第19話 人は微睡みの誘惑に勝てない

 セブンさんと別れてからもう少し部屋でくつろいだ後、慧斗けいとは「そろそろ帰ろうかな」と秋葉あきはに提案した。

 時間としてはもう5時前、買い出しに行かなければ夜ご飯が遅くなってしまう。

 そう伝えたところ、乃愛のあは「心配いりません」と言って首を横に振った。


「お二人の分の夕食も用意させましょう」

「いや、それは悪いよ」

「大丈夫です。我が家のコックは忙しければ忙しいほど興奮するタイプなので」

「……どういう性癖?」

「つい先日、150人分のじゃがいもを運ばせたところ、鼻血を出して嬉しそうにしていましたよ」

「それ疲労で死にかけてたんじゃ……」


 慧斗はそのコックさんに会ったことが無いが、おそらく過酷な労働環境にいることは間違いない。

 その対価としていいお給料を貰えていればいいのだが、さすがにもう少しいい職場探しを提案するべきなのではないかと思ってしまう。

 純粋無垢な笑顔で一切労基法を破っていることを気にしていない乃愛に、そんなことを言うなんて彼には出来なかったけれど。


「まあ、でもご馳走して貰えるなら甘えさせてもらってもいいんじゃない?」

「秋葉、でも……」

「断って夕飯を作ることになるのは誰かしら」

「あ、秋葉様です」

「はぁ。そこで自分が作るって言えていれば、一人前の男だったのに」

「僕なんてそんな、半人前で十分だよ」

「謙遜して誤魔化してんじゃないわよ」

「……すみません」


 結局、料理を作ってくれる秋葉自身が今日は甘えさせてもらいたいと言うので、ご馳走になってから帰ることにした。

 実は事前にこうなることを予想していたようで、食材の用意や下準備は済んでいるらしい。

 もし断られてもメイドさんたちの夕食が少しずつ増えるだけなので、そうなったとしても特に問題は無かったとのこと。

 それよりも、客人に夕食を提供出来ないことの方が、招いた側としては恥だとかなんとか。

 やはり大きな家に住んでいる人は、一般人よりも気を遣うことが多いらしい。


「そういうことですので、慧斗さんはもう少し私と一緒にゴロゴロしましょうね」

「一緒にゴロゴロ……いい響きだ……」


 乃愛に連れられ、ふかふかのカーペットの上に並んで寝転ぶ。

 ただでさえ寝心地のいい場所だと言うのに、隣で好きな人が楽しそうにしていれば、それはもはや極楽にも遅れを取らない。

 ただし、幼馴染が自分のお尻を踏みつけたりなどしていなければの話だが。


「他人様の家でゴロゴロなんてダメ、今すぐに起きなさい」

「他人様のお尻を足で踏むのはいいの?」

「慧斗だから問題なしよ」

「どういう理屈か分からないけど、乃愛が許してくれてるんだからいいでしょ」

「そうですそうです、私の部屋ですからね。それとも……楠木くすのきさん、嫉妬ですか?」

「なっ?!」


 彼女の言葉に秋葉はあからさまに肩をビクッとさせる。自分でも気付いていなかったモヤモヤの正体を言い当てられてしまったから。


「私が慧斗さんと仲良くしてることが気に入らないんですね。幼馴染ですもんね」

「そ、そんなわけ……」

「秋葉に限ってそんなわけないよ。きっと、だらしない行動を見ててイラッとしたんだね」

「……その通りよ!」


 勘違いではあるものの、慧斗が出してくれた助け舟に慌てた乗っかる彼女。

 しかし、それがすぐに沈んでしまう泥舟であることに気が付いた時には、もう既に手遅れだったのかもしれない。


「でも、一回寝転んでみてよ」

「……へ?」


 彼に自身のすぐ横をトントンと叩かれ、戸惑いながらも言われた通りに体が動いてしまう。

 合法的に慧斗の横に寝転んでもいい機会なんてそう巡ってくるものでは無い。

 秋葉の中にあった下心は少しずつ膨らみ、カーペットに頬を埋めた時にはもう肩までどっぷり底なし沼に浸かっていた。


「ああ、これいいわね……」

「でしょ?」

「触ってるだけで眠くなってきちゃう」

「ゆっくり出来る日なんだから、のんびりしないと勿体ないよね」

「全くその通りよ」


 微睡みの中、何とか意識を保っていた秋葉だったが、「時間になったら起こしてあげるから」と言いながらひと撫でされた瞬間、あっさりと眠りの世界へと引きずり込まれてしまうのであった。

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