鋼鉄令嬢のとある一日 #2
「先日はどうも。お陰様で、私も楽しく踊れました」
「……詮索無用の取り決めゆえに、私は踏み込まないつもりでしたが。でも、それはよかったです」
カフェテリアの喧騒から外れ、私たちは大講堂の地下を目指していた。相手はブレンドン・オブライエン氏。
昼休みが始まった途端にクラスを訪れた彼によって、私の昼休みは暗転してしまった。
「『私は、『今一つ』で参ります』。あの言葉を聞いた時、私はゾクッとしました。貴女の気迫が、こちらにも伝わりましたので」
「ありがとうございます。それで、用向きはなんでしょうか。私は空腹なのですが」
「まあ、そうおっしゃらずに……あちらです」
私は空腹を訴えるが、彼は容赦しなかった。用があるとの一点張りで、私は押し通されてしまった。結果、大講堂の地下で目にしたのは――
「……入学式の日は、申し訳なかった」
非常にバツの悪そうな、見たことのある顔だった。肩辺りまでの金髪に、端正な顔。私よりも頭一つ分背は高い。間違いない。あの日、足を刈り倒した上級生だ。
「……アレにつきましては、私も無礼を働いてしまいました。申し訳ありません」
血が沸騰するような錯覚を押し殺しながら、私は非礼をわびた。
前世なら、下劣なる男子への報復として話が通る可能性もある。しかし今は、そもそも生きている世界が違う。怒りのままに振る舞うのは、話が違うだろう。
「……改めて紹介します。私の主人、伯爵令息ジョッシュ・メイスフィールド様であられます」
「よろしく。ジョッシュと呼んでくれると、俺……いや、私としては嬉しい」
「アイアン伯爵が一子、マリーネと申します。そのままお呼び頂ければ」
距離を測りかねているのか、それともフランクに接したいのか。ジョッシュ氏の口調が、一瞬変わりかけた。どうやら、あの日の態度のほうが素のようである。
「して、用向きは」
「顔を合わせたかっただけ。謝罪したかっただけ。そう言ったら、失礼になるだろうか」
金髪の貴公子は、目をそらしながらに言う。どうやら、悪気があったのは本当らしい。かたわらに立つ臣下に目を向ければ、それが事実だと言わんばかりに真剣な瞳をしていた。
私は、意図を測りかねた。公の場での謝罪が、彼のメンツにかかわるのはよく分かる。しかしわざわざ、臣下に引き合わさせる必要があったのだろうか。
「……謝罪は受け入れますが、分かりかねます」
「どういうことでしょう」
問われて、私は考える。しかし言葉はまとまらない。仕方なく、私はアクセルを踏み込むことにした。その途端、口は一気に回り始めた。
「謝罪の意志は理解しましたが、意図を測りかねています。先日こちらのブレンドン氏を遣わしたのも、結局は貴方ということですよね?」
一拍置くと、彼は即座にうなずいた。それを確認してから、私はさらにヒートアップした。
「分かりません。あの日声を掛けてきた貴方と、私を助けようとした貴方。そして今、私に謝罪をする貴方。全てがまったくつながってこないのです。そしてなにより。なぜ謝罪の取次に臣下の方を挟んだのか。心の底から悪いと思っているのでしたら、ご自分で私のところにいらっしゃれば良いのではありませんか?」
「……」
ジョッシュ氏は最初に息を飲み、そして黙りこくった。
側近の一人であろうブレンドン氏も、これには助け舟を出さずにいる。いや、彼自身も心に引っ掛かっていたのか。そうして、しばらくの時が過ぎて。
「……こりゃ弁解のしようもないや。なにせ全部が全部、俺っち自身の決断だからねえ。今回ブレンドンを遣わしたのは、実際俺っちのプライドが悪い。申し訳なかった」
疲れ切ったかのように、ジョッシュ氏は口を開いた。同時に、身体や態度からも力が抜けていく。口調があの日のそれに変わり、やや馴れ馴れしくなった。
「そう思うのでしたら、私を解放してください」
「そうはいかない。せめて一つだけ、伝えたいことがある」
言うや否や、ジョッシュ氏が動いた。私を素早く壁へと押し付け、逃げられないように右腕を伸ばして閉じ込めたのだ。
俗に言う、壁ドンである。私にとってはテレビや娯楽本でしか目にしたことのない、未知の事象だった。
「……」
ジョッシュ氏の端正な顔が近い。頬が熱を帯びるような感覚を得る。心臓に当たる部分が、早鐘のようにドクドクと動く。
【魔導制御式・自動人形】は、人間のそれに近い構造をしている。話としては聞いていたが、ここまで近いと怖くなる。それとも、私が魂となっているからだろうか。ともかく、私は非常にドキドキしていた。させられていた。
「俺っちは案外、君を気に入っている。そして、味方のつもりだ」
口角を上げたキメ顔が、私に襲い掛かる。カーッと感情を高ぶらせた私は、思わず――
ドンッ。
彼を、強く押してしまった。右の手で、ハッキリと。彼の身体が後ろに傾き、たたらを踏んだところでブレンドン氏が彼を支えた。しかも片手には、小刀を握っている。護身用のナイフだろうか。
「ジョッシュ様! ……おのれっ!」
片腕で主君を支え、片腕で私に敵意を向ける。臣下の鑑たる、強い姿。しかし急にぶつけられた敵意は、私をさらに混乱させた。
「ちが、そのっ……」
「ブレンドンいけない! これ以上は刃傷沙汰になる!」
ジョッシュ氏が、私とブレンドン氏の間に割って入る。その態度が、私をさらに混乱させた。自分でもどうしたいのか分からなくなり、結局――
「っ、ぁ。ごめんなざいっ!」
叫んで、私は駆け出していた。意図せぬ筋力と、事態への混乱がそうさせてしまった。もはや空腹なんてお構いなしに、私はとにかく人のいない方へと走っていった。
後に私は、この決断を酷く後悔することになる。だが今は、混乱でいっぱいいっぱいだった。
***
「ぜっ……ぜっ……」
自分でも、現在の所在は分からなかった。どこをどう走ったのかも、分かっていない。ただ一つ分かることは、いずれかの校舎裏である。それだけだった。
「はあ……はあ……」
私は、必死に呼吸を整えていた。午後の学業は、いつ始まるのか。それすらも、今は分からなかった。
「害意は、害意はなかった、のに」
リミットを越えてしまった右腕を眺める。感情が高ぶり、ジョッシュ氏をどかそうとしてしまった。それだけだった。だというのに、その腕は――
「どうしたら良いのだろう……」
壁に身体を寄せて、空を仰ぐ。建物の影ということもあるのだろうが、空はどことなく曇っていた。様々なことがいっぺんに押し寄せたせいで、酷く判断が鈍っていた。
だから、近寄って来る人の気配にも気付けなかった。
「顔色が悪く、呼吸も荒い。ひとまず、休息をおすすめするよ。私に付いて来ると良い」
声のかかった方角を見るとそこには、白衣にブレザー、無造作なショートヘアをした人物が立っていた。
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