鋼鉄令嬢と仮面舞踏会 #5

 会議は踊るとは、誰の弁だっただろうか。私は無学ゆえに思い出せない。しかしこの場は会議ではなく、舞踏会である。ゆえに踊れば進み、時は流れる。

 私はひたすらに反復したステップに集中しつつ、男性のリードに応じて流れを乗り切っていく。抵抗心だけでつまづいてしまえば、晒し者どころか笑い者だ。


「ありがとうございました……」


 緊張の一曲目。その終わりに、再びかすれた声を拾った。いや、こちらこそ感謝しなければならない。私のような緊張を、誰もが背負っている。君はその事実を、私に思い出させてくれた。

 胸に事実を刻みつつ、私は次の相手を待つ。このパートナー探しも、また難しい。母上に聞くによれば、女性はひたすらにアプローチを待つものだという。

 つまりアプローチがなければ、その時点で良縁もへったくれもない。ただの敗残者となってしまう。それは晒し者にされるよりも悲しい結末だった。

 舞踏会、下手をすれば戦場よりも恐ろしいのではないだろうか。


「よろしいですか?」


 だが幸いにして、次なるパートナーは姿を見せた。あるいは男女同数かもしれない。ともあれ少年は姿を見せ、私はその手を取った。

 後は曲にそって踊るばかり。ステップとリードの方向だけに集中し、ひたすら流れに乗っていく。言葉だけだと簡単だが、大人数の中での立ち回りは困難を極める。

 時々ぶつかりかけ、ステップに乱れが生じた。どこかで見ているやもしれぬ、かの令息に高笑いされていそうだ。

 とはいえ、余計なことを考えていればさらにステップは乱れる。今はひたすらに、集中するほかなかった。


「スロースロークイック……ステップステップ」


 口の中でつぶやきながら、それでいて必死さを見せることなく足をさばく。困難極まりない行動に、意識が飛んでしまいそうだ。否、実際飛んでしまった。ひたすらに集中していたせいか、意識が覚醒した時には四曲目が終わっていたのだ。

 しかし、特段のトラブルが起きた様子はない。どうやら私は、やり遂げたようだ。だが終わったわけではない。最後の曲、五曲目で失敗すれば、すべては水の泡である。私は魔導音響で響く音の流れに、耳をそばだて……勝利を確信した。

 流れ来たるは『ヴォルティス夫人協奏曲』。数百年前。武勇に長けたとある貴族の愛人だったという、これまた男勝りの武勇を有していたとされる女性を歌った曲だ。女性は生涯をその貴族に捧げ、生死を戦場でともにしたという。その生き様は今も様々な形で称揚されている。……と、レイラ嬢から聞かされた。


『だからこそ、この解釈は成り立つのです。少々俗説寄りではありますが、分かる方には分かります』


 レイラ嬢の言葉を、繰り返す。日和る理由は、どこにもなかった。


「よろしいでしょうか?」


 現実に引き戻す声を、聴覚が拾った。慌てて顔を上げると、そこには――一瞬声が詰まりかけるが、息を吐いてごまかした。


「どうぞ」


 男の手に手のひらを乗せる。男が立ち上がる。詮索は無作法ではあるが、私は確信していた。整えられた茶髪に、青が基調の蝶の仮面。ブレンドン・オブライエン。これで間違いだったら、もはや自分を笑うほかない。きっと彼ならば、私の意志に気がつくはずだ。


「私は、『今一つ』で参ります」


 彼の耳元に、小さく告げる。すると彼は、小さく首を縦に振った。


 ***


『『ヴォルティス夫人協奏曲』は、殿方の武勇に付き従い続けた、女の鑑を描いた曲と言われることが多いです』


 特訓に入る前に告げられた、レイラ嬢の語りを思い出す。私は一つ、大きなステップを踏んだ。殿方からのリードを崩さず、さりとてただの添え物にならないように。

 今回行う解釈の要諦は、『殿方を盛り立て、さらに引き立たせる』ことにある。『ペアが揃って輝き、大輪の花を咲かせる』ことが根幹なのだ。


『ですが私には、俗説ながら憧れる解釈があるんです』


 彼女が、なだらかな胸に手を当てたことを思い出す。あれはレイラ嬢が、熱情を表現する時にしぐさの一つなのだ。今になって、そう気付いた。

 若干の後悔を噛み締めつつ、ブレンドン氏のステップに乗る。私よりも大きい彼に合わせたからか、私の身体は軽く跳ねた。

 私は心中で言い聞かせる。大丈夫。機械の身体はヘタレない。着地。足をステップさせる。やっぱり。私は【魔導制御式・自動人形】なのだ。


『『ヴォルティス夫人が武勇をもって殿方を引き上げ、その引き立てをもって殿方はさらに輝いた』。こちらの解釈のほうがロマンがあって、好みなのです。添え物でもないですし、ただでさえ強い夫人が、さらに強く見えるのです』


 彼女の、熱っぽい語りを思い出す。今振り返ると、どこか寂しさも滲んでいる気がした。自分は籠の鳥、良縁を探す他なし。そんな思いが、隠されていたのだろうか。だとしたら――いや。今はそんなことに思いを馳せている余裕はない。


「……」


 ブレンドン氏から、視線での指示が飛ぶ。わずかに見える彼の目は、深い蒼をたたえていた。私は全身に指示を飛ばす。機械の、生き人形の本領を。一心不乱に、私は彼のリードを盛り立てていく。

 魔導音響が、曲の最高潮を指し示した。同時に、私たちの踊りもヒートアップする。跳ねる。巡る。回る。そしてターン。

 もはや周囲は目に入らなかった。二人だけの世界が、いつの間にか作られていた。その中で勇躍し、思いのままに踊りを紡ぐ。彼のリードに乗りながら、私は流れるように身体を動かしていた。いや、私が思う以上に、私は動いていたかもしれない。それほどまでに、思いもしない動きが生まれていた。

 曲が終焉に向けて一気に進む。ブレンドン氏のリードに合わせ、鋭くステップを踏む。彼の目指す位置が、手にとるように分かった。まるで打ち合わせでもしたかのように、はポッカリと空いていて。私たちは大講堂の、本当に中央へと滑り込んだ。万座の席の、中心へ。


 ダダン!


 最後の小節が、爪弾つまびかれる。同時に私たちはポーズをとる。殿方は胸を張り、私は身体を反らす。ブレンドン氏の左腕が、私の背中を支えてくれた。

 永遠にも似た静寂の後、拍手が私たちに向けて轟いた。万雷とは、こういうことを言うのか。私の耳に、初めて実感が伴った。もっと浴びたいとまではいかないまでも、不思議な気持ちよさが訪れていた。これが、快感というものなのだろうか。


 ポン。


 背中を軽く叩く音が、私を不可思議な感情から解き放った。そうだった。最後に礼をしなければ。皆に揃えて、スカートの裾を広げる。危うく、すべてを台無しにするところだった。

 再び拍手が鳴り響く。殿方が女性の手を取り、整列して退場していく。周囲を軽く見回すと、そこかしこに燕尾服がいた。きっと彼らが、上手に導いているのだろう。

 私たちは必然、最後尾だった。気恥ずかしさは大量にあったが、それでも己に強いて堂々と退場する。誘導の上級生に従って殿方と別れ、地下の、己の控室へとたどり着く。その瞬間まで、気を抜けずにいて。


「凄かったです!」


 まだドレスも脱いでいないレイラ嬢に飛びつかれて、ようやく私は我を取り戻した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る