第15話 流星群
夜空の下、俺の横に座る凛は言った。
「その、結衣って、もしかして白石結衣さんのこと?」
俺はうなずいて答える。そして、その言葉で確信した。やはり凛は結衣の生まれ変わりだ。凛が白石という姓と結衣という名を結び付けられるわけがない。今回の報道も結衣は少女Aと報じられたのだ。
結衣の記憶は完全に戻っているのか?今、真っ直ぐな目で俺を見つめるのは結衣なのか?
どこから話したらいいか考えていると、凛は訝しげに言った。「私が結衣さんってどういうこと?」
「記憶は完全に戻ってないのか?」
「記憶?」
その話ぶりは演技のようにも見えず、昔からの凛そのものだった。でもそんなことはどうでもいい。死にたいという幼馴染に俺は言葉を紡ぐ必要があった。
「一つ言えることは、凛、お前は結衣の生まれ変わりなんだ。だから記憶がなくても、今回の結衣の報道を聞いて、心の深い部分が傷ついたんだと思う。でも死にたいなんて思うことはないよ。前世のことなんて俺たちにもう関係ないんだから」
凛は当惑した目つきで俺をじっと見つめた。
「ねぇ、リクちゃん。なんでリクちゃんは私のお母さんの妹のことを知ってるの?」
すぐには凛が放った言葉の意味が理解できなかった。「お母さんの妹?」
「だってリクちゃんが話している人って、私が生まれる前に亡くなった、お母さんの妹、白石結衣さんのことでしょ? なんでリクちゃんは結衣さんのこと知ってるの? お母さんから何か聞いたの?」
その時、一人の女性の名が頭に浮かぶ。「そう言えば、お前のお母さんの名前って」
頭に浮かぶ凛の母親の名前。それは確かに、ここのところ頻繁に連絡を取り交わしていた結衣の姉の名だった。結衣と結衣の姉は歳が離れている。結衣の姉の結婚式に出席する写真は秘密の日記帳にも残っていたし、年齢的に凛の母親が結衣の姉でもおかしくない。世界がぐるりと回転する。つまり、俺の横にずっといた幼馴染の桃園凛は結衣の姪に当たるというわけか?
確かにそれなら秘密の日記帳や高槻徹の存在を知っていたことも説明がつく。
「いや、それでもわからないな。死にたいってどういう意味だよ。何があったんだよ」
凛は静かに言った。
「白石結衣さんは十五歳で自殺したんだ」
そして凛はどこか辛そうな顔つきでゆっくりと話し始めた。
「昔からお母さんは秘密の日記帳っていうサイトを眺めては、ここに結衣さんの自殺の理由が書かれているって話していたんだけど、パスワードがわからなくてどうしても日記を読むことができなかったの」
凛は眉間をわずかに寄せた。
「ここにきて真相を知る親切な人がサイトのパスワードを教えてくれたんだって。そしたら色々、過去のことがわかったみたいで。お母さん取り乱しちゃって、ずっと泣いてたの。私には何が起きたかは教えてくれなかったけど、そんなお母さんを見てたら私まで心が痛くなって。せめてリクちゃんと一緒にいたいって思っていたのに、リクちゃんはずっと私のこと無視するし。私だって辛くなるよ」
すぐには言葉が出てこなかった。頭では理解できるのに凛を見るとそこに結衣がいるようで仕方がないのだ。俺は最大の疑問を口にした。「そもそもなんで凛は俺なんかといつも一緒にいてくれるんだ? 俺に執着する必要なんてないだろ?」
凛は一度首を傾げてから、俺の手を握った。
「なに言ってんだか。知っての通り、昔からずっと片思いなんですけど」そう話す凛の目には涙が浮かんでいた。「リクちゃんはいつも振るけどね」
俺は何も考えられなくなって、芝生にばたりと体をうずめた。確かに全てつじつまが合う。でも、腑に落ちない。じゃあ結衣は今、どこにいるんだ。もう会えないのか。
凛は空を見ながら言った。
「会ったことはないけど、この前、結衣さんが夢に出てきたなぁ」
「夢?」
「そう、この前、結衣さんの十七回忌の法要があって、お母さんの実家に泊まった時にさ」
そういえば俺と結衣が自殺したのは一六年前だから今年は一七回忌に当たるのか。
「お母さんの実家に泊まる時は結衣さんが使っていた部屋で私は寝るんだけど、その晩の夢に結衣さんが出てきたんだ。ちょうど私くらいの年齢の結衣さん。結衣さんは私の手を今リクちゃんと握っているみたいに握るの。それで、ヒロちゃんは弱い子だから私の代わりに守ってあげてねっていうんだ。私がヒロちゃんって誰?って聞くと、あなたの横にいる幼馴染のことだよって教えてくれるの。変な夢でしょ。リクちゃんと名前違うし、結衣さんは十六年前に亡くなっているんだから、リクちゃんのこと知っているわけないのに」
凛はそこで一度言葉を止めた。「あっ、私、結衣さんが亡くなってすぐにお母さんのお腹に宿ったこともあるからかな、家族や親戚の人からよく結衣さんに似てるって言われるんだ。もしかしたらリクちゃんはそのことを言ってるの?」
返せる言葉がなく、俺は凛とつなぐ手をぎゅっと強く握ることしかできなかった。
凛は優しく笑って言った。
「今日のリクちゃんなんか変だよ。あと、私に伝えたいことってなに?」
「それは……」
俺は胸に詰まった言葉を口に出そうとして、そのまま飲み込んだ。
結衣に伝えたかったこと。それは、まだ語られていない、もう一つのあの日のことだ。
ラブホテルから高槻と結衣が出てきたあの時、俺がラブホテルを眺めていた理由。俺の隣にいた女子のこと。結衣に裏切られたと傷つき、そして大切な人を裏切ろうとしていた自分自身を嫌悪したこと。二人が二度と同じ関係に戻れないことを知って、全てから逃げ出し、自殺という卑怯な方法を選んだこと。俺は幼馴染が信用できないばかりか、自分すら信用できないこと。
でもヒロと結衣という二人の幼馴染の物語は一六年前に終わったのだ。前世に囚われる必要なんてない。俺たち二人は引け目を感じることなく前に進めばいい、そう伝えたかった。
また光が夜空を流れると、凛は「見て!すごいね今夜は!」と声をあげた。そして俺の顔を覗き込んだ。「リクちゃん、泣いているの?」
俺はいつの間にか涙を流していた。なんで涙が出るのかもわからないけど、ただただ涙がこぼれた。凛は俺の顔を胸で抱きしめる。「私は泣いてばかりだけど、リクちゃんが泣く姿なんて見るの初めてだよ」
確かに俺は生まれ変わって泣いたことがない。泣くには二度目の生はあまりにも空虚で、心に響くものがなかったからだ。前世の俺は違った。いつもいつも泣いてばかりいて、その度に結衣になぐさめてもらっていた。凛が今してくれているように、結衣はいつも泣き虫の俺のことを優しく抱きしめてくれた。
なんであれだけ長い時間を過ごし、仲の良かった二人はうまくいかなかったのだろう。その答えを俺は知っていた。全ての過ちはあの日以前に始まっていたのだ。
抱きしめる凛の腕から離れ、幼馴染の瞳を見つめた。
「凛、伝えたいことがある」
凛の黒目が大きくなる。「うん」
俺は一呼吸置いてから言った。それは前世で決して口にすることがなかった言葉だ。
伝え終えると、凛はぎこちなく笑った。目には大粒の涙が浮かんでいる。
「ずっとずっと、ずーっと昔からその言葉待っていました。私なんかでよかったらよろしくお願いします」
その夜、俺たちの頭上を2001年の流星群と言わないまでも、たくさんの星が過ぎていった。夜空が光で彩られるたびに前世から抱えていたもつれあった感情がほどけていく。恨みや後悔、痛ましい記憶の代わりに、俺に肩を寄せる幼馴染の笑顔が心に刻まれていった。
そして幼馴染と一緒に立ち上がり、帰路に着いた時、一六年間止まっていた時計の針がカチリと音をたてたのを、俺は確かに聞いた気がした。
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読んでいただきありがとうございます。
本編はこれにて完結ですが、新たに書いた追加エピソード(その後の二人、本編のちょっとした答え合わせもできますよ)をいくつか投稿しますので併せて読んでもらえたら幸いです。
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