鋼鉄令嬢とマリーネ・アイアン #3

「ふう。ここなら巡警もそうそう踏み込みゃしないね」


 王都往来のど真ん中で起こったひったくり事件を、ほぼ独力で解決に持ち込んだ謎のスケバン風生き人形。そんな彼女に連れられて来た場所は、先だってお忍び貴族二名に連れられて通った下町とはまた非なるものであった。


「こ、ここは……?」

「デラミーのお嬢には、ちょっと刺激が強いかもしれないね。だが、慣れれば静かな場所だよ」

「はあ……」


 私はキョロキョロと辺りを見回す。ドブや下水のすえた臭いが鼻につくし、どこからか何者かに見張られている気配もする。ありていに言えば、慣れてもお近付きにはなりたくない場所だった。


「……あー、ちょっとそこに立ってな」


 私のそんな思いを察したのか、スケバン風生き人形は立ち止まる。そして靴の踵を、数回荒れ果てた石畳に打ち付けた。するとたちまち、気配が消える。


「え……」

「悪かったね。この辺はちょいとした縄張りだ」

「でも、貴女……」


 私は震える。いかにこの世界にはまだまだ疎い私でも、ブレデリック院の制服――紺色のセーラーに学院の記章――ぐらいは知っている。彼女による制服の着こなしが、その筋では最先端に近いこともだ。なのに、なぜスラムじみた通りを縄張りにしているのか。話がつながらなかった。


「うん。ワタシはブレデリックの者だ。ブレデリックは平民も受け入れる。多少アレコレすれば、造作もない話だね」

「え、あ……」


 これはまずいのではと、私の直感が訴えてきた。

 のこのこと相手のフィールドに突っ込んでしまった上に、王都の裏通りも裏通りだ。対応を一つ間違えれば、明日にはバラバラにされて闇の市場にでも並んでいるかもしれない。いや。世にも珍しい生き人形として、そのまま並ばされるだろうか。

 いずれにしても危険である。私はロケットパンチの姿勢を取ろうとして――


「まあ待ちな。恐れさせたのは悪かったが、ワタシも悪いようにするつもりはないさ」

「はい……」


 彼女に制止され、私は右手を下ろす。しかしそれにしても、制止までの動きが早いような……


「ワタシは耳も勘も鋭くてね。さっきのつぶやき、聞こえたよ。『生き人形……』って、ハッキリとね」

「え……」


 私は驚く。アレが聞こえたとなると、もしかしたら――


「ああ、そうだ。アンタはワタシを目で追えた。そんな芸当ができるのは、およそご同輩ぐらいだろう。ようこそ、エリートの生き人形。ワタシが野生の、生き人形さ」


 赤髪赤目の娘が、ニヤリと笑う。私は、彼女の底知れなさに震える他なかった。彼女は手近な場所に腰を掛ける。私も真似て、腰掛けた。


「まあ……どっから話したもんかねえ」


 彼女は、手持ち無沙汰に長い赤髪を指で弄ぶ。しかし次の瞬間には手を叩いていた。


「そうだ。名前を聞いていなかったし、言ってもいないな。ワタシはフリージア。自分で名付けた、姓もへったくれもない名前だよ」


 その辺に咲いていたからだと、彼女は理由を語る。一体彼女は、どういう生い立ちで生き人形になったのか。私の脳に、疑問符が浮かぶ。

 すると彼女が、口角を上げた。どうやら、本当に勘がいいらしい。


「なんでだと思う? ワタシは目覚めた時、この街で打ち捨てられていた。壊れたか、それとも誰ぞが気に入らなんだか。ともかく、捨てられていた」


 そう言うと彼女は、肩をすくめた。私は、なんと応じるべきか迷った。少なくとも、同情するのだけは違う気がした。その気配を察したかのように、彼女はまた口を開いた。


「同情だけはしてくれるな。ワタシも知らん、過去のワタシだ。そこに同情されても、かえって困る」

「分かりました」

「ありがたい」


 私がうなずき、彼女が軽く笑う。はたと思い出し、私も名乗ることにした。治安をおもんばかって名を偽ることも考えたが、それでは彼女に悪いと切り捨てる。


「マリーネ・アイアン。デラミー校所属の、伯爵令嬢です」


 胸に手を当て、堂々と名乗る。誰にも恥ずかしくない名乗りができたと、思わず自画自賛したくなる。

 だが。私の見た彼女の赤い目は、驚きの色に染まっていた。いや、目だけではない。口もあんぐりと空いていた。今なら何か、物を放り込めそうなほどだった。


「……マリーネ・アイアン」

「はい。マリーネ・アイアンです」


 彼女の復唱に、私も復唱で応える。なにが引っ掛かっているのかは分からない。分からないまま、次の瞬間には目の前から赤い彼女が消えていた。私はほとんどは勘、残りは父との稽古の経験だけで彼女を追う。後ろか!?


 ギィンッ!


 肌の下に確かに潜む、人と生き人形を分かつ硬いもの。鉄同士のぶつかる音がスラムに響いた。にわかに周囲が、騒がしくなった。足音や声が、遠くに響く。


「……やるね。ここで始末できればと思ったんだが」

「なんなんですか」


 小型のナイフを手にした彼女。ロケットパンチの構えを取る私。互いの視線が絡み合う。彼女は口角を上げているが、私にはなにがなんだか分からなかった。応戦したことに間違いはないだろうが、そもそも戦う理由が分からなかった。


「理由はある。あるが、言っても信じられないだろう?」

「信じる信じないじゃないんですよ。そもそも、分からないんですから」


 諦めたように背を向ける彼女に、私は言葉をぶつける。たとえここから生きて帰れたとしても、なにも分からないままでは終わりたくなかった。


「……聞かせてやってもいい。聞かせてやってもいいが、その時に後悔しても遅くなる。それでもいいなら」

「構いません」

「分かった」


 彼女は再び、踵を数回鳴らした。それだけで、周囲の気配が一気に静まる。彼女の支配力が、それだけで分かる。私は密かに、喉を鳴らした。一歩間違えれば、今日が私の二度目の命日だ。脳裏に幾人かが浮かび、そして消える。嫌だなと、素直に思った。


「……ワタシがこうなる前の、本当の名前を明かそう」

「!」


 本能が、聞いてはいけないと警告を発した。あってはならない、万が一どころか那由多の果てにしかないであろう可能性が、脳内に天啓のごとく降り注いだ。

 バカな。それは、それだけは。あってはならない――


。不慮の事故で馬車にひかれて死んだ、伯爵家の令嬢だ」

「――ッ!」


 声にならない声が、私の口からまろび出た。あってはならないはずのことが、起きてしまった。私は、私は――


「ッ!」


 次の瞬間、私は彼女から逃げ出していた。先ほど急に襲われた意味が、一瞬にして分かってしまった。このままでは、あの夢と同じになる――!


「チッ!」


 後ろを見れば、彼女も駆け出していた。速い。私たちは、互いに生き人形だ。本質的には性能の差が勝負を分ける。しかし。


「待て! マリーネ・アイアン! 待て!」


 呼び声に振り向く。このままではまずい。周囲の気配も激しく動いている。このままでは、狩られる――!


「っぁ!」


 私は地面を強く踏み込んだ。ここから出るまで、もってくれれば。踏み込みに踏み込みを重ねる。肺が痛みを訴える。後ろからも声が聞こえる。だが全部無視した。五歩。十歩。二十歩。五十歩。百歩。そして、気付いた時には。


「はっ……はっ……」


 荷物をどこかに置き去りにしたまま、往来の真ん中で激しく息を吐いていた。

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