鋼鉄令嬢とお偉い様 #5
緊張のあまりに相手の言葉の意味すら読み取れなかった私は、ひとまず脳に待ったをかけることにした。状況を整理しないと、この場での選択を間違えかねない。
一つ。私は今、『ヴォルティス夫人』の主演女優と対面している。
一つ。主演女優はあくまでヴォルティス夫人になりきり、その
さて、どうするか。私は考え込んだ。もしかすると、お言葉――セリフ――とかを望んでも返してくれるのかもしれない。なんなら抱擁――ハグ――を賜るのもいいのかもしれない。脳に様々な展開が浮かんでは消える。
だがここで、思案に一人の少女が割り込んできた。黒髪に銀の目を持ち、私をここへ誘ってくれた少女。親愛なる友人。その名は、レイラ・ダーリング。
「あ、あの……」
私は口を開く。そうだ。彼女は、心の底からここに来られないことを悔しがっていた。だったら、私が彼女のためにできることは。私は手荷物から帳面を取り出し、ヴォルティス夫人へと差し出した。
「名の書き付けを、所望いたします……!」
精一杯に腰を折り曲げ、最敬礼で頭を下げる。すると頭に、硬くも温かい感触がした。ざりっと軽く、撫でられる。
「姫様の命とあらば、如何ようにでも」
それは私の心に染み渡る、非常に温かく、力強い返事だった。
***
およそ一刻後。私は初老二人と城門まで向かっていた。乗合馬車が来るまでは後少し。出る側の検問も一応あるので、もうそろそろ到着しなくてはならなかった。
「それにしても買い込んだねえ」
「遅刻と破産が、心配になっちまうほどだったぞ? あそこでワシらが引き剥がさなんだら、どうなっていたやら」
「仕方ないじゃないですか。あの女優さん、素晴らしい方だったんですから。家の方にも、伝えなくちゃ。贔屓しちゃいそう」
私は、同乗者の迷惑になりそうなほどにグッズを買い込んでいた。
それもおおよそは、主演女優氏のものである。レイラ嬢への土産でもあるが、おそらく七割は自分向けであった。
端的に言えば、『沼に落ちた』のである。『推し』の誕生である。まさか前世があんなだった自分にこのような機会が訪れようとは。人生とはまったく分からないし、人間とはちょろいものである。ありがとう。今回の一件で私は人間への理解を改めた。いや、厳密にはもう人間ではないのだけど。
「こうも楽しそうな姿を見せられると、こちらも笑顔になるねえ」
「おうよ。ところで姫、一ついいかい?」
「はい?」
私は、初老二人によって現実へと引き戻される。振り返ってから見つめた二人は、追い剥ぎ騒動の時よりも真剣な目をしていた。自然と周囲の雑踏が視界から消え、二人に引き込まれていく。
「少々脈絡のない質問で失敬だが、姫君は今を、デラミー校での生活を楽しんでいるかね?」
「……へ?」
本当に脈絡のない問いかけに、私は一瞬面食らった。しかし質問を放った初老の紳士も、相棒たる軍人崩れも、まったく真剣な目をしていた。だったら、答える言葉は一つしかない。
「楽しいですよ?」
問うように答えを放って、一呼吸置く。ここ一ヶ月ほどの、数々の情景が浮かび上がる。いくつかの心残りはあるが、やはりおおむね楽しい光景だった。嬉しい光景だった。
「デラミー校に入って一ヶ月。まあ色々とありましたけど、楽しんでいます」
今生の両親が浮かぶ。レイラ嬢が浮かぶ。ジョッシュ氏、ヴェロニカ氏も脳裏に上る。ブレンドン氏や寮監、学院保安部の面々もやって来る。しまいにはあの令息が浮かび掛けたので脳裏から叩き落とした。今のところ、彼の姑息さを許すつもりはない。今後については、分からないけど。
「察しは付いてるでしょうから言いますが、父上は若くして生き人形となった自分を、大変不憫に思ってくれました。だからこそ、私をデラミー校にねじ込んでくださったのです」
そのままの勢いで、思い出話に流れ込む。父は本当に、本当に私を不憫に思ってくれた。
正体というか、中身が違うことを明かしてさえも、マリーネ・アイアンとして扱ってくれた。これを恩と思わずして、なにが恩であろうか。だからこそ、私は。
「だからこそ、私は決めています。私は、私の人生を謳歌すると。デラミー校での生活を、目一杯楽しむと」
そう。最初こそはおぼろげだったが、騒動に巻き込まれてから軸を定めたその言葉。『私は、私の人生を謳歌する』。あの学校で目一杯に過ごすことこそが、なによりの恩返しとなる。そう信じて、私はこれからも過ごすのだ。
私は胸に手を当て、堂々と言ってやった。
「……唐突な問いに対しての真剣な答え、まことにありがとう」
「うぬはあまりに唐突がすぎる。おそらくは見識の拡大だろうが、もっと言葉を使え。姫が困ったらどうするつもりだったんだ」
スーさんの安堵が滲んだ声と、トッさんの荒っぽいツッコミ。同時に喧騒が戻ってきて、私ははたと時間がギリギリであることを思い出した。
「あ、あの! すみません! 時間いっぱい、で。今日は、ありがとうございましたっ! 楽しかったです。」
荷物を持ったまま、深々と頭を下げる。精一杯の謝辞を込めると、向こうからも温かい言葉が返ってきた。
「なぁに。今日は騎士の気分にさせてもらったぜ。こいつのお陰で、お貴族様のような体験もできちまったしな」
「姫君に護衛じみて従えたのなら、ありがたき幸せ……といったところですかな?」
分かる。二人の笑顔が見える。きっとトッさんは気恥ずかしそうに、スーさんは芝居がかった風で、笑っているのだ。だけど私には今、それを見ている時間さえもない。だから私は一息に背を向け、振り向くことなく走り去った。
***
そんなわけで夜。寮の自室にて。お土産とグッズで部屋を埋め尽くしかけた私は、親愛なる友から盛大なお説教を受ける羽目となっていた。
「たしかにお土産は欲しかったですけど、なんで主演女優にはまり込んでるんですか? いや、はまるのは仕方ないのですけど、際限を考えてください。乗合馬車でも、辟易されたでしょう?」
「はい……」
帰りの馬車での、刺さるような視線を思い出す。当たり前といえば当たり前だ。しかしあの時点では、胸がいっぱいのあまりに気が大きくなっていた。今となっては、恥じ入るばかりである。
「……分かっているのでしたら、次回は気を付けてください。ご実家に送付なさるなどして、ここの荷物は減らしていきましょう。それよりも。私、気になるんですよね……」
「ほえ?」
唐突な疑問符に、私は思わず変な声を上げた。いや、こうなった顛末は語ったし、まあおかしな所もないわけではなかったけれど。二人はその折、きちんと説明してくれていたはずだ。
「いえ、その二人の殿方ですよ。追い剥ぎを叩き伏せる強さはさておきまして。国立大劇場の最高級席なんて、ちょっとやそっとのお金で取れるはずがないのですよ。なにせ、本来は上級の貴族向けなのですから」
「はあ」
私は生返事をしてしまう。スーさん……スーダント氏は自身のことを小金持ちとおっしゃっていたけども。
「手違いで主演女優の方がいらしたというのも、おかしいです。仮に手違いにしても、あなたの思っている手違いの形とは違う、というのが可能性が高そうです」
「と、言いますと?」
聞きながら、私は尋ねた。なんかホラーな予感もするが、聞かないほうがよけいに怖い。私は対談用の机に身を乗り出しかけ、ストップを食らう。そうだ、机にもグッズが乗っていた。
「さっくり言いますと。そのスーダント氏という方は、おそらく名のある貴族の方ですね。名前を出して最高級席を手に入れ、お忍びであることを伝えていたのでしょう。ところが」
「そのお忍びが、上手く伝わらなかった?」
「ええ。主演女優氏はおそらく、普段はスーダント氏にご支援を頂いているのでしょう。挨拶のつもりで、席に現れたのだと思われます」
「はぁ……」
私は、レイラ嬢の推理に感銘を受けた。しかしそうだとすれば。
「って、ことは。もしかして、トスカナ氏も?」
「でしょうね。ちなみに、お名前も偽名の可能性が高いかと。今回は悪意のないお方のようでしたが、次回からは気を付けたほうがいいでしょう」
「はい……」
あまりにも明快な回答に、私はがっくりとうなだれる。だが直後、レイラ嬢は打って変わって笑顔を見せた。
「しかしながら。主演女優様のお名前の書付、まことにありがとうございました」
「……どういたしまして!」
都会の怖さと反省の意、そして心の通じた喜びにひたりつつ、休日の夜は静かに更けていくのだった。
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