鋼鉄令嬢とマリーネ・アイアン #4
「で、逃げた結果がこの時間ってわけか」
買い物袋を受け取りながら、ヴェロニカ氏は言う。
一度荷物を置き忘れたものだから大急ぎで全部買い直して、最終の乗合馬車をつかまえる。それらの課題をこなせば、もはや時間は七刻すらも回っていた。
サロンには魔導照明が灯り、それでも居るのは主人一人のみだった。
「はい……」
「まあ、こちらとしては必要条件だけは満たしてくれたからいいとするが……。やはり通信装置というものの小型化は必要だねえ。軽く連絡が取れるだけでも、指示を相応に変更できる」
「はあ……」
考えを巡らせる彼女に、私はついて行けなかった。通信装置の小型化と今回のやらかした状況が、どう結びつくのか。私にはよく分からない。
と、いうよりも私は命の危機にさらされたわけで。それすらも学術の話に持っていかれると、どう反応すれば良いのか分からない。
「うむ。話が脇にそれたね。それにしても、有り得なくもないとはいえ、とんでもない現実と遭遇したもんだねえ」
「ええ……まさか、まさか……」
私は先ほどの光景を脳裏に浮かべる。あまりにも恐ろしい光景だった。
突然、私を始末しようと動いたフリージア……マリーネ・アイアン嬢。後少し反応が遅れていたら。呼ばれた折に、立ち止まっていたら。
私の身体が、震えを覚える。前世のあらゆる怖さよりも、怖い気がした。唯一並ぶとすれば、病状が重い日に抱いた恐怖。『明日が来ない恐怖』だった。
「……。どうする。その震えようでは、寮へ戻るにも一苦労だろう。寮監殿には一筆したためるから、今日はここで休んでいくといい」
はたから見ても酷い怯えようなのだろう。ヴェロニカ氏が、魅力的な提案を差し出してきた。たしかに、私は酷く消耗していた。休めるものなら、休んでしまいたい。しかし。
「……」
レイラ嬢の顔が浮かぶ。彼女にだけは、心配をかけたくなかった。昨日、一昨日と不安を抱かせているだろうに、今日も外泊とあっては、どれだけ心配をされることになるか。そう思うと、今日は意地でも帰らねばならなかった。
「お気持ちだけ、ありがたく頂戴いたします」
そういうわけで、私は首を横に振った。一日の間にどれだけのことが起きようと、私は最後には彼女の元へと帰るのだ。それがきっと、私のあるべき姿で、守るべき日常なのだ。
「……」
ヴェロニカ氏は、黙りこくった。髪を指で弄びながら、なにやら考えている。しばらく考えた後、彼女はゆっくりと立ち上がった。
「翻意を促したいところだが、難しそうだね。茶を用意するから、一刻ほど待ちたまえ。なに、遅刻に関する詫び状は用意するよ」
ゆらりゆらりと、ヴェロニカ氏が歩く。その背中は、それでも頼もしかった。
今の私にとって、その心根までも開陳できる相手は非常に少ない。彼女は、そのうちの一人になり得る存在となっていた。
***
結果だけ言うとその晩は、大変よく眠ることができた。ヴェロニカ氏はなんと、私に薬を処方してくれたのだ。私が購入した材料の中からもいくつかを使用し、安らぎと快眠を促す薬をこさえてくれたのだ。
『本来ならばこのような薬に頼るのは悪手だが、それでも君の場合は非常に問題だ。まずは応急としてこれを飲みたまえ。茶に混ざるタイプだから、最悪隠れても飲める』
促される形で飲んだ薬は、たちまちに震えを止めてくれた。恐怖心も、幾分か和らぐ。成分が気になったが、怖くて聞けなかった。
『うむ。人体とは似て非なる生き人形にも、その原理で効いてくれるのか。これは良い知見を得た』
彼女は、興味深そうに帳面になにかを書き付けていく。なにを書いているのかなど、とても問えなかった。
ともかく。私は帰ってからも同じ薬を服用し、なんとか事なきを得た。寮監殿にはヴェロニカ氏の一筆が功を奏したし、レイラ嬢には少々お小言をもらう羽目になったがどうにかなった。
「……仮にすべてを正直にのたまっていたら、おそらく口も聞いてもらえなかっただろうな」
寮監監視のもとでの単独清掃中、私は一人口の中でつぶやいた。私語は当然許されないが、思考を整理する分にはちょうど手頃な時間だった。
結局なにがどうなったのかと、昨日の出来事を振り返る。
本物のマリーネ・アイアンに襲われかけた。
マリーネ・アイアンは、フリージアと名乗る生き人形になっていた。
フリージアは、ブレデリック院に所属している。
「……」
私は思う。彼女の次なる一手は、対抗戦で炸裂するのではないかと。それが大っぴらに行われるのか、密かに行われるのか。今の私には分からない。唯一できることは、薬に頼ってでも心身の健康を保つことだった。
「手が止まっているわよ。こちらとしては何日追加してもいいけど、その分食堂の方々とかに負担が掛かるわね」
「し、失礼しました!」
いつしか手が止まっていたらしく、寮監からご注意をいただく。朝食の時間を削って行われる個人指導だ。あまり職員の手をわずらわせてもいけない。私は思考を止め、掃除に集中することにした。
***
しかし事態は、私の想像以上に早く動いた。
「あれは……?」
放課後の迫る終業ホームルームのさなか、手持ち無沙汰に中庭を見ていた窓際の生徒が、なにかに気付いた。
「ん?」
「どれどれ?」
すると皆も反応する。貴族子女とはいえやはり若人、好奇心もまた、年齢相応なのだ。もっともかく言う私も、窓際へと向かったのだが。すると目に入ったのは。
「ありゃ、ブレデリックの旗じゃないか」
「そうか、今日は宣戦布告の儀か」
「いよいよ始まるぞ、対抗戦。俺たちも準備しなくちゃ」
私は息を飲む。そうか。もう後六日しか時間がないのか。私は、しきたりに則った古風な集団を見つめる。いつの間にやら、当方からも古風な集団が迎えに出ていた。
「おお、巻物を開いているぞ」
「しきたりとはいえ、なんとも古めかしいな」
「そう言うなよ。俺たちだって、三年になったらこれをやる可能性があるんだ」
口々に生徒たちが言う。そんな中で私は、古めかしい一団をじっと見つめていた。見た覚えのある顔がいないか、精査していた。そして、彼女はいた。一団の末席に、密やかに列を連ねていた。同時に、確かな感触を得る。目が、合った。
「終業の講義は終わっとらんぞ、いい加減に席に付け」
ここで静観に徹していた担任の声が響き、私たちは急いで席に戻った。彼は普段は物静かだが、潮時と見ればきちんと物を言う。事実儀式はほとんど終わっており、彼の見る目は確かだった。
「……」
その後、程なくしてホームルームは終わった。準備期間中の授業予定や生活上の注意が、簡潔に述べられた程度だ。担任の足音が遠ざかるのを待ち、私は教室を抜け出そうとして――
「やはりな」
古めかしい男装束をまとった、赤髪赤目の少女と遭遇した。
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