鋼鉄令嬢とお偉い様 #4

 扉を叩いてから入室の許可が下りるまで、およそ数秒の間があった。些細、と言えばそれまでだったが、やはり気にかからないわけでもない。

 もっとも、そんな雑感もスーさんのデリカシーの無さで吹き飛ばされたのだが。


「おぬし、それは世の淑女たちに取り囲まれて叩かれるぞ……」


 恐ろしいことに、その辺には頓着のなさそうなトッさんがドン引きである。つまるところ、それだけのセクハラなのだ。


「いや、済まない。これから劇も始まる頃合いだからね。クライマックスのさなかに中座では、なんとも惜しいではないか」

「仰っしゃりたいことは分かりますが、淑女への礼としては非常に悪質であるかと」


 スーさんは冗談めかして苦笑いを見せるが、こっちとしては冗談どころではない。

 これでも私は、伯爵令嬢なのだ。非礼に対してきっちり詰められなければ、今後も非礼で応対されてしまう。

 私は視線に意志を込め、言葉をもって彼へと伝える。幸い彼には、それを解する能力があったようだった。


「……まことに相すまなかった。後日、寮にお邪魔するかね?」

「流石にそこまでは求めておりません。謝罪のこころざしさえ、頂戴できれば」


 本格的な謝罪についてまでは固辞して、私は椅子へと戻る。やはり姿勢は、手すりにもたれかかる形になってしまった。なにはともあれ、劇場の幕が上がろうとしていた。


 ***


「……」


 二刻後。私は劇の幕が下り、カーテンコール――これまたテレビの向こうから得た知識に近いけど――が終わってなお、私は魔導画面から視線を離せずにいた。化粧室での思考とか、二人の正体とか、そういった諸々が全部吹き飛んでいた。

 やはり人生初体験に近いというのが、私をそうさせたのだろう。しかしなにより演目が『ヴォルティス夫人』だったことが、より私を引き付けた。

 そう。あの舞踏会のためにさんざん聴き込み、解釈を取り込んだあの曲の元ネタである。その戦ぶり、勇壮ぶりなどは演劇調に強調、省略こそされてはいたものの、私という人間を惹きつけるには十分だった。


「うむ。やはり大公演だと演目も大衆寄りになるな。筋も単純だ。だが、そいつがやはり良い」

「そうだねえ。『ヴォルティス夫人』はその点において実に強い。そもそもかの夫人が世紀をまたいで愛されるのは……」


 そんなこんなでポーッとしていると、後ろで二人が会話を始めた。常なら気になるであろうその会話も、今は耳を通り過ぎていくばかりだった。


さかしらを出すのはやめい。興が削がれるじゃろうが」

「せっかくなので解説を入れてやろうと思ったらなんだと!?」

「余韻に浸っている姫がいるだろうが。空気というものをせ」

「む……ならば、この部屋の特権でも使うかね? 一人までなら多分」

「あ、えーと……今ここで見れた分で、十分なので、良いです。はい……」


 話が意外な方向へと流れたので、私は二人を止める。

 たしかに、俳優と会えるのはこの部屋に相応しいサービスだと思う。思うが、うっかり素の姿など見ようものなら、余韻がまるごと吹っ飛びかねない。そんな恐怖が、私を押し留めた。


「なんじゃ、つまらんのう。いや。確かこの手のは、お貴族様が贔屓を呼びつけて金や褒美を与えるのに使うものだったか? だったら今の姫には適さぬかもな」

「はい……」


 私はまたも頬に熱を感じながら、サービスを固辞した。たしかに伯爵家の姫にはあたるのだが、どうにも姫様扱いには慣れないものがあった。

 私とトッさんが話しているかたわらで、スーさんは部屋の後始末に従事している。しかしその時、突如部屋の戸が叩かれた。


「なんだねなんだね?」


 スーさんがいそいそと扉へ向かう。しかしわずかに開けた後動きが固まり、そのまま逆に向こうへと消えてしまった。


「なんじゃあ? 厠か?」

「さあ……?」


 私達は顔を見合わせる。なにが起きたのか、全く分からなかった。思い当たることはないでもないが、それは先ほど断りを入れたわけで。しかし、戻って来たスーさんの言葉は、私の予想を裏切っていた。


「いやあ……手違いってのは、恐ろしいものだねえ。劇場側が気を利かせたのか知らないけれど、なんと主演が来てしまったよ」


 心底から参ってそうな顔でスーさんが額の汗を拭く。そしてその後ろより入り来るのは。


「我が剣、我が心。ともにジェネラル・サンライトに捧げる! 我らは生涯、ともに在らん事を天に誓おう!」

「えええええ……!?」


 なんと本公演の主演女優、ヴォルティス夫人役を務める女性だった。私は驚きのあまりに卒倒しかけ、トッさんの太い腕に支えられる。彼はそのまま、慌ててスーさんに抗議をした。


「おいおいスーさん! ワシらには褒美を出すような甲斐性はないぞ? チ、チップならある程度はあるが、主演女優様にはとても……」

「ああ、その点は問題ないよ。外で話し合ったけど、今回は劇場側の手違いってことで、あくまでサービスだ。彼女も同意の上だよ」

「む。そういうことだ」


 ヴォルティス夫人が、大きくうなずく。こうなってはトッさんも引き下がらざるを得なかった。私を立たせると、ヴォルティス夫人の前に連れて行く。

 戦姿に身を固めた彼女は、私よりもほんのすこし大きくて、遥かにいかめしく、ゴツく見えた。


「こうなっちまったら仕方ねえ。姫がこの機会を楽しんじまえ」

「あ、あ……」


 トッさんが背中を押してくれているのに、私は言葉を失っていた。先ほどまで画面の向こうのいたはずの人が、今ここにいる。仕方のない話だけども。

 私よりも大きく、雄々しい夫人。あの舞踏会で私が表現したよりも、遥かに男優を引き立てていた夫人が、私の前に片膝をついた。

 それが騎士としての礼であることに気付くことに、私は一瞬の間を要してしまった。


「この度はわたくしの戦ぶりを拝見いただき、恐悦至極」


 女優、いや、夫人の整った口から。艶やかな口上が述べられる。事前に打ち合わせでもしたのか、彼女はあくまでもヴォルティス夫人としての振る舞いに徹していた。


「はい……」

「御礼に、姫君がお望みになるものを、この場にて用意いたしましょう」

「は、はあ……」


 緊張している私は、夫人の言葉の意味に気付けない。言葉少なに、返事だけにとどまってしまう。


「姫。ヴォルティス夫人はこう申しております。『観劇の御礼に、姫に奉公をしたい』と」


 彼女の言葉がファンサービスの意味だと気付いたのは、スーさんからの芝居がかった援護を受けてからだった。

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