第16話 衣服は人類の偉大なる発明

慧斗けいとさん、大丈夫ですか?」


 引き上げられてから5分後、濡れた服を脱いでバスタオルに包まっていた慧斗は、温かいココアを啜りながら乃愛のあに背中を撫でられていた。


「まったく、昔話をされたくらいで情けないわね」

「そう言う秋葉あきははどうなの。言われて困ること、無いのかな」

「……私を脅してるつもり?」

「いや、普通にどうだったかなと思って」


 悪気のない彼の顔に彼女は顎に手を当てながら「無いこともないだろうけど……」なんて言いつつ、ゆっくりと視線を逸らす。

 何が思い当たる節があるようだが、慧斗には思い出すことが出来ない以上、先程の仕返しに使うことは出来ないだろう。

 まあ、秋葉まで水風呂に飛び込まれても困るので、この件は今のところはとりあえず保留にしておくことにした。


「ところで慧斗さん、その格好でいつまでもいてもらうわけにはいきません。ただ、この家には男性用の服がお父様のものしか無いんです」

「執事さんから借りるのも悪いもんね」

「いえ、実はこの家に住み込みしているのはメイドだけなんです。執事は人数が少ない上に、全員通いでして」

「なるほど。だけど、亜門あもんさんと僕だと体格が違いすぎる気がする」


 乃愛の父親である亜門は慧斗より背も肩幅も二回り以上大きい。いくら部屋着だったとしても、あまりにブカブカになってしまうのではないだろうか。

 それに友達の父親から服を貸してもらうというのも気が引ける。かと言って、こういう時に限って他にいい案も見つからないものだ。


「その、お父様の服をお貸ししたかったのですが、先程頼んだところダメだと言われてしまいまして」

「亜門さん、僕のこと嫌いなのかな」

「きっと私が殿方を連れてきたことにヤキモチを焼いているのでしょう。普段はとても優しいお父様なのですが……」

「仕方ないよ。まだ初めましてだったし、これから信頼されるように頑張る」

「さすが慧斗さんです!」


 乃愛はパチパチと拍手をした後、「そんな慧斗さんに提案なのですが……」と少し姿勢を低くしながら聞いてくる。


「提案って?」

「服が乾くまで数時間はかかると思います。それまでに代理の服が不可欠であることは間違いありませんよね」

「まあ、そうなるのかな」

「そこで考えたのですが、お貸し出来る服に心当たりがあるんです。ただ、お気に召すかどうかが不安で……」


 彼女は両手の人差し指同士を付き合わせながら、上目遣いでこちらを見つめてくる。

 こんな顔をされたら、男らしさとは無縁の慧斗でさえ悲しませたくないと思うもの。


荒木あらきさんが考えてくれたなら、僕はそれに従うよ。文句言える立場でもないからね」

「本当ですか?!」

「もちろん。それで、どんな服なの?」


 彼の質問にニッコリと微笑んだ彼女はパンパンと手を叩いて使用人を呼び付ける。

 そして、すぐに駆け付けてきたメイドさんから抱えていたものを受け取り、それを自信満々に掲げて見せた。


「これです!」

「えっと、これはつまり……」

「男性用はありませんので、どうか私の服で我慢してくださいね!」


 それは今乃愛が着ているのと同じ、いかにもお嬢様な可愛らしい洋服。

 これがもし秋葉のために用意されたのなら、彼女は文句を言いながらも何だかんだ着るだろう。だって女の子だから。

 しかし、慧斗は違う。世の中には色々な人がいるが、彼は身も心も男であり、もちろんそういう趣味も持ち合わせていない。

 ただ、すぐに断ることが出来ないのは、あれほど『従う』と強く言ってしまったせいだ。

 自分の言葉が自分の首を絞めることになるなんて、一体誰が想像しただろう。


「えっと、他には無いのかなぁ……なんて……」

「メイド服でよろしければございますが」

「……こっちにします」

「ふふ、ご満足頂けたようで嬉しいです♪」


 両手を合わせながら喜ぶ乃愛。しゅんとする慧斗を見つめる彼女の瞳が、怪しく細められていたことを彼は知る由もなかった。

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