第29話 大いなる力と大いなる責任

 お鍋の材料を買い集め、買い物袋二つを両手に持ってスーパーを出る。少し重いが、これも日頃のお礼だと思えばまだまだ軽いお返し程度だ。

 慧斗けいとが心の中でそう呟いていると、財布をカバンに入れ終えた秋葉あきはが小走りで追いついてきて左手の袋を掴む。

 自分が持つと主張しても、彼女は引っ張ることをやめない。それどころか不機嫌そうに眉をひそめた。


「いいから貸しなさいよ」

「でも……」

「でもじゃない。貸さないと怒るわよ」

「もう怒ってる」

「怒ってないから」


 秋葉はそのまま強引に奪い取ると、「初めから大人しく渡しておけばいいものを」なんて文句を呟きながら左手に袋を持ち替える。

 それから、空いた右手を「ん」と慧斗の左手に向かって差し出してきた。


「いやいや、さすがに二つは持たせられないよ。僕にもプライドがあるからね」

「何がプライドよ。ていうか、袋の事じゃないから」

「じゃあ何を渡せばいいの」

「……これよ」


 彼女はそう言いながら彼の左手を取ると、ギュッと握り締めて視線を逸らす。

 手を繋ぎたいのなら素直にそう言えばいいのにと思ったが、あえて言葉にはしなかった。

 秋葉が素直になったら、予想外の行動を起こすということをよく思い知らされたばかりだから。


「僕と手なんか繋いで楽しい?」

「楽しくはないわ。でも、嬉しい」

「それなら別にいいけどさ」


 小さい頃はむしろ自分の方が手を繋いで繋いでと言っていた恥ずかしい過去がある。

 それを蒸し返されたくもないので、ここは素直に握り返しておいた。

 女の子らしい柔らかい手のひらから、じんわりと伝わってくる温もり。きっと、いつかこの手を握ることを許されなくなる日が来るのだろう。

 それが秋葉が離れていく時なのか、それとも自分が離れる時なのかはまだ分からないけれど。


「お鍋の後は雑炊する?」

「ええ、もちろん。そこまで楽しんでこそだもの」

「だよね」


 今はただの幼馴染として過ごせる残りの時間を、目一杯に満喫しようと思う。例え、向こうがそれを望んでいなかったとしてもだ。


「はい、雑炊出来たわよ」

「美味しそう。さすが秋葉、手際がいいね」

「でしょう? こんな女の子、なかなか居ないわよ」

荒木あらきさんなら出来そうだけど」

「無理無理。そもそも、冨樫とがし家の味付けを知ってるのはおばさんと私だけだもの」

「そう言えば、どうして僕の家の味付けにするの? 秋葉の好きな味にすればいいのに」

「……これが好きなんだもん」


 彼女の呟きで、二人はお互いに見つめ合ったまま固まってしまう。

 その間にも雑炊はグツグツと音を立て、秋葉の顔もどんどん熱くなっていく。

 慧斗は何と言うべきか考えた結果、拭おうにも記憶から拭い切れなかったその言葉―――――――。


「……もん?」


 ――――――を呟いて、恥ずかしさのあまり熱々のお鍋をひっくり返そうとする秋葉の暴走を、大慌てで止めるのであった。


「秋葉、落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから」

「もん……もん……」

「とりあえず深呼吸しよう」

「ふぅー、ふぅー、ふぅー」

「吐いてばっかりじゃ死んじゃうよ?」

「すぅ……ふぅ……」

「秋葉はもんなんて言ってない」

「……私はもんなんて言ってない」

「そう。だから何も気にする事はないよ」


 目の前で紐を付けた五円玉をゆらゆらとさせると、彼女の視線は自然とそれを追ってユラユラ。

 30秒も繰り返せば瞳がとろんとし始め、「全部忘れる、全部忘れるんだよ」と言ってから指を鳴らすと、ハッとしたように目を見開いた。


「……私は誰?」

「全部ってそこまで忘れちゃうの?!」

「冗談よ。ところで、私はどうしてパニックになっていたのかしら」

「思い出さない方がいいと思うよ」

「そう? じゃ、聞かないでおくわ」


 まさか使えるとは考えていなかったものの、催眠術も意外と都合がいいなと五円玉を見つめた慧斗が、一瞬悪巧みを思い付いてすぐに首を横に振ったことはまた別のお話。

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