第7話 無期限の契約

「どうかされましたか?」


 スカートめくりの翌々日。乃愛のあにそう聞かれた慧斗けいとはきっと、誰から見てもげっそりしていたのだろう。

 それもそのはず。金曜日の夜から日曜日の夜まで、秋葉あきはからストッパーの外れた機械のようにめくれめくれと追いかけ回されたのだから。

 おかげでここ数日はぐっすり眠れてすらいない。学校にいる時だけが唯一の救いではあるものの、乃愛の前でだらしない姿を見せたくないという気持ちもある。

 何とか「平気平気」と笑ってみせるが、そんな彼女の後ろの方から秋葉の『言ったらどうなるか……』という脅しの視線が飛んできていることに気が付くと、痩せ我慢にも少し限界が見えてきた。


「お疲れのようですね。もしや、昨晩はお楽しみでしたか?」

「はぁ?! いやいやいや、そんなわけ……」

「ふふふ、冗談です♪ 見たところ、慧斗さんは積極的に女の子と話すタイプではなさそうですし」

「さすがに一緒に居ればバレちゃうか」

「私に声を掛けてくれたのは特別ということでしょうか。だとしたら……えへへ、嬉しいですね」


 上品に口元へ手を添えながら笑う乃愛の可愛らしさに、溜まっていた疲れが吹き飛んでいくのを感じる。

 これを近くで見るために生まれ変わる決意をしたのだ。秋葉の意地悪なんかに負けてはいけない。

 彼は再度覚悟を握り締めると、未だにこちらを睨んでいる秋葉からぷいっと顔を背けた。

 よくよく考えてみれば、幼馴染のASMRがなんだ。男が理想を求めて何が悪い。現実があんなだから、空想に走っているだけなのだから。

 一度そう思い始めると愚痴は留まるところを知らない。気が付けば憎らしさが溢れだしてしまっていたようで、べーっと舌を出しているところを思いっきり見られてしまった。


「……慧斗って、寝る時にどんな動画を流すんだったかしら。確か幼な――――――――――」

「申し訳ございませんでした、二度と逆らいません」

「もう遅いって言ったらどうする?」

「靴を舐めさせて頂きます」

「余計に汚れるわ」


 ……やっぱり、心の声では割り切れても実際に行動に移すのは無理らしい。

 もう少しだけ覚悟を決める時間とお情けをもらおうと、慧斗はチャイムが鳴るまで秋葉様の肩を揉んであげるのであった。


「もう少し強く出来ないの?」

「こ、こう?」

「痛いわね、殴るわよ」

「理不尽な……」

「ASM―――――――」

「こうでございますね! 承知致しましたぁぁぁ!」

「……ふん、出来るなら初めからやりなさい」

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 その日の放課後。委員会で帰りが遅くなった秋葉は、机の中に置き忘れたノートを取りに教室へと戻って来ていた。


「あった。宿題があるから、持って帰らないと大変なのよね」


 そんな独り言を呟きつつ、教室の鍵を持って廊下へ出ようとしたその時、背後でガタンという音がして振り返る。

 しかし、人の姿は見当たらないし、倒れたものがあるようにも見えない。

 気のせいだろうと再び鍵を閉めてしまおうと扉に手をかけたところで、教室後方の掃除道具入れが勢いよく開いて見覚えのある顔が出てきた。


「待って下さい、私がここにいます」

「……どうしてそこに?」

「あなたを待っていたのですよ、驚かせるために」

「それなら成功ね。埃まみれ過ぎて驚きが隠せないもの」


 掃除道具入れから出てきた彼女……乃愛は「こんな汚いなんて聞いてません」なんて文句を言いつつ、制服を叩いて綺麗にしてからピシッと秋葉を指差す。


「慧斗さんを悩ませているのはあなたですね?」

「なっ……何を根拠にそんなことを……」

「慧斗さんは先週よりもあなたを避けています。視線の動きからも、楠木くすのきさんが元凶であることは間違いありません」

「だったら何なのよ。私と慧斗のことなんだからあなたに関係ないでしょ?」

「関係ないはずないでしょう、だって――――――」


 乃愛は片手を腰に当てながら胸を張ると、もう片方の手で一枚の紙を見せつけるように掲げる。

 そこに書かれてある文字は実に稚拙で、幼子が真似をして書いたようにしか見えなかった。けれど。


「慧斗さんは私の婚約者なのですから!」


 『こんやくしょ』と書かれたソレに押された冨樫家の判子は、今の秋葉にとって目を見開くほどに注意を引くものであったことは言うまでもない。

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