第26話 火蓋は切って落とされる

 結局、あれからより深いところまで踏み込むことも出来ず、二人はそれぞれ自分の家の自分の部屋で眠った。

 眠ったと言っても慧斗けいとに関しては、向かいのベランダの向こう側に秋葉あきはがいると思うと目が冴えて仕方がない。

 そんな状況のまま気が付けば朝を迎えていて、彼はクマの出来た目元を洗面所で確認して深いため息を零した。


「こんなんじゃ荒木あらきさんに心配されちゃうよ……」

「だったら学校を休めばいいわ」

「それこそ心配をかけ――――――――ん?」


 聞こえてくるはずのない声を聞いて視線を少しずらすと、自分の背後にキラリと光る金髪が見えて目を見開く。

 慌てて逃げ出そうとするものの、あっさりと腕を掴まれて取り押さえられると、身動きが取れない状態で耳元へ顔を寄せられた。


「私、おばさんから任されてるから、学校に休むって連絡を入れられるのよ」

「そんなことしなくていいから」

「私、言ったわよね。あなたのことが好きだって。好きな人のそんな顔、他の人に見せたくないのよ」

「でも、それは秋葉の気持ちでしょ。僕には関係ないよ」

「……へぇ、そんなこと言っちゃうのね」


 彼女は押さえ付けていた手を離すと、しゅんと俯きながらその場に腰を下ろす。

 いくら嫌なことをされそうだからと言って、関係ないは言い過ぎだったかもしれない。

 そう思って「ごめん、大丈夫?」と声を掛けながら顔を覗き込んだ彼は思わず固まってしまった。

 あまりに突然のことで分からなかったが、落ち着いて向き合ってみれば、秋葉の目の下にもクマが出来ていたから。


「もしかして、眠れなかった?」

「……当たり前でしょ。答えを聞かずに飛び出しちゃったんだもの」

「その答え、今聞きたい?」

「いいえ。分かり切ってるもの、私じゃダメだってことくらい」


 そう思っているのなら、どうしてわざわざ早朝から家に来たのか。まさか、力ずくで何とかするつもりなのでは?!

 そう思って身構えた彼の様子に、秋葉は「別に警戒しなくてもいいわ」と両手を上げて無抵抗の意志を示してくれる。


「今日は少し話し合いをしに来たの」

「話し合い?」

「そう。私、これからあなたを本気で狙うわ」

「い、命を……?」

「そんなわけないでしょ。落とすってこと」

「落とし穴に……?」

「ふざけてるとぶん殴るわよ」

「……ごめんなさい」


 振り上げられた拳に恐れをなして、あっさりと頭を下げてしまう慧斗。

 そんな彼の後頭部をやれやれと言いたげな目で見つめた秋葉は、「もういいから」と話を前に進めた。


「これから私はあなたを落としにかかるから、年内にあなたが私を好きにならなかったら大人しく諦めるわ」

「……それでいいの?」

「不満よ。不満だけど、こうでもしないと諦めることも前に進むことも出来ないの」


 上目遣いで「乗ってくれる?」と聞かれてしまえば、断ることなんて出来っこない。

 それにこれは乃愛のあのことが好きな慧斗にとってもいい話である。何せ、一年耐えればしつこい彼女の脅しからも解放されるのだから。

 断る理由があるとすれば、最近少し可愛い顔を見せるようになった幼馴染に警戒心を高めなければならないことくらいだろう。

 要するに、受ける以外の選択肢なんて初めから選ぶつもりがないということだ。


「分かった、やるよ」

「……ほんと?」

「これまで何年も一緒にいたんだから、今更秋葉に負けるわけないし」

「その言葉、いつまで言ってられるかしらね」


 彼女はそう言いながらスマホを取り出すと、それを操作してどこかへと電話をかける。

 慧斗が相手の正体を理解して止めようとした時には、既にもう手遅れになっていた。


「はい、今日は休ませてもらいます。失礼します」

「あ、秋葉さん……?」

「言ったでしょ。本気だって」

「休みにして何をするつもり?」

「決まってるじゃない。今、二人きりよ?」


 ニンマリと怪しい笑みを浮かべられて逃げ出すも、またもやあっさりと取り押さえられてしまう。

 これから行われる残虐非道な行いの数々を想像して震え上がり、気が付けば嵩んだ疲労に押し潰されて気を失っていた。


「……ようやく寝たわね」


 秋葉はそう呟くと、洗面所で目元にした黒いメイクを落としてさっぱり。

 床に横たわる彼をひょいと抱え、二階にあるベッドまで連れていくのであった。

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