第二話:鋼鉄令嬢と仮面舞踏会
鋼鉄令嬢と仮面舞踏会 #1
「おはよう」
「あ……おはようございます……」
朝、食堂からの帰り道。声を掛けてみた寮友が、足早に自室へと去っていく。
入学してから早三日。学友からの反応は未だ鈍い。挨拶こそ返ってくるものの、未だに遠間の付き合いという形になっていた。
「仕方ないですよ。やったことがやったことですし」
「分かってはいたんですけどね……」
最初はそう思っていても、何日も続けば堪えてくる。ルームメイト――男爵令嬢レイラ・ダーリング嬢に愚痴を吐くことが、いつしか定番になってしまった。
こう、アレだ。いくら私が人付き合いに慣れていないといっても、あからさまに避けられたらつらいのだ。
「んー。とはいえ、当面は難しいかもですね。なにせこちらのグループでも、貴女の噂でもちきりですもの。『鉄拳令嬢』とか『噴射令嬢』とか、口さがない者が、勝手に二つ名を吹聴して回ってます」
レイラ嬢から、とんでもない告発が飛び出してくる。私の耳にも入っていた、ひねりもなにもない二つ名の件だ。
まさか同級生から仕掛けられていたとは、大いに驚きだ。例の公爵令息とか、目撃した上級生あたりのしわざだと思っていたのだが。思わず私は、口を尖らせてしまった。
「気に食わない話ねえ。せめて私に、ちょっとでも引っ掛けなさいよ。例えば『鋼鉄令嬢』とか」
「名字に引っ掛けた二つ名ですか。私は好きですね」
「ありがとう……」
思わず口調が荒くなるが、レイラ嬢は素直に同意してくれた。彼女の存在が、私の救いになっている。本当にありがたい。
もしも彼女がいなかったら、私は一人、自室で延々と反省会を繰り返していたかもしれない。やはり持つべきは、心の通った友人だ。孤独なことが多かった身には、深く染み入るものである。
「こちらこそ。……あ、そろそろ時間ですね」
「え!? 支度しなくちゃ!」
不意に刻時機を見た彼女が、私にタイムアップを告げる。私は急ぎ、寮服からの着替えに取り掛かった。
セディー寮の朝は慌ただしい。起床が五刻半。掃除と身支度を済ませて、朝食が六刻半。そして七刻半には、もう集団登校の時間である。
ともあれ、登校さえ済ませてしまえば後はこちらのもの。授業までにはわずかに余裕があり、休息を取ることも可能だった。
「一時間目は礼儀作法、二時間目は国史。午後は新入生歓迎会のリハーサルかあ……」
時間割を再確認して、私は軽い頭痛を覚える。身体的にはありえないので、比喩表現だ。しかしそれでも、痛むものは痛むのだ。あるいは、幻肢痛の一種かもしれない。
事実を言ってしまえば、新入生歓迎会そのものは別段どうとでもなる。だが問題は、その後に控えていた。
「仮面舞踏会……」
はっきりと言えば、余興の一種だ。
一年生同士がドレスとタキシードで着飾り、仮面を付けて踊り合う。互いの仮面の下については、その後も一切詮索しない。表向きはその程度の、ちょっとしたイベントだ。しかし。
「舞踊の基礎は母上に習わされたとはいえ……」
前世の
そう。同世代の男性と手を繋いだことが、ほぼほぼないのだ。ましてや身体を寄せ合い、時に身を預けるなど。想起しただけでも赤面ものである。
「……」
私は内心で頭を抱えた。ちなみに現在地は一年生用の北校舎三階の隅。ブルークラスにおける、自席である。
他の生徒はやはり私を遠ざけており、声を掛けてくる様子はない。これもまた、私の気を重くさせていた。
「まあ、悩んでいたところでしょうがないけど」
私は席を立つ。すると数人の生徒が、波が引くように距離を置いた。朝に聞かされた、口さがない話を思い出す。初日でも思ったが、やはり先行きは厳しかった。
「花を摘みに行くだけですので」
遠巻きな生徒たちに事実を告げ、私は足を早める。居づらいわけでもないのだが、やはりどうにも気が重かった。
***
昼休み。デラミー校の一年生、その大半はカフェテリアで英気を養う。
二年生は寮のキッチンで自作の弁当に取り組むこともあるし、三年生ともなれば自身のサロンにシェフを呼び込んでいたりもする……と噂には聞く。
しかし寮も手狭で食料庫もない一年生にとっては、ここが最大の栄養補給基地である。かくいう私も、その一人だった。
「よく食べますねえ」
「残念ながら、空腹だけはどうにもなりませんでして」
唯一と言える友、レイラ嬢の前にて。私は食欲を全開にしていた。
前世の娯楽本では、転生者が食事に苦労するシーンを時折読んだことがある。だが、こと私に限っては例外だった。前世のほとんどを病院食で過ごしたこともあり、多少の味はどうとでもなってしまうのだ。むしろ、濃い味バンザイまでありかねない。私は機械の身体に感謝し、口いっぱいに飯を頬張っていた。
「むしゃむしゃ」
「そういえば、午後は歓迎会のリハーサルでしたね」
「
私は、口に食べ物を詰めたまま答える。大変に失礼ではあるが、気のおけない雑談である。これくらいは良いだろう。
「歓迎会自体は、ほぼほぼ見ているだけで済みますが、問題はその後ですね」
「もご」
「聞いてます?」
「もごもご」
私は応じる。聞いていないわけではない。ただ、飯を食らう手が止まらないだけなのだ。許して……
「ダメそうですね……」
くれないようである。レイラ嬢の表情が、呆れのそれに変わっていた。さすがにこれは申し訳ない。
私はひとしきり口の中身を咀嚼し切ると、しっかりと彼女に相対した。応じて、彼女も真剣な顔を見せる。銀の瞳が、私を貫いてきた。嘘はつけないと、私は直感した。
「マリーネさん、舞踊の心得は?」
「正直基礎程度です」
「ドレスの着付けは? あれは一人では難しいものです」
「母上に多少は」
出し抜けに放たれた質問に、次々と真実で答えていく。私が答える度に、レイラ嬢の表情が厳しいものへと変わっていった。
わかる。私にもわかってしまう。アイアン家は、ハッキリ言って武門の家柄だ。母上にこそ多少の心得はあるものの、臣下にも武張った者が多かった。
ましてや、身体の持ち主は私である。マリーネ・アイアンならどうにかできたかもしれないが、私にはほとほと難しい。
そして、気付いてしまう。頭を抱える要素が、自分で考えていたよりもあまりに多い。男性慣れなど、物の数ではないほどにだ。
「……あと何日ありましたでしょうか」
「三日ですね」
レイラ嬢の眼光が、鋭くなった。そうかと、私は悟った。仮に私が不名誉を晒してしまえば、ルームメイトの彼女も恥辱をこうむることになってしまうのだ。
私は彼女の、ルームメイトに選ばれている。権利を行使しておいてその体たらくとなれば、彼女もまた、苦しむことになるのだ。
彼女はなだらかな胸に手を当て、私に告げた。
「本日より、私が貴女の教官になります。覚悟してください。着付けも舞踊も、それなりにこなせるようになるまで、不肖、この私が指導いたします」
「……」
決然と放たれたレイラ嬢の言葉に、私はうなずくほかなかった。現況を突破する策は、それ以外にないとも理解できた。
しかし私たちの横合いから、意外な言葉が耳に入った。
「なるほどなるほど。しかし僕は、それでは足りないと進言したい」
「ん?」
私たちは声のした方角を見る。そこには茶髪を整然とまとめ、紳士のごとくブレザーを着こなした少年がいた。
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