鋼鉄令嬢とマリーネ・アイアン #5
「やはりな」
おそらく駆け足を使ったのだろう。古めかしい男装束に身を包んだ、赤髪赤目の娘――フリージアこと、かつてのマリーネ・アイアンがそこにいた。ブルーグループの教室を出てすぐ、待ち構えていたかのように、そこに立っていた。
「さすがですね」
私は動揺を隠しつつ、しかしどこか冷静に彼女に応じた。目がかち合った時から、こうなる確信がどこかであったからだ。私は、目だけで周囲を窺う。人目がある以上、ここでは 戦いにはならないだろう。
「じゃあ、始めようか」
だが、フリージア氏は来た道を高速で戻り始めた。たかをくくっていた私を、あざ笑うかのようだった。
人間の目には消えたようにしか見えない急加速も、機械の
生き人形同士の、追いかけっこ。昨日の展開からすれば、私に利があるように見えるが。
「道を開けろ! 暴虐令嬢が通るぞ!」
「いや、ブレデリックの平民娘が紛れ込んでいるらしい!」
「侵入者かよ! 保安部はなにをしているんだ?」
「知るか! うわ、来た!」
外野のざわつきが、私の好まぬ二つ名とともに耳に入る。しかし今保安部に出て来られるのはまずい。捕まってしまえば、彼女と話ができなくなる。今のところ、私には彼女の狙いが見えていないのだ。
「っ!」
私は、加速を掛けて彼女の前に出た。一瞬だけ、彼女の驚く顔が見える。どうだ。私だって、一瞬だけなら急加速ぐらいできるのだ。そのまま私は、とある方向へ向けて舵を切る。挑発めいて、後方にウインクを浴びせてやった。
「追って来い、ってか? やってやるよ」
狙い通り。彼女は私を追って来る。私はそのまま、あの場所へと向かった。おそらくこの事態を冷静に受け止め、保安部すらさばき得る場所。フリージア氏――本物のマリーネ・アイアンについて、学内で一番詳しいであろう人物。それは。
「おお。外が騒がしいと思って出てみれば。またまた君の大立ち回りか。で、後ろのブレデリック生が、そういうことかな? 良かろう。君たちが目的を果たすまでは、私の領土には誰一人とて入れさせん」
ヴェロニカ・スプーナー。公爵令嬢にして学究の徒が運営する、彼女の小さな
***
「……」
「……」
サロンの最奥には、沈黙が漂っていた。ヴェロニカ氏だけが、一人ウキウキしている。三人分の茶を用意し、帳面まで構えていた。当然、フリージア氏に睨まれるのだが。
「そう警戒しないでくれないかな、ブレデリックの生徒――いやさ、フリージア君。私は私の興味を満たすために帳面を手に取ったのだ」
「どうしてワタシの名前を知っている?」
「そりゃあ、現マリーネ・アイアン君から話を聞いたからだねえ。もっとも、呼んでみたのは直感だけども」
「っ!」
ヴェロニカ氏のジャブに、フリージア氏の表情が歪んだ。そりゃそうだ。初対面で名前を押さえられているとは、誰も考えまい。
それをやってのけた上でくさびを打ったヴェロニカ氏は、彼女の反応から推理を組み立てていく。
「ほうほう。つまり話の大筋はこうか。フリージア君は、元マリーネ・アイアンを主張している――おっと。これは立証という過程を経ていないことによる言葉の綾だから、そのナイフは引っ込めてくれ」
どこからか繰り出されたナイフに両手を上げつつも、ヴェロニカ氏の推理は明快だった。苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、フリージア氏はナイフを引っ込める。その行動こそが、推理の正確さを証明していた。
「で、現マリーネ・アイアン君は期せずして彼女が本来持つべきだった立場を奪ってしまった。結果としてはそういう形になっているわけだ」
「はい」
私はうなずく。この点において、私の考えは一貫していた。そもそも私は、異なる世界から来た者だ。どうしてこうなったのかなんて、なに一つ分かっちゃいない。返せるものなら、返したいぐらいだ。
ただ。昨日も言われたように。マリーネ・アイアンを模した【魔導制御式・自動人形】に入ってしまってからのマリーネ・アイアンは、結局のところ私なのだ。立場も、人間関係も、すべて私が築き上げたものなのだ。
それをポンと他人――この場合は、フリージア氏にもそれなりに正当性があるのが厄介だが――に渡すなど、やはり許されるものではない。ヴェロニカ氏には面と向かって言われたし、レイラ嬢に打ち明けても同じことをこんこんと説教されるだろう。だから。
「ですが。仮にそちらの主張が『身体を返せ』だったとしても、私は応じられません」
私は胸に手を当てて言った。これだけは宣言しておかないと、話がおかしくなりかねない。自己主張は、ハッキリとすべし。これもまた、今生の父からの教訓だった。
「返せるものであれば、返して差し上げたいのも事実です。ですが、私は返し方を知りません。それに今の私は、私が築き上げた私です。たとえご本人が相手であろうと、この一点だけは変えようがありません」
「だろうね」
心から、力を込めて主張した私に対して、フリージア氏は意外なほどにあっさりとそれを受け入れた。バカな。じゃあなぜ私は、あの場で襲われたのか。あれは私を排除して、成り代わろうとする行為ではなかったのか。
「まずワタシは、謝罪をしなくてはならない」
フリージア氏が、深々と頭を下げる。申し訳なかったと、言葉を添える。その上で彼女は、弁明を開始した。
「あの場へと誘った時には、本当に静かな場所へと誘っただけだった」
「本当ですか?」
私は、フリージア氏の目を見て問う。すると彼女は、重くうなずいた。そして彼女は、言葉を続けた。
「生き人形同士、親交を温めるだけのつもりだった。巡警をかわしたのは、面倒だからだった。キミを襲ったのは」
「襲ったのは?」
「名前を聞いた途端に、すべてが繋がった。ここで始末して、成り代わろうと思った。そうすれば」
ワタシは、私を取り戻せる。彼女はそう言ってうなだれた。
「申し訳なかった。本当に熱くなっていた。思考が過剰回転して、原理原則を無視していた。我に返ったのは、キミに逃げ切られて、しばらくしてからだった」
「え」
私を、衝撃が襲う。つまり、今の彼女には。
「今のワタシには、キミへの害意はない」
フリージア氏は、明確に言った。それから必死に続けた。
生き人形という言葉の意味を知っていること。
私がそうなってからの私の地位は、私が積み上げたものであること。
それを奪ったところで、いずれはボロが出るので、理屈としては無益なこと。
しかしそれ以上に。
「『取り返す』。その思いが、勝ってしまった。申し訳ない」
彼女は、深々と頭を下げた。長い赤髪が、横に垂れている。ヴェロニカ氏が、『どうする?』という目で私を見ていた。
私は息を吸い、次の言葉を組み立てる。この件に関する繰り言は数あれど、今は話を進める言葉が必要だった。長々話せば、このサロンすら危険になりかねない。
「謝罪の件、承知しました。しかし、私には疑問が残ります。なぜ危険を犯してまで、デラミー校内に侵入したのか。私に会いに来たのか。身体を取り返すことが主旨でないのなら、なんのためにここまで来たのか」
私は、フリージア嬢の赤目を見つめた。ここから先が、私の真意だ。
「すべてについて、貴女の言葉で語ってください。それだけが」
「宣戦布告だ」
食い気味に放たれたその言葉は、私を余計に困惑へと陥れるものだった。
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