第六話:鋼鉄令嬢とマリーネ・アイアン

鋼鉄令嬢とマリーネ・アイアン #1

 五の月を迎えたデラミー校は、にわかに賑やかになっていた。普段から力の入っている運動系のクラブがさらに声を上げ、私の所属するブルーグループでも――


「先輩方を応援するフラッグを作りましょう!」

「私、あの先輩を応援してるんです! どうかご一緒に!」


 ちょっと奇妙なまでに三年生の応援に熱を上げる生徒が出てくる始末。まあ、そんな状況の原因は分かっているのだが。


「ブロデリック院との対抗戦が近いですからねえ。うちのグループでも凄まじいですよ、もう」

 夜のとばりが下りる中、私はレイラ嬢と最近の校内について語り合っていた。いつの間にやらこの時間は、私の中でもっとも重要な時間となっている。


「別に気持ちは分かるのですけどね。ちょっと想像よりもものすごい熱でして」

「分かっていても面食らいますよね。でも、かの院との対抗戦は、当校二大行事の一角ですから」


 私はうなずく。今生の父は、自身の母校について詳しく教えてくれていた。その知識が、ここでは役に立った。


「ええ。存じております。半年ごとの対抗戦と文化交流。貴族子女による整然たるエリート校のデラミーと、一般臣民にまで門戸を広げた、身分の混淆による爆発力が持ち味のブロデリック。制服の着こなしからして、ほぼ対極とか」

「そうなんですよ」


 レイラ嬢が手を打ち鳴らす。どうやら正しい知識を述べられたことに、私はほっとした。

 彼女と行う情報交換は、私に欠けている情報を埋めることに役立っている。この世界に関する知識の薄さはやはり、私最大の問題であった。


「しかし主役はやはり三年生。我々一年生の出番は」

「応援と、学年別グループ対抗リレーぐらいですねえ。後は一部の天才が各種競技に出るくらい。三年生が中心になっているのは、明白ですね」


 彼女は口惜しげに言う。レイラ嬢もまた、運動競技のクラブに所属しているのだ。腕は悪くないが、三年生には及ばない。というのが、彼女の評価だと以前に聞いた記憶があった。


「先方は完全に実力主義とも伺っておりますが」

「ええ。噂程度には。生き人形なんていようものなら、たちまち採用されそうですね」

「やめてくださいよ。私が対抗に引っ張り出されそうじゃないですか。万一そうなったら、疲れ果てて動けなくなっちゃいます」


 レイラ嬢の放ったとんでもない仮説を、私は笑って受け流す。冗談じゃない。ただでさえ悪目立ちの影響が今も残っているのに、そんな目に遭ったら目も当てられない。

 たしかに機動力やらは普通の人間には出し得ぬものだろう。しかしが中身なせいか、持久力にはほとほと自信がなかった。元病弱の身に、長時間の運動はご法度なのだ。


「あらあら。それはたしかに大変ですねえ。そういえば、対抗戦では出店もあるんですよ。やはり大きなイベントですからね、出迎える側もきちんとしないと」

「生徒やカフェテリアからの出店もさることながら、この時ばかりは業者も入るんでしたっけ?」


 私に気を使ったのだろう。彼女が流れるように話題を変えてくれたので、私はそれに飛びついた。すると彼女も、また饒舌に語ってくれた。


「はい。なにせ、一般の出入りが認められている数少ない行事ですから。その分保安部の方々は大変でしょうけど、これまでの開催では大きな事件事故はなし。両校の乱闘なんて事案もない辺りが、優秀さを際立たせますね」

「へえ……」


 保安部と聞いて、私は先日のゴシップ週刊誌集団との一件を思い出した。そういえばあの時も、彼らはほとんど抵抗を許していなかった記憶がある。なるほど、翻弄されるばかりではないのか。


「でも、マリーネさんの速さなら対抗リレーには選ばれそうな気もしますけどねえ。生き人形なんて、お互い様でしょうし」

「いやいや、辞退しますよ。流石に生き人形はフェアではないでしょう」

「あら残念。私としては、もう一度あの日の勇姿を拝みたかったのですけど。最近はあれやこれやで朝と夜にしかお話できないですし」

「あ、と……」


 私は思わず戸惑う。こうして直球を投げられると、やはり対応が利かなくなってしまうのが私の弱点だった。多分、彼女は無邪気なのだろう。その無邪気さが、時に私を追い込むのだ。


「ふふ、いけませんね。マリーネさんを困らせてしまいました。」


 胸に手を当て、少々熱っぽくなっていた瞳を、彼女は自分で冷ますように首を振った。私は軽く頬を掻く。私は私で、勝手に困っていただけなのに。そんな私にくすりと笑いながら、レイラ嬢は話を打ち切っていく。


「そろそろ就寝の刻限ですね。ベッドに入りましょうか」

「ええ」


 すでに後は寝るばかりとなっていた私は、もそもそとベッドに入り込む。

 消灯になると、そのまま眠りへと落ち……

 気が付けば、周りになにもない空間にいた。


「え……これは……」


 私は戸惑う。娯楽本か何かで見た、『真っ白い空間』という言葉がよく似合うような場所だった。そんな、私はさっきまで眠っていたはず。ならば、これは夢か。


「戻らなくちゃ」


 口をついて出て来る言葉。そうだ。私は戻らなくちゃいけない。両親の元へ、レイラ嬢の元へ。そう思って走り出そうとした瞬間。足を掴まれる感覚を得た。


「え……?」

「カエセ……」


 聞こえる声に、私は振り返る。そこには――


「ワタシノバショヲカエセ……カラダヲカエセ……。ソコハオマエノモノジャナイ」


 見るもおぞましい姿の、少女がいた。今生の両親に、聞かされた通りの最期。馬車にひかれ、あえない最期を遂げた、の姿があった。


「あ、あ……」


 私はひるんだ。ひるんでしまった。私から、が抜け落ちていくような錯覚に襲われた。身体から制御が外れ、ふわふわと浮かぶような感覚。これは――


「ワタシハ、ワタシヲトリカエス……」


 沼のような場所から這い上がってくるように、『マリーネ・アイアン』が人形へとしがみついていく。私はそれを、見ることしかできずにいた。そうだ。私は。私は。


「マリーネさん!」


 それは、空間の外から響いた。私は思わず跳ねた。霊体のような感覚なのに跳ねるのも変だが、ともかく跳ねた。跳ねて――


「はっ!?」


 ベッドから飛び起きていた。寝間着と肌の間に、じっとりとした汗にも似た感覚があった。無論、生き人形は汗などかかないのだけど。


「どうしました? 物凄くうなされていましたので」


 かたわらから掛かる声に、私はその方向を向いた。大変に心配そうな顔をしたレイラ嬢が、そこにいた。私の右手を、握っていた。そうか、この手と声が。だけど、心配させたくはなくて。


「大丈夫です。ちょっと夢見が悪かったもので……。明日も早いですし、寝直しませんと」

「ダメです」


 それは、私が思うよりも遥かにきっぱりとした声だった。彼女は毅然とした顔で私を引き止め、顔を見つめた。見目麗しい容貌は、消灯下の暗闇でも眩しかった。握られたままの手が、ほのかに温かい。


「そういう時は、大抵なにかがあるのです。寮監に怒られたら、私がかぶります。話せるものでしたら、話してください。話せないにしても、一度顔を洗うなりしてください。そのまま寝直すのは、きっと毒です」

「……そう、ですね」


 私は、絞り出すように言った。彼女の言うことは、的を得ている。しかしだからといって、あんな夢の中身など言えるわけもない。だから。


「ありがとうございます。顔、洗って来ますね」


 静かに手をほどき、お礼を告げて。私は洗面所へと向かった。

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