第34話 マルチタスクは難しい

 慧斗けいとの脳内計画では、好きな人の前でならいい所を見せようとして頭が冴えると思っていたのだが、人生というのはそう甘くはなかった。

 そもそも、普段勉強が出来ない人間が、途端に出来るようになったら、それは後ろに青いタヌキがいることを疑った方がいい。

 少なくとも彼の背後にいるのは、不機嫌そうに腕を組む秋葉あきはだけなので、出来ないことは出来ないままである。


「ここはこの公式を使うんですよ」

「なるほど。じゃあ、答えはこう?」

「そうですそうです! また賢くなりましたね!」


 でも、これはこれでいいと思い始めていた。

 部屋に入ってきたばかりの時には、興味津々にウロウロするので、見られてはいけないものが見つからないかヒヤヒヤしていたが、今となってはそんなことはどうでもいい。

 好きな人に身を寄せられ、好きな人の声で公式を読み上げてもらい、解ければ好きな人の手で頭を撫でてもらえる。

 どこぞの幼馴染は絶対にしてくれないような甘やかし教育法だ。こんな至れり尽くせりな勉強会、集中しないことの方が難しい。


荒木あらきさんは頭もいいし、おまけに教えるのもすごく上手だね」

「そんなことありませんよ。慧斗さんの理解が早いだけです」

「いやいや、いつもより何倍も早いペースで何倍ものことを覚えられてるのは、荒木さんだからこそ出来ることだと思うな」

「そう言って貰えると嬉しいです。いっそのこと、慧斗さん専属の家庭教師になっちゃいましょうか……なんちゃって♪」


 褒められたことに対する照れ隠しなのか、冗談を言ってクスクスと笑う乃愛のあに、秋葉は「悪かったわね、ペースが遅くて」と不貞腐れてしまっている。


「別に自分を卑下することは無いよ。秋葉よりも荒木さんの方が、教えるのが上手だっただけの話なんだからさ」

「……ムカつく。その女より私の方が慧斗のことをよく分かってるのに」

「そうでしょうか? 慧斗さんが勉強をする時、楠木くすのきさんの前でこんなにも楽しそうにしていたことがありますか?」

「うっ……無いけど……」

「イヤイヤやらせても知識は理解に発展しませんよ。このように、自分から向き合う姿勢を育まないとです」


 乃愛に「ですよね?」と聞かれた慧斗は、「もちろん!」と元気に頷いて勉強する手を進めた。

 これには秋葉も返す言葉が見つからなかったようで、悔しそうに地団駄を踏む。

 しかし、ふと何かを思いついたように顔を上げると、口元をニンマリと緩めながら言った。


「だったら、実際に比べてみようじゃないの」

「……比べる?」

「私たちがそれぞれ違う教科を教えて、慧斗がどっちのテストで高い点を取れたかで勝ち負けを決めるってこと」

「なるほど。良い考えだとは思いますが、慧斗さんがどう思うかを忘れていませんか?」

「いい点を取れるんだから、文句なんてあるわけないわよ」


 頬に手を添えて強引に秋葉の方を向かせられた彼は、「ていうか、言える立場だと思ってる?」と圧を掛けられて首を横に振る。

 これで契約は成立、勝負も決定された。乃愛も本人が良いと言うならと、渋々ではあるが受けてくれるらしい。

 これで慧斗は合法的に乃愛と勉強会をすることが出来るようになったわけだが、事情はそんなに単純なものでは無い。

 何故なら、この勝負の形式はというものだから。

 明確に時間分けもされていない以上、両耳から別々の話を投げつけられることになるのである。これは聖徳太子でなければ難しい。

 さらに言えば、この勝負においてどちらが勝っても彼にとってはマイナスでしかないのだ。

 何故なら、秋葉が勝てば乃愛を悲しませ、乃愛が勝てば秋葉にボコボコにされるから。


「僕はどうしたらいいんだ」

「ほら、手が止まってる」

「ここ、公式を書き間違えちゃってます」

「……頭がパンクしちゃうよ」


 中間試験まであと数日、点数よりも心と体が持つかどうかだけが心配で仕方がない慧斗であった。

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