幕間:公爵令息の野暮な企み(三人称回)

「くそっ!」


 公爵令息カッタータ・トルンは、父からの書状を床に投げ付け、踏みにじった。およそ立派な装束には似合わぬ、粗暴な振る舞いだった。三年生の特権である自身のサロンに、怒りの声を響かせる。


「父上め、老いて日和ったか。まさか伯爵家の一つにさえも、権勢を振るえぬとは」


 中肉の身体を震わせて、彼は父を公然と罵倒する。公衆の面前でコケにされた屈辱は、今思い出しても腸が煮えくり返るものであった。

 怒りのあまりに父へと出した書状に返ってきたのは、さっくり言えば『手出し無用』の一言に尽きるものであった。無論それだけでなく、お小言も十分に含まれていた。もっとも彼は、その部分については見なかったことにしているのだが。


「アイアン家は軍の調練を担う家柄。いかに公爵大将軍閣下といえども」

「うるさいっ! 息子が公衆の面前で恥辱を味あわされて、動かぬ親がどこにいる! アイアン家に『注意』すればいいだけであろう!」

「『注意』とおっしゃいましても、アイアン家は『逆流』……川の流れに逆らうかのごとく、いかなる権勢にも屈しない家風を持っております。それを考えますと……」

「黙れ!」


 貴公子然とした姿には似合わぬ怒りように、取り巻きたちは必死になだめる。しかし今や、カッタータは正論がまったく通らない心理状態に陥っていた。早い話が、『キレている』のだ。


「……」


 広いサロンの壁には、その姿を遠巻きに眺める者たちもいる。カッタータと同級の三年生、いずれも己でサロンを持ってもおかしくない家格と風格を備えている。

 ではなぜ、彼らはカッタータのサロンに身を預けているのか? 複雑な要素もいくつか孕むが、簡単に言えば貴族間の派閥構造、あるいは陪臣関係によるものであった。


「……」


 見よ。そのうちの一人が、密かに目を光らせている。肩のあたりまで伸ばしたストレートの金髪に、整った目鼻立ち。彼は過日の騒動で、マリーネ・アイアンにコナをかけた男でもあった。

 その横にも、男が一人侍っていた。紳士然に整えた茶の髪に、整然と着こなしたブレザーがよく似合っている。ピンバッジの勲章は……なんと一年生である。

 彼もまた、半狂乱に対して冷静に向き合っていた。仮に目を背けたとしても、誰一人文句を言わぬであろう。にもかかわらず、彼は蒼の目でしっかりとカッタータを見据えていた。


「……歓迎会だ」

「え」

「歓迎会だと言っているっ!」


 息も絶え絶えに、公爵令息が口を開く。うっかり聞き返したマヌケな取り巻きが、怒鳴り声をまともに浴びせられた。まったくもって、手のつけようのない剣幕である。


「……アイアン家は、武張った家柄だ」

「はい」


 不幸な取り巻きへと教えるように、カッタータは自身の考えを述べていく。その顔は、鬼気迫るという言葉が正しい表情をしていた。事実、先にはなだめる言葉を発した取り巻きですら、血の気の引いた顔をしていた。


「武術や訓練は相応だとしても、舞踊の心得などせいぜい基礎程度しかないだろう。いや、絶対にそうだ。間違いない」

「はい」


 あやふやな推測を、思い込みだけで確信に変えていくカッタータ。

 しかし誰一人として諌めない。嵐に突っ込めば跳ね返されるのと同様、今のカッタータに横槍を入れても、哀れな取り巻きと同じざまに遭うのが目に見えているからだ。


「クフフ……狙うは歓迎会で行われる、一年生の仮面舞踏会……そこで大恥をかけば、あの娘も身の程を知るだろう。演目は、入手可能かね?」

「ではその役目、わたくしに」

「良かろう。仮に演目が基礎曲ばかりであれば、一曲ぐらい差し替えてしまえ」

「はっ」


 遠巻きの一人が、うやうやしく躍り出る。少々大げさな振る舞いにも見えるが、彼らにはこの、上下を定めるしぐさが必要だった。彼らを分かつ明確な差は、今のところ家格のそれでしか表せぬものだからだ。


「トルン様、今ひとつご提案が」

「ん? メイスフィールド、君には考えがあるのか」


 遠巻きからもう一人、金髪ストレートの男が動いた。三歩下がって、茶髪の男も付き従う。メイスフィールドと呼ばれた金髪の男は、仰々しく片膝をついた。


「失礼ながら。恥をかかせるのであれば、それを引き立たせる役が肝要かと」

「ふむ。理のある提案だな」


 カッタータが、細い顎に手を当てた。こうしていれば、実に端正な貴公子である。

 そのまま冷静に物を考えることができれば、おそらくは一廉ひとかどの為政者となれるであろう。しかしそこにいたるまでには、今しばらくの時間が必要に見えた。


「役目をこなせる者も、こちらで用意してございます。オブライエン」

「はい」


 茶髪の男が、メイスフィールドの近くまで身を寄せた。彼も主君にならい、片膝をついた。


「これなるは我が臣下の騎士、オブライエン家の者。名を」

「ブレンドンと申します。以後お見知りおきを」

「ブレンドン・オブライエン。覚えたぞ。私のサロンに侍る栄誉を許そう」

「ありがたき幸せ」


 一通りの挨拶を済ませると、メイスフィールドは仰々しく口を開く。この仰々しさが、彼の常であろうか。


「オブライエンには、この私が手ずから文武舞踊とあらゆる事物を仕込みました。今回のはかりごとにおきましても、必ずや」

「なるほど。あの女にぶつけて恥を倍にし、晒し者とする構えか。良いだろう。ブレンドン。君が此度の実行役だ。任せたぞ」

「はっ!」


 片膝をついたままのブレンドンが、頭を下げる。ここに衆議は一決した。


「これより私は、私の恥辱をすすぐために動く! 良いか!」

「はっ!」


 カッタータが高らかに宣言し、サロンに侍る三十人近くの者が応じる。それがいかに野暮なものであろうが、上位者の命令は絶対だった。熱に浮かされたかのように、彼らは口々に公爵令息へと美辞麗句を述べる。

 しかし一人だけ、具体的に言えばメイスフィールドの目だけは、ほんの少したりとも笑ってはいなかった。


 ***


 およそ一刻後、カフェテリアの片隅にて。先のメイスフィールドとオブライエンは、遅めのティータイムと洒落込んでいた。

 カフェテリア自慢の南国茶葉が、今日も芳醇な香りをもたらしている。


「見たかい?」

「見ました」


 先の調子はどこへやら、二人は不機嫌そのものといった顔で茶をすすっている。カフェテリアの職員が見たらば、叩き出されてもおかしくないほどの面だった。


「色々あって俺っちもあそこで侍っているけど、自業自得のくせに、恥辱をすすぐなんてのはないわー。誰もたしなめられないってのは、サロンの末期症状だよ。ま、俺っちも同罪だけどね」


 メイスフィールドが、髪をかき上げる。その態度は、かつてマリーネにコナをかけた時と、似たような空気をまとっていた。


「では」

「乗るよ? 主君の命令は絶対だしね。だけど、俺っちは少々細工する」


 メイスフィールドは、配下に向けて合図した。もっと身を乗り出せと、告げたのである。

 そして彼は、紙の切れ端と魔導ペンを取り出し、なにやらサラサラと書いた。すると配下は、顔をにわかに歪めた。驚きを、こらえている表情だった。


「まさか、そのために私を」

「その通り。少なくとも学内では、いくらでも接触は可能だからね。なんとかして彼女に、今回の企みを告げたまえ」

「……承知しました。しかし」

「む? 不満があれば、述べるが良い」


 主君の要求は飲みつつも、なおも配下は不安げな顔を見せる。その姿に、メイスフィールドは少しだけ訝しんだ。


「ご主君が出向くという選択肢は、ないのですか?」

「三年が一年の元へ出向けば、それだけで悪目立ちだよ。それに……」


 配下から吐き出された疑問を一蹴しつつ、主君は一拍置いた。配下が息を飲む。そこで主君は、肩をすぼめてこう言った。


「先日の件で、私は多分嫌われている」

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