鋼鉄令嬢とマリーネ・アイアン #2

 結局、顔を洗ってからもその日は寝付けなかった。

 今生の両親やレイラ嬢、そしてあのおぞましい顔をした『マリーネ・アイアン嬢』の顔が浮かんでは消え、とても眠れるような精神状態ではなかった。むしろ寝たらそのまま、取って代わられるのではないかとさえ、妄想してしまうありさまだった。


「ふああ……」


 そんなだから、当然翌日はあくびだらけだった。武士の情けじみて寮監が見逃してくれていたのが救いだったが、食事中にさえ漏れ出るのにはさすがに参ってしまった。しかし――


「二日連続はちょっと困った……」


 現在、夜もど真ん中の二刻半。私はなんと、完全に寝付けなくなってしまったのだ。昨日の夢が、私を捕らえて離さない。意識を手放したら最後、に取って代わられそうで――


「いや」


 私はそこではたと気がつく。本来ならば私は――


に、この立場を返すべきなのでは?」


 ***


 結局。


「そんな理由一つで、この間は黙秘に徹した事実まで打ち明けてくれるのかい?」

「ええ。やむを得ません」


 この日の放課後、私は唯一無二の相談先に逃げ込まざるを得なかった。その名はヴェロニカ・スプーナー。『変人令嬢』の二つ名を持つ、公爵令嬢である。

 彼女にはすでに、私が『マリーネ・アイアンではないこと』を看破されている。ことここに及んでは、すべてを自供してしまうこともやぶさかではない。

 最初の反応に比べて、何というほだされ方だろう。しかしこの件について頼れるのは、やはり彼女しかいなかった。


「ふむう。あまりにもあっさり過ぎて調査用の諸々が不要になってしまったのは悲しいが、生き人形だろうと人の形を取る限りは睡眠は必須だからねえ。これでもお飲みよ。眠気覚ましの成分が入ったお茶だ」


 ヴェロニカ氏がカップを差し出すと、私は一息に飲み干しにかかった。

 普段なら味わって飲むか、訝しんでしまうかするところだ。しかし、今回ばかりは勝手が違う。間断のない眠気の攻撃に、私の心身は限界を迎えつつあったのだ。


「うむ。いい飲みっぷりだよ。しかし乗っ取られるというか、帰ってこられるというか。ともかく、そんな妄想にとりつかれたのはつらいねえ」

「はい」


 私はうなだれた。自分で言うのもなんだが、私だって当人が帰って来られるのなら、身体をお返ししたいという気持ちはある。

 だけど相手は、とうにこの世にはいないのだ。だからどうにもならないし、少なくともデラミー校に来てからの立場はが築き上げたものだ。そのまま渡してしまおうものなら……


「そうだねえ。少なくとも私は、の味方でいたいと思っている。君がマリーネ・アイアン嬢を思うのは仕方のないことだけど、私としては『そんな妄想はどこぞにでも投げ捨てちまえ』というのが心底からの意見だよ」

「はあ」


 言われるだろうなと思っていた言葉を直撃され、私はよりうなだれた。仮にレイラ嬢が真実を知ったとしても、きっと似たようなことを言うのだろう。だって彼女たちと縁を結んだのは――


「足りぬのならさらに言ってやろうか? 私が縁を結んだのは他ならぬだ。今更君が君以外の何かに変わったとしても、それは君じゃない。。だから絶対、悪夢に負けるな」


 重ねて言われる。どことなく気だるげだった彼女の表情は、いつの間にか引き締まっていた。真っ直ぐに見つめられるのは、どことなく気恥ずかしくて。


「む。いけないね。私にしては変に熱が入ってしまった。他言無用ではあるが、そいつが私の心からの意志だ。持っていくといい」

「はい」


 彼女が苦笑いを浮かべると、私もつられて笑ってしまった。それでも、心を強く保つには頼もしい言葉が聞けたわけで。


「ありがとうございます」

「なに、かまわないよ。今から少々、代金を払ってもらおうとしていたからね」

「え? と、言いますと?」


 代金という言葉に首を傾げると、ヴェロニカ氏は力のない笑いとともにサロンを見渡した。いつものように、研究所じみたサロンだった。しかし。


「あっ」

「なに、簡単な話だ。対抗戦が近いせいか、ウチのサロン研究所も開店休業でね」


 気付く。そういえば、放課後だというのにサロンの中に人気がない。こんな時間に彼女と呑気に語らうなど、構成員の皆様に嫌味の一つでも言われそうな光景なのに。


「君も気付いていたろう? かの令息も、ジョッシュくんも、ここしばらく大人しい。君にちょっかいをかけて来ない」

「あ……」


 なんたることだ。なんか最近平和だと思えば、そういうことか。気付いていなかったと言えば嘘になるが、ゴシップ誌の一件以来、妙に静かだったのはそういうことか。


「くふふ。よほどの変人を除いて、今の三年生は忙しい。今はこうして暇している一握りの変人も、半年後は逆にあちこちへと駆り出されるのさ」

「あはは……」


 自虐めいた彼女の言葉に、私は苦笑いを浮かべた。しかし直後、私の手元に一枚の紙片が舞い降りてきた。


「……これは?」

「うむ。そういった事情で今の私には手足になる者がいない。外出許可証は用意するから、ちょっと王都までお使いに出てくれないかね?」


 紙片をよく見れば、茶葉からなにから、なにに使うのか今ひとつ不明なものまでもが記載されていた。


 ***


「ええと、次はガイル通りのお茶屋で東方茶葉の購入……これで最後かな……」


 あの休日以来、ろくに日もたたずに訪れた王都。しかしその喧騒は相変わらずだった。

 時に巡警の手を借り、時に店の方にご教授いただいて、私はそれなりにお使いを済ませていく。多少の遠回りや右往左往はあったものの、それも後少しの辛抱だったった。

 しかしその時である。


「きゃー! ひったくりよぉー!」

「!?」


 耳をつんざくような高音の悲鳴が聞こえたかと思えば、人混みを切り裂き押しのけて走っていく一人の青年がいるではないか。かくいう私も、人に流される形で間合いを開かざるを得なかった。

 追いかけるか? ロケットパンチか? 一瞬思考しかけて、首を振る。ロケットパンチは人混みでの制御に不安があるし、追いかけるにしても人混みから抜け出すのが厄介な上に、荷物もある。近場の巡警は……と、目を巡らせたその時。


「見てるだけの連中はどきな! ワタシがやってやる!」


 一人の少女が、往来へと飛び出した。背丈は私よりも少し低い程度。長い赤髪を、ポニーテールに結っている。元の世界でいうセーラー服に、くるぶしまで隠れそうな長いスカートを履いていた。スケバンスタイルというのが、一番近いのだろうか。


「シャッ!」


 彼女は気合を入れると、石畳を蹴って駆け出した。そのスピードは……速い! およそ人には出し得ないと思えるような速さだった。三〇〇……二〇〇……ひったくりとの差が、みるみるうちに詰まっていく。


「生き人形……」


 私はつぶやく。確信が、すでにあった。人混みから、往来へと出る。その頃には、賊はとっ捕まっていた。巡警数人に押さえつけられ、引っ立てられていく。

 一方彼女は、手持ちカバンを肩から提げてこちらに向かっていた。被害者の壮年女性が駆け寄ると、彼女は気だるげにカバンを手渡して。


「気を付けな。いくら王都だからって、安全だとは限らない」


 すれ違いざまに、言葉を残す。しかし次の瞬間、彼女の目が私へと向いた。近づいて来る。え、え?


「そこのアンタ、ずっとワタシを見ていたね? なにか用? 用があるなら巡警が厄介だ。付いて来な」


 あまりの不意打ちに私は、思わず首を縦に振ってしまった。

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