたわよね。どうして覚えていないのよ」

「ややこしいんだから仕方ないじゃん」

「覚える努力をしていないからこうなるの。こっちも似たような間違いをしてるわ」

「それを覚えさせてくれるために、秋葉は僕の部屋に来たんじゃないの?」

「そうだけど、本人にその意思がないなら言っても意味無いじゃない。サボっててもあなたのためにならないのよ?」

「そんなこと言って、本当は負けたくないから自分のために言ってるんでしょ」


 口やかましいなと思った瞬間につい零れてしまった言葉を聞いて、彼女はペンを机の上に落とした。

 本心なんかじゃない。秋葉がこうして目を見て叱ってくれるのは、いつも自分に反省するべき点がある場合だと理解しているから。

 けれど、その事を思い出した時には、既に彼女の鼓膜を揺らす空気の振動を止めることは出来なくなっていた。

 秋葉は怒ったような、悲しんでいるような曖昧な瞳を少し下へ向けると、点数を書いた小テストと新しい小テストを重ねて差し出す。

 慧斗がそれを受け取った後、何も言わずに部屋を出て行ってしまった。

 呼び止めようとも思ったが、何と声をかけるべきかが分からなくて言葉が喉に詰まる。

 無機質な音を立てて閉ざされた扉を見つめながら、彼はただ一言呟いてため息を零した。


「……つい、言い過ぎちゃうんだよな」


 それから15分ほどが経過して、シャーペンを置いた慧斗は背後でカタンという音が聞こえて振り返った。

 小テストに集中していたからドアの音に気付かなかったのだろうか。

 膝にお茶碗を乗せたお盆を置いた秋葉がベッドに腰掛けつつ、眠そうな目を擦りながらこっちを見ている。

 湯気が立っているところを見るに、つい先程入ってきたばかりなのだろう。中身を確認してみれば雑炊だ、勉強の合間にはちょうどいい。


「んん、もう終わったの?」

「うん。それ、作ってきてくれたの?」

「……私が食べようと思って用意したの」

「あ、そうなんだ。思い違いしちゃった」

「……まあ、食べたいなら慧斗のためってことにしてあげないことも無いけど」

「いいよ、申し訳ないし」

「こういう時は素直に受け取りなさいよ」


 遠慮したというのに不機嫌になった彼女に押し付けるように渡され、彼は少し困惑しながら雑炊を口に運ぶ。

 熱過ぎず冷め過ぎず、舌に乗せるにはちょうどいい温度だ。味も相変わらず美味しい。

 料理が胃袋を掴むとはよく言うが、きっとそれは心を開きやすくするということでもあるのだと実感する。

 二口目の雑炊を飲み込んだ後、慧斗の口からは自然と「ごめん」という言葉が出ていたから。


「秋葉が成績のこと心配してくれてるって、ずっと前から分かってたはずなんだけどさ。つい、何か言い返したくて思ってもないことを……」

「別に気にしてない。って言うか、その雑炊は謝罪のつもりだったのよ」

「どうしてそっちが謝るの?」

「慧斗に自分のためって言われた時、その通りだと思って何も反論できなかったから。私、あなたを勝負に利用してるだけの偽善者だなって」

「秋葉……」

「ちゃんとあなたのために教えるわ。だから、もう一度チャンスを貰えないかしら」


 真剣な表情で「お願い」と頭を下げる彼女の申し出を断る理由なんて、慧斗は持ち合わせていなかった。

 むしろ、自分が失言を挽回するチャンスを貰えることが有難い。


「じゃあ、採点お願いします」


 そう言って小テストを差し出す彼に、秋葉は笑顔で受け取りながら赤ペンの蓋をキュポッと外すのであった。


「……20点、やり直しよ」

「そんな……」

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