鋼鉄令嬢の御入学 #4

「え、ではまさかその制度を」

「はい。本来であれば同意をいただくべきところでしたが、マリーネさんが保安部に連れて行かれましたので。申し訳ありませんが、独断で実行しました」


 寮監の前で騒ぐわけにもいかず、粛々と挨拶と入室を済ませた後。寮監が去るのを待って、私たちはすぐさま室内交流へと移った。談笑用のテーブルを挟んで、再びレイラ嬢と向き合う。

 そして話の冒頭、私はいたく驚かされた。レイラ嬢はなんと、任意にルームメイトを決められる権利を私に使用したとのたまったのだ。


「存在は知っていましたが……しかし」

「ええ、稀でしょうね」


 彼女は柔らかく笑う。なんてことはないと、言いたげな表情だった。たしかにシステム説明の際にも、この制度は説明された。ただ、まさか私に使われるとは思ってもみなかった。


『本来なら無作為抽選なんだけど、貴族間の派閥やら、付き人同行やらの問題があってね。結局、折衷案でこの制度ができたのよ』


 寮監が、わずかに苦笑いを浮かべていたことを思い出す。彼女としては、やはり学生は平等にあるべきなのだろうか。しかし悪い人ではないと、私はわずかな時間での印象を思い返した。


「なんてことを……お付きの方とか、いたでしょうに」


 思考をしつつも、私は話に応じる。彼女に負担を掛けていないかが、最初の気がかりだった。

 特に付き人などがいた場合は深刻だ。主君と離され、一年を海とも山とも知らぬ者と過ごさねばならない。その心痛は、いかばかりか。しかし彼女は、きっぱりと私の懸念を否定した。


「貧乏男爵家ですから、そういったものはございませんでして。身の回りのことは、自分でしなさい。そう教わって生きてきました」


 私に比してなだらかな胸に手を当て、銀の瞳を光らせて、彼女は答える。嘘がないことは、その態度からも明らかだった。私は内心で胸をなでおろし、彼女に同調する。


「なるほど……。私も軍人の家柄でしたので、同じようなものでした」

「あら。では、似た者同士だったのですね。お邪魔をしてしまっていたら、どうしようかと」

「そんなことはないです。むしろ、貴女で良かったかもしれない。ありがとう」


 ルームメイトが、初日に知り合えた人物で助かった。その意志を込めて礼を告げると、彼女が顔を赤らめてうつむいた。私も頬に、あるはずのない熱を感じている。これではいけない。私は、さっさと話題を変えることにした。


「……その、ご趣味は」

「え……」


 だがここで私の抱える、対人経験の貧困さが顔を出した。物の本で読んだ、あたかもお見合いのような問い掛け。そりゃあレイラ嬢だって困惑する。私は慌てて取り繕った。


「いや、その。なんと言いますか。相性、と言うか、取り合わせみたいなものもありますので……」

「そ、そうですね。本を読むのが好きです。学術書から、各地の旅行記みたいなものまで。本は、想像の翼を羽ばたかせてくれますので」

「なるほど」


 私はうなずく。ふと少し遠くへ目を向けると、勉学用の机に分厚い本が広がっていた。ズームをかけるのは難しいが、『旅行記』という文字が目に入った。


「『探検騎士』と呼ばれた、騎士クラレンス・ブルの著した旅行記。その写本ですね。実家から持って来たものです。興味があるようでしたら、お貸ししますが」

「いや、汚してしまうわけにはいきませんので」

「それはたしかに」


 私は苦笑いを、彼女はほほ笑みを浮かべた。

 私は思い返す。魔導活版印刷なるものが導入されたとはいえ、紙の本はまだまだ高価だと、母上から聞かされた記憶があった。前世で読んだような娯楽本は、おそらく読む機会もないだろう。


「でも、素晴らしい趣味だと思います」

「本は非常に高価ですが、父上は惜しみ無く払ってくださいました。『貧乏だからこそ、知識への投資は怠ってはならぬ』。口癖のように、言っておられました。とはいえ、大変に心苦しいものだったのは事実です。だから、ここに図書室があるのが嬉しくて嬉しくて」


 長口上の中で、彼女の表情がコロコロと変わる。

 心底から父を思いやる顔から、過去を懐かしむような顔。そして最後には、ほころぶような笑顔を見せた。それだけで喜びようが伝わる、大変にいい笑顔だった。

 興が乗ったのだろう。彼女は勢いのまま、話の水を私に向けた。


「マリーネさんは、ご趣味は?」

「そうですね……」


 迷う。読書と答えるのは恐れ多いし、さりとて前世の私はそのくらいしかできなかった。ただ、強いて言えるとすれば。


「鍛錬が、趣味といえば趣味ですね」


 父から欠かすなと教えられた、心身の鍛錬が該当した。

 それだけは、ここでの生活でも絶やすつもりはない。仮に決まった時間が設けられないのならば、生活の中で取り組むまでだ。そうでもしないと、弱い魂がこの身体を引きずってしまいかねない。そんな恐怖が、今でも私には残されていた。


「それは良きことかと。すると、朝は早く」

「ええ、早くに起こされていました。しかし、ここではそうもいかないでしょう」


 システム説明の際に、寮監からは生活時間の厳守を命じられていた。朝に抜け出しての鍛錬など、望めそうにない。だからこそ、先の決意に至るのだ。


「ですね。実際、もうすぐ夕食ですし」


 二人して部屋にかかっている時計――魔導刻時機というらしい――に目を向ける。長針が、十九刻ちょうどを指そうとしていた。

 この世界も二十四時間で進んでいるのは、私のリズム的にもありがたいものだった。ちなみに、一年は三百六十日である。このあたりは、慣れが必要になりそうだ。


「魔導放送が掛かる前に、準備を済ませてしまいましょう」


 彼女が黒髪をポニーテールに結い上げていく。髪が食事の邪魔になるので、いつもこうしているとのことだった。

 なお、私たちの装いは寮服――我々の世界でいう、体操服に似たものだ――となっている。夜の寝間着と制服着用時以外は、これを着るのがルールであると、事前に寮監から指示されていた。家格やら資産やらの差を考えると、悪くない制度である。


「これより、夕食の移動を開始する。上の階より順繰りに指名するので、皆大人しく待機するように。移動中の私語は……今日に限ってはほどほどに許可します。では、七階から」


 時計の針が十九刻を示すと同時に、寮監の声が魔導放送で流された。多少の私語が許可されたのは、互いの名乗り合いへの配慮だろうか。一辺倒に厳しいわけではなさそうなのが、私をほっとさせる。


「寮監、いい人そうですよね」

「ええ。私もそう思います」


 言葉を交わしながら、部屋を出る。ふと部屋の看板を見上げると、『七一〇』の部屋番号が記されていた。

 他の部屋からも、続々と生徒たちが出て来る。私は彼女たちに向けて会釈をするが、総じて反応は鈍かった。


「……」


 無視はしないが、距離を測りかねている、といったところであろうか。前途多難の予感に、私は少しだけ顔を曇らせた。

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