第13話 藪の中

「白石結衣は俺の後輩木村ヒロの幼馴染だった。後輩の横にいる白石結衣を初めて見た時から、好きになっていたよ。高校内、いや俺が住んでいた地域の中でもダントツに可愛いらしい子だったからな。高校中の男子が皆、結衣の噂をしていたくらいだ」


「結衣は木村ヒロといつも一緒にいて、仲が良かった。登下校も一緒だし、まるで恋人同士に見えたが、どうやら二人は付き合ってはいないとの話だった。それならと、俺は後輩の目がないときを見計らっては、結衣を口説くようになった」


「どうも結衣は幼馴染に気を使っているらしく、俺の誘いを断り続けた。だが、それも束の間、結衣は徐々に態度を軟化させた。校内で通り過ぎる時には目を交わすようになり、一言二言会話することも多くなった。そして、ついに俺はデートの約束を取り付けた」


「デートは確か、高校生らしくファミレスに行ったはずだ。結衣は緊張している様子だったが、俺と話すうちに笑うようになり、いつの間にか俺たちはかなり打ち解けていた。大人しそうな見た目とは裏腹に下ネタなんかも大丈夫な子だった。恥ずかしそうにはするが、性に関心があるのはすぐにわかった」


「それで、俺は半分冗談で、この後ラブホでも行ってみないかと口にした。もちろん、断られることも織り込み済みで。結衣は思いがけない言葉を返した」


「ヒロちゃんに内緒にしてくれるなら、と。誘われた時から期待していましたとも言った。まさか受け入れてくれるとは思わなかったから、内心驚きつつも、俺は嬉しかった」


 そこで俺は話を止めた。「俺の聞いた話とだいぶ違うな。結衣はお前に薬を盛られた可能性を示唆していた」


「薬?当時、高校生の俺がどうやったら薬なんか手に入れられるんだ。それにそんなものを使ったらまともにプレイできないじゃないか」


 こいつは遊び方を知らないなといった口調だった。


「俺たちはラブホテルへ行き、それなりのことをした。あの年齢にしては積極的な子だったよ。あの時の俺はまだそれほど経験がなかったから気づかなかったが、今になって思えば、白石結衣はすでに経験があったんだろう。本人は初めてだと言っていたが、今考えれば違う。初めてな訳がない」


 そして、「これだけの話だ。高校生カップルのありふれた話だよ。お前が何を知りたいかわからないが、なんでもない話だ」と高槻は言った。


 高槻の意識はやはりあの音声ファイルにあるようだ。「あの音声だって例え俺の声が混じったとしても、大した話ではない。ただし、俺は知っての通りスキャンダルまみれの状況だ」


 高槻は一度口をつぐんでから言った「話した感じではお前はマスコミ関係者ではないようだな。そうだろ?」


「ああ、俺は記者ではない」


「それならお前の魂胆は分かっている。認めるよ、お前の交渉は成立している。おそらく今の会話も録音しているんだろう。具体的には話せないが、お前は俺の上に立っている、すなわちお前の提案を受け入れると認識していい」


 高槻が話すことの裏の意図はよく分かった。


「その音声をマスコミに売ったところで二足三文にしかならないのもよく知っているよな。わかるだろ? これ以上の具体的な話は秘書と連絡を取ってくれ。悪いようにはしない」


 もちろん金なんていらなかった。俺はあの日のことを高槻がどう語るかを知りたかっただけだ。


 そしてもう何が真実なのかも分からない。結衣の物語と高槻の物語、そして俺の知る結衣。どれもがバラバラだった。でもそれでいい。一六年前は現実に向き合うのが怖くて、俺は逃げ出すように身を投げた。今の俺は逃げない。どれが真実だろうと俺は受け止める。そして現実に向き合った上で過去を捨てて、前に進む。木村ヒロの記憶を忘れ、長谷川リクとしてだけ生きていく。


 ただし高槻先輩、あんたには過去にとどまってもらう。これからどんな生き方をしようと、一六年前の出来事はずっとあんたの背中を追うことだろう。


「一つ残念なことは、お前に娘がいることだ」


「何を言っている」


「なんの罪もない少女に、鬼畜野郎の娘という汚名を着せることは気が進まないと言ってるんだ。娘たちが地獄を見るのは何も今だけじゃない。物事の分別がつく年になったら父親に関する過去の報道を理解し、自分の中に変態クソ野郎の愚劣な血が流れていることを知るんだ。なんとも同情を禁じ得ないよ」


「だから、そんなことは俺がさせはしない」


「そうか、じゃあな、もう話すことはない」


「いやいや待て、いや待ってください。お願いします。お話がした……」


 慌てる高槻を無視して、そのまま通話を切った。


 静かになった部屋でしばらく考えを巡らせてから、秘密の日記帳のIDとパスワードを結衣の姉に送った。


 程なくして結衣の日記は世に知れ渡ることとなった。ネット上で燻っていた高槻に対する感情を燃え上がらせるには最高のタイミングだった。高槻がすでに抱えていたスキャンダルもあいまって、社会は一時騒然とした。そしてその影響は高槻の人生だけじゃなく、凛にまで及んでしまった。


 日記が公開されてから数日後、凛からメッセージが届いた。短いメッセージだった。「死にたいです」とだけ凛は俺に伝えてきた。

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