幕間:観閲者たちは密かにうごめく(三人称回)

「どういうことだぁっ!」


 宴は終わり、すでに夜は更け、就寝の時間も近い。にもかかわらず、公爵令息カッタータ・トルンのサロンには魔導照明が輝いていた。


「どういうことだと言っているっ!」


 カッタータが声を荒らげ、机を薙ぎ払う。本来であればそこには、祝いの果実酒が並ぶ予定であった。かの伯爵令嬢マリーネ・アイアンを貶めた、喝采を叫ぶ場になるはずだった。しかしその目論見は、もろくも崩れ去った。

 ちなみにデラミー校では飲酒は大罪とされている。だがその程度は、権力でどうにでもできる話だった。就寝時間の無視も、似たような理屈である。


「あの場では人目があるからなんとかこらえたが、サロンまで来たからにはもうはばからんぞ」


 カッタータが怒気をあらわに周囲を睨む。取り巻きたちのほとんどは、皆固まっていた。固まっていないのは、数人ほどの同級生のみだ。

 伯爵令息のジョッシュ・メイスフィールドに至っては、手鏡を相手に金髪を整えてすらいる。その余裕ぶりには、同級生たちも内心で舌を巻いていた。ちなみに、茶髪の配下は今日はいない。彼は今、自身の寮にて疲れを癒やしていた。


「曲目が初級ばかりではなかったゆえ、すり替えは行わなかった。結果からすれば言語道断だが、未来予知は魔術でも不可能。よって、今回に限り許すこととする」

「ありがたき幸せ」


 過日すり替え役に名乗り出た三年生が、うやうやしく頭を下げた。内心ははかり知れぬが、さぞかし咎めを逃れてホッとしていることだろう。彼はもう一度だけ、うやうやしく頭を下げた。


「しかし」


 カッタータの目が、ある一点へと向く。場の全員も、そちらを向いた。矛先は、ジョッシュ・メイスフィールドである。彼が推挙したのは、恥をかく彼女をさらに貶める引き立て役だ。にもかかわらず。


「メイスフィールド。君が用意した彼、ブレンドン・オブライエンはなにをした? あの金髪縦ロールツインテールを、さらに引き立てていたではないか! なぜ彼女の支援に回っている? 結局一組だけ際立ち、万座の拍手まで頂いていたではないか!」

「ええ、おっしゃる通りですね」


 しかしジョッシュは、カッタータの怒りを受け流した。烈火に対して、そよ風で吹き流す。そんな態度であった。当然、カッタータの憤激はさらに悪化した。


「おっしゃる通り、だと!? メイスフィールド、君は失策を犯したのだぞ。本来であればこうべを垂れ、慈悲を乞うのが君のとるべき行動だろう。それとも、君は私に二心ふたごころがあるのか? ならば聞こう。父上たちに関係なく、この場で手を打とうではないか」


 怒れるままに、さりとて決定的な亀裂は走らせまいと、硬軟の両面からカッタータはジョッシュに迫った。

 場の皆が、固唾を飲む。仮に二人が割れれば、自分たちもどうするかを定めねばならないからだ。カッタータに付く者が多いだろうが、場の流れを見極めねば死に至る。彼らは皆、貴族の子弟である。そのくらいのことは心得ていた。

 とはいえ、それはあくまで『仮に』である。ジョッシュがここでサロンを割ったところで、自分が不利になることはわかっているはずだ。ゆえにジョッシュは、カッタータに許しを乞う。誰もがそう、信じていた。


「二心。あると言えば、ありますな」


 だからジョッシュがその言葉を吐いた際、皆の心は大いに揺らいだ。仮として留め置いていた決断を、掘り返された気がした。

 無論であるが、カッタータの憤激は最高潮に達した。つばを撒き散らし、ジョッシュの眼前でカッタータは舌鋒を振るった。


「二心があるだと? ほう。申してみよ。仮に私が得心できるものであれば無礼を許すが、無理無法の極みであった場合はもはや許して置かぬ。あの臣下ともども、二度とこのサロンに足を踏み入れられぬと思え!」


 ジョッシュはその整った相貌につばを浴びてなお、怯む様子を見せなかった。怒れるあまりの早口がおさまると、彼は近くのナプキンで顔を拭った。そして引くでもなく、言葉を返した。


「では問いましょう。あの娘御、伯爵令嬢マリーネ・アイアンを貶める。それはまあ、良しとしましょう。トルン様のお怒りも、承知しておりますので」

「で、あろうな」


 自身を肯定されて、カッタータの顔がわずかに緩んだ。人間、自身を肯定されて喜ばぬ理由はない。だがジョッシュの言葉は、まだ一歩目にしか過ぎなかった。


「されど。かの曲に対して通り一遍ではなく、より難易度の高い解釈と舞踊を披露した者を、こちらから手を下して貶める。それは正しからぬ行為ではありませぬか? 少なくともこのメイスフィールド、そのような行為を配下に指示はできませぬ!」


 誇り高く、彼は叫んだ。つばを吹きかける無礼を恥じ、三歩の間合いを取る余裕も添えてだ。さりとて彼は胸に手を当て、己に恥じることなく意見を吠えた。その清々しさに、周囲の者たちですら賞賛を贈ろうとしかけていた。


「……」


 カッタータが沈黙する。周囲の目が、彼へと降り注いだ。メイスフィールドの誇りを、いかに処断するのか。その行動一つで、彼の器が定まってしまう。


「たしかに。ああ、たしかにそうだ。メイスフィールド、君は間違ってはいない。あの場で直接手を下せば、巡り巡ってこちらの品位に傷がついてしまう。認めよう」


 一刻かとまごうほどの沈黙を経て、ようやくカッタータは口を開いた。大きくうなずき、拍手までした。

 しかしメイスフィールドは分かっていた。周囲の者も分かっていた。彼の目が、まったくもって笑っていない。


「ゆえに、二心の公言は不問としよう。されど。次なる企てを持ち来たるまで、このサロンに足を踏み入れることまかりならぬ」

「……承知しました」


 メイスフィールドが片膝をついた。拝命を示す行為である。周囲の者は、誰一人として動けなかった。庇い立てすれば自身にも罪過が及ぶ。なにより、メイスフィールド自身が咎めを受け入れていた。その決意を汚せば、彼の誇りに傷がついてしまう。


「失礼します」


 メイスフィールドはわずかな手荷物をまとめると、そのままサロンから去っていった。誰一人として、言葉はかけようとはしなかった。その背中が見えなくなった後、カッタータはもう一度だけ、テーブルを強く叩いた。


 ***


 そのサロンは、サロンというよりは研究所という趣きが強かった。使途不明の魔導研究機器が並び、異様さを際立たせている。その最奥、分厚い本に囲まれて、この場所の主人は佇んでいた。座り心地の良いソファが、彼女に心地よさを与えている。


「生き人形の噂を聞いて足を運んでみたけど、儲けものだったねえ」


 短い前髪を手繰りながら、彼女は言葉を放つ。

 その装いはあまりに異様であった。ブレザーの上に、よれた白衣をまとっている。おまけに髪は、無造作なショートヘア。令嬢としては、およそあるまじき姿だった。


「マリーネ・アイアン。まあ周囲は構成員みんなに洗ってもらうとして……」


 薄暗い室内でありながら、彼女の周囲にはたしかに光が漂っている。彼女お手製の、魔導光源であった。


「非常に興味深い、研究対象だよ……。近々、招待状を送らないとね……」


 スプーナー公爵家三女、ヴェロニカ・スプーナー。トルン公爵家と同格に立つ三大公爵家の家格を持ちながら、学内では『変人令嬢』として名高い人物であった。

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