第17話 天国地獄大地獄

乃愛のあが善意で提供してくれるものを断るわけにはいかない。

慧斗けいとはただその一心で渡された服を着ると、後ろを向いてくれていた二人に「もういいよ」と伝えて振り返ってもらった。

この瞬間が一番緊張する。どんな反応をされるのかなんて目に見えているからだ。

きっと今の自分は渋谷とかに現れるコスプレおじさんみたいな変質者に見えているはず。

ただでさえ心臓がうるさいというのにら微妙な反応をされたらきっとハートブレイクしてしまう。そう思っていたのだけれど……。


「意外とアリですね」

「意外とアリね」


まるで品評会に来るマダムのように腕を組み顎に手を当てながら、ジロジロと品定めした彼女たちが出した答えがそれだった。


「アリってどういう……」

「髪を整えてメイクをしたらもっとそれっぽくなるかもしれませんね」

荒木あらき乃愛のあ、ドライヤーとクシを貸してもらえる?」

「ええ、構いませんよ。私はメイクの方を担当しましょうか」

「あのお二人さん? 勝手に話を進めないで欲しいなぁ、なんて」


せっせと準備する様子にオロオロしながら止めようとするも、スイッチの入った彼女たちはもう止まるんじゃねぇぞ状態らしい。

後ろからは秋葉あきはが、前からは乃愛に挟まれ、気が付けば椅子に座らされて事が始まっていた。


「僕にメイクは違うと思うなぁ。荒木さん、こんなことはもうやめよう」

「慧斗さん、動かないで下さい」

「……はい」


助けを呼ぼうにも頼れる存在なんて知らない。そもそもこんな広いお屋敷では叫んでも誰も来ないかもしれない。

それに、集中しているからか乃愛の顔が近い。首元に触れてくる手の温かさも、彼女が見つめてくれるこの時間も幸せじゃないと言えば嘘になる。だから。


「はい、完成です!」

「こっちも何とか出来たわ」


彼女たちがそう言って手を離してくれる瞬間を、結局強く拒むことが出来ないまま迎えることになってしまった。


「慧斗さん、ぜひご自分でも確認して下さい」

「なかなか上手くいったと思うわよ」


秋葉と乃愛の初めての共同作業とでも言うべきなのだろうか。持ってきてくれた姿見で今の自分を見た慧斗は、思わず目を疑った。

右手を上げれば鏡の中の存在は左腕を上げる。首を曲げればその通りにする。自分と同じ動きをするソレは、彼の中にある慧斗像とは随分とかけ離れていたから。


「これは……すごいね……」


思わずじっくりと観察してしまう。慧斗は元々肩幅も大きい方では無いし、筋肉がゴツゴツしているタイプでもない。

それでも男性特有の骨格特徴というのが現れていないわけではなかったはず。

乃愛のメイクはそれを目立たなくすると同時に、少しふっくらと見せるように色合いを調節したように思えた。

メイクは顔をキャンパスとしたアートなんてことをどこかの誰かが言っていた気がするが、あれは自由自在という意味なのかもしれない。


「髪の方も悪くないでしょう?」

「そうだね。こんなにちゃんと整えたことなんてあったかな」

「これから毎日整えてあげてもいいのよ?」

「それは負担だろうからいいよ」

「……あ、そう」


ボーッと自分を見つめる慧斗の背中に隠れて、あっさり拒まれたことを悔しがる秋葉とそれをクスクスといたずらに笑う乃愛。

彼はそんなことは露知らず、延々とメイクのすごさに驚き続けていた。


「……でも、これどうやって落とすのかな」

「どうして落とすんです?」

「だって、服を借りるだけならメイクは必要無いでしょ?」

「それはそうかもしれませんが、せっかくなのでもう少し楽しみましょうよ」

「あ、ちょっと……!」


慧斗は乃愛と秋葉に両腕を引かれながら部屋を出させられると、そのままの状態で廊下を進み始める。

彼女たちは彼に女装をさせたまま、メイドさんたちがせっせと仕事をする場所を通過しようと言うのだ。


「こ、こんなのはいじめだ!」

「いじめじゃなくて意地悪ですよ、ふふふ♪」

「何が違うのか分からない……」

「つべこべ言わずに歩きなさい。そうしないと、ここであなたの名前を叫ぶわよ」

「……分かりました」


こうして慧斗は天国を乗り越えた先にて、地獄の時間を味わうことになるのであった。

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