鋼鉄令嬢と仮面舞踏会 #4

 時は来たれり。

 アリーナの地下に設けられた即席の控室――想定通り、寮の部屋ごとに割り振られていた――で、私はレイラ嬢と着付けの仕上げに勤しんでいた。すでに空は暗くなり、各所で魔導灯が灯されていた。


「よく仕上がっておいでです」

「貴女こそ」


 通り一遍の美辞麗句でなく、心の底から私は彼女を褒め称えた。鮮やかな赤を貴重としたドレスが、彼女の艶やかな白磁の肌によく映えるのだ。しかもそれでいてなお、派手さや艶めかしさを感じさせることはない。きっちり結い上げられた黒髪という整然さと、見事なマッチングを見せていた。

 当然ではあるが、私はその手の装束には詳しくはない。だが、正直な感想を述べることはできる。


「決して華美な装束ではありませんのに、レイラさんがまとうと輝いて見えます」

「ありがとう。でもマリーネさんも、私からすれば同じぐらいに輝いています」

「でしょうか」


 私が疑問を呈すると、彼女は瞳を輝かせた。鼻息さえも、漏らしかねないといった体である。頬の赤みも、ひっそりと増していた。


「ええ! なんならここで、四半刻は語れますよ? いえ、語ってみせましょうか。まずは……」

「……勘弁してください」


 私は苦笑いとともに頭を下げた。自分のような元病人がまとうドレスに、まさか約十五分も語れる要素があるなどとは。がまとうのならともかく、は彼女の――いや、よそう。自分で自分を貶めてなんになる。


「残念です。でも心の底から思います。今のあなたなら、間違いなくやれます」

「ありがとうございます」


 ドレスの裾を広げ、頭を下げた。称賛の意を、素直に受け取る。それくらいであれば、でも許されるだろう。

 母上から授かったドレスは、装飾の少ない白を基調としたもの。私のやや濃いめの灰色が入った肌とは、少し相性が悪い。そこで用意されたのが、肘から先を覆う純白のレース。これもまた、母上が見繕ってくださったものだ。


『一度は袖を通したのですね?』

『ええ、故郷で。まあ』


 問われた際には、私は所在なさげに返した。いかんせん私の前世には、このような機会など皆無どころか縁すらなかった。

 病院の用意した、くたびれた患者服が普段着だった私にとっては、たとえ質実剛健なドレスであっても、豪華絢爛なものにしか見えなかった。


『やはり。サイズがピタリと合っていますし、肘から先のレースにも気配りが垣間見えます。これならかえって、髪はそのままでもよろしいかもしれません』

『へえ……』


 私は耳横の、二つの縦ロールをいじりながら答えた。ツインテールをねじったような髪型は、がよくしていたものだと聞かされている。そこを変えずに済むのは、としてもありがたかった。


『なにせ、あの曲をあの解釈で踊ろうというのです。ならば活発さ、躍動感を出さずして、なんになるのか。私は自信を持ってそのままを推します』

『承知しました』


 そういえばこの時も、素直に頭を下げたか。思い出しつつ、私は控室の入り口に目を向ける。

 淑女の控室には心もとないような扉だが、同時に最後の防波堤でもある。ここを蹴破るような奴がいるなら、私はためらうことなく右腕をぶっ放すことだろう。


 コンコンコン。


 そんな私の警戒をよそに、扉がノックされた。一瞬右腕を構えるかどうか考える。レイラ嬢がこちらを見た。私はうなずく。彼女のうるおいを保った唇が、鈴の鳴るような声を発した。


「どうぞ」

「は、はい! き、曲目をお持ちしました!」


 扉を開けたのは、燕尾服に身を包んだ男子生徒だった。今日は一年生が主役の扱いなので、おそらくは運営に当たっている二年生だろう。しかしそんな予測が怪しくなるほど、彼は恐縮し切っていた。


「見せてくださいませ」

「は、はい!」


 男子生徒が、うやうやしく羊皮紙と思しき紙片を取り出す。紙を使わないのは、儀式としての側面だろうか。

 レイラ嬢が受け取り、目を通していく。それから、私にも手渡された。そうか、私は伯爵家の娘。この場では最高位に当たるのか。普段の友人付き合いで忘れていた厳然たる現実を、一瞬にして思い出す。


「拝見します」


 忘れかけていた言葉を思い出し、羊皮紙に書かれた文字を読んでいく。幾分か古めかしい文面の中に、とある文字列を見付ける。私はほころびかける顔を抑えて、大げさにうなずいた。


「伝令、ご苦労様でした。お仕事を全うされることをお祈りいたします」

「ハッ、ありがとうございます!」


 片膝をついていた男子生徒が、一礼をしてから去って行く。なるほど、こういう行為にも儀礼的な側面があるのか。私は改めて、礼儀作法の厳しさを思い知った。

 伝令役が、次の戸を叩く音が聞こえる。それを確認してから、私たちは友人の顔へと戻り、うなずき合った。


「ありましたね。『ヴォルティス夫人協奏曲』」

「ええ。ぶっつけ本番で差し替えられない限りは、あなた次第です」


 勝負のすべては、最終曲目にかかっていた。


 ***


 永遠とさえ思えるほどの緊張の時間がすぎると、再び伝令役からのお声がかかる。今度の伝令は、凄まじく流暢だった。


「時間です。準備は」

「できております」


 私たちは、目元に仮面を取り付ける。レイラ嬢は、服と同じく赤を基調とした、少々きらびやかな仮面。私がつけるのは装飾の少ない、目元のつり上がった仮面。アイアン家らしい、少々剛健さの方に気を配ったものだった。

 ここから先は、私たちは他人。改めてその認識を思い出し、胸に刻む。仮面舞踏会は、社交という名の戦場である。仮に不測の事態が起こっても、誰一人として助けてはくれないのだ。

 意を決して、扉を開く。仄暗い室内に、色とりどりのドレスが居並んでいる。思わず、私は息を飲みかけた。しかしそんなことをしているヒマはない。流れに乗って歩き、最後尾へと整列する。たった一人の友人ですら、もう前か後ろかわからない。

 そこから先は、もう流れ作業だった。はるか彼方の先導役に合わせて階段を上り、一階へと降り立つ。するとそこには、男子生徒の列があった。


「……」


 整然たる列に圧倒されつつ、私はある仮面を探した。青が基調でけばけばしい、蝶を模した仮面だ。

 あの日、ブレンドン氏がこれみよがしに落とした仮面。今になって思えば、あれは私たちへの教唆だったのではないか。居並ぶ仮面生徒の列が、そんな記憶を掘り起こしたのだ。


「……っ!」

「ぁ……」


 しかしそんな余裕はほとんどなかった。後ろからのかすかな舌打ちに、私は歩みを進める。

 流されるままに前に続けば、いつの間にか隣には男子生徒が並んでいた。差し出された手を、少しだけ大げさに受け取る。レイラ嬢と確認した流れを思い出しつつ、私はなんとか踏ん張った。


「よろしくお願いします」


 かすかに聞き取れた少年の声が、私に深呼吸の余裕を取り戻させた。

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