幕間:覆面公爵は令嬢を語る(三人称回)
王都は王国の人口集積地であると同時に、王国の政府機能を一手に預かる土地である。ゆえに、夜の喧騒とは明確に分かたれた街区というものが存在する。
今宵、彼らは初めてその街区へと足を踏み入れていた。もっとも、彼らにとっては日常生活のほとんどを行う、故郷以上の存在であるのだが。
「それでは、乾杯」
「乾杯」
「乾杯」
厳しく立ち入りが制限された街区の、さらに秘密の守られている街区。その一角の高級店。さらにその奥の間で、彼らはささやかな酒宴を行っていた。すべては企みの成功と、己らの機転を称えるためである。
「しかしキミが席に現れた時は、本当に終わったかと思ったよ」
「あら公爵様、その割には次策の提示が早かったように思われますが。後今回はこのような場に
「キミで良かった、というところだねえ。その点においては、劇場関係者も上手くやってくれたよ」
「公爵様がお見えになられたと聞きましては、伺わないほうが失礼にあたりますので」
「なるほどねえ。これは褒美を弾まなくては」
最初に会話を始めたのは、公爵にして王国宰相。スーダントもといブレッド・スプーナーと、先の劇にて主演女優を務めていた女性だ。
過剰にかしこまるところのない、流れるような会話。すでに、幾度ともなく言葉を交わしていることがうかがい知れる。
「おいおい。ワシを差し置き、早くも睦言の相談であるか公爵どのは。その前にやるべきことがあるだろう。我らがこうする機会も、そう多くはない」
その会話を前にして不機嫌に軽口を叩くのは、公爵にして王国大将軍。トスカナもといアーラン・トルンである。
口の端に軽く笑みを浮かべながら、葡萄酒をあおるように飲み干していく。鼻下から顎にかけて蓄えた髭のごとく、豪放な飲みっぷりであった。
「とと、これは失礼。いかんねえ、これはいかん。ともあれ、我ながらよく機転が働いてくれたよ。キミが戦姿だったのも良かった」
「それはもう。公爵様と聞いて、真っ先に罷り越しましたもの」
「ふふ。キミは……」
「ゴホン! ワシは帰るぞ?」
言ったそばからまたも睦言を交わし始めたブレッドに、ついにアーランは怒気をあらわにした。これにはブレッドも平謝りである。
「済まない。どうもいかんな。久方ぶりなせいか」
「おぬしの悪癖だ。嫌いではないが今はしまえ」
「大変失礼いたしました。大将軍閣下、こちらをどうぞ」
不機嫌に反り返る大将軍のグラスに、主演女優が葡萄酒を注ぐ。その手のことにも手慣れているのだろう。彼女の動きには淀みがなかった。
ちなみに、先刻は
そして彼女と同様に、公爵二人もすでに装いを整えている。民草に変じていた際にも一定の品があったが、装束を整えることにより、他を圧する威厳が備わっていた。
「
「済まぬ。そうしてくれるとありがたい」
一座に詫びる形で、花は席から離れて咲くことを選ぶ。とはいえ、その姿に油断は一切ない。酒席全てに目をめぐらし、彼らの手足として振る舞う覚悟は定めている。それもまた、彼女の矜持であった。
「さて……今回は、たまたまが重なってあのような仕儀となったわけだが。結果的にどう見る、スプーナー卿」
「そうですねえ。おそらく、ジャレッド・アイアン伯には二心もなにもないでしょう。単純に娘を憐れみ、学びの機会を与えたのだと推測しています。されど」
「されど?」
アーランの目が、ギラリと光った。野性、あるいは獣のそれだと密かに謳われる、獰猛な瞳である。輝けるような黄金色が、その野性味をより引き立たせていた。
「……」
「
一輪の花を窺う宰相に、女優はそっと手を差し伸べる。こうした席での不文律ではあれど、確認行為は非常に重要であった。
「ジャレッド伯が気づいているかは抜きとして、あの娘は『マリーネ・アイアン』ではありませんな。下手をすると、生きていた世界すら、違うやもしれませぬ」
「……それは」
流石に驚きを隠せぬ髭面に対して、紳士は口角を軽く上げた。人差し指を軽く立て、生徒への指導めいて口を開く。
「生き人形――正確には【魔導制御式・自動人形】というのは、より厳密には二種類に分かたれます。一つが本来の意味での【魔導制御式・自動人形】。つまり魔導のからくり人形です」
「うむ。機構通りに動くが、死者を偲ぶには良きと重宝されているやつだな」
「ええ。閣下が博識で話が早い。そして今一つが」
「生き人形。つまるところ、魂が入ってしまった人型か」
「ご明察」
紳士が、ニッコリと笑った。しかし彼は、そのまま講義を続ける。
「魔導と魔術の両面から、死者の魂を呼び戻す――技師はこのように謳っておりますが、まあおおよそは上手くいきません。大抵の人型には魂が入らず、入ったとしても」
「膨大な死者から適当に引っ張ってくる。つまるところ、他人の魂であってもおかしくはない、か」
「その通り。ゆえに『現在生き人形をしているマリーネ・アイアンは、かつて人間として生きていたマリーネ・アイアンではない』という推測は、彼女を知り得た者であれば簡単に立つ。問題は」
「そこにひっつけられた、貴様の推論だな?」
そうだろう? と言いたげな髭面の視線を、紳士はまっすぐに受け止める。そしてニッと口の端を歪めた。
「ええ。生き人形は大筋において世に影響をもたらさぬとはいえ、これはスキャンダルですよ。平民とか貴族とかなんて問題じゃない。異なる世界の存在など、未だ教会の異端ですら訴えませんからね」
「ならば、貴様は異端だな」
「冗談。我が変人にして愛娘たる三女とは、およそその手の推測で夜を明かしたことはありますぞ」
「許せ。しかしだとすると、デラミー校……我等が母校は、とてつもない爆弾を抱え込んだことになるのだな」
腕を組み、考え込むのは大将軍。しかし宰相は、まんざらでもない顔をして口を開く。
「そうでもありませんぞ? あの令嬢、己の立場を心得ています。今の生を存分に楽しむことしか、考えておらぬような目でしたからな。それに付随する重みがどうなるかが、今後の課題でしょう」
「ふむ。で、ワシはその貴様の検証作業のために、一日を付き合わされたのか? わざわざあの娘に軽く衝突したのか? そうではなかろう?」
納得しながらもさらに踏み込むアーランに対し、ブレッドは軽く微笑んだ。
「ええ、もちろん。情報と秘密の共有が第一義です。互いにとって、子が執心する対象を見られたのは悪くないでしょう」
「……まあな」
アーランは椅子に背を預ける。ギシリと音が響くが、椅子は偉丈夫の身体をしっかりと受け止めた。すると紳士は、いたずらっぽく言葉を続けた。
「後は久方ぶりに忍んで遊びたかったのが二つ目。いつも通りの政策取引が三つ目、だねえ」
「ふんっ」
アーランは鼻息を鳴らした。彼の意図は、分からなくもなかった。国を二分する公爵二人が、身分をあらわに彼女と接触していたら――その末路が目も当てられないことぐらい、アーランも理解できた。
「どうせ二つ目が本命だろう? あの娘を弄びつつ、核心を暴き、
「どう足掻こうが我々は、体躯の暴力には決して勝てないからね。だから頭を使うのさ。無論礼として、いくつかの政策は譲るさ。そうさな……」
そうして二人は、流れるように謀議へと入っていく。その中身は機密ゆえ、窺い知ることは許されない。だがブレッドは、後に一つだけ後悔を抱くことになる。もっともそれは、あまりにもあり得なさ過ぎて切り捨てられただけなのだが。
本来のマリーネ・アイアンが、どこかで生き人形になっている可能性など、この時点での彼には、とても想定できなかった。
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