壬生浪ふたり・俄狂言「恋語り」

@HAKUJYA

壬生浪ふたり・俄狂言・「恋語り」

久方の休日であるというのに総司は、書庫の中である。

一冊の本を手に取ると其の場所に立ち尽くしたまま、

書かれた流暢な文字に目をおとしてゆく。

「沖田はん。お昼どすえ」

した働きのお勝が呼びに来た前で、

総司は本を書棚に戻すと大きな伸びをしながら

「もう・・・そんな刻限か」

と、笑った。

「お好きどすなあ」

朝に総司を見たきり、それきり部屋にいなくなった。

また、書庫の中にはいりはったと、お勝は見当をつけていた。

豪商の原田の家に厄介になってから

総司は原田の蔵書が事のほか気にいっている。

すごいなあ・・・と並びまくる本の前で

子供のように感嘆の声を上げ、

床にまで積み上げられた本をなでさすると、

やにわに座り込んだ片手にはもう本が握られていた。


「子供のように無邪気な人どすえ」

総司をそんな風に、言い表したお勝には、

「新撰組きっての使い手だ」

と、いう原田の言葉が今持って府におちない。

「あんお人が人をきりはる?」

原田は、黙って頷いて見せた。

子供のように、邪気のない笑顔を見せる沖田はんなのである。

腰に差してある刀が飾り物でないのはお勝だって判っている。

新撰組が通ると泣く子も黙ると

京の者が恐れおののいているのも知っている。

人を切ることなぞ朝飯前でなければ

新撰組になぞいられるわけもなかろう。

ましてや男はんが志を立ててこの都にやってきているのである。


だが、昼餉を告げにきたお勝の目の前にいる総司の笑顔はひどく可愛い。

「土方はんが、かわいがるわけどすな」

「土方さんになにか?」

お勝がふと漏らした独り言が総司の耳にとどいてしまったのである。

土方の身を案じるのか総司は、少しばかり不安そうな顔つきをしていた。

『こんなところまで、可愛いお人どすのに』

「いえ、なんでもおへん。

土方はんと一緒におりなはらんと、

沖田はんもつまらなそうやなって思いましたんどす」

「あ?そうですか?」

総司の土方への敬慕の情は強い。

「沖田はんは、あの怖そうな土方はんとも、

ように笑ろうて、お話してはりますなあ?」

総司は意外そうな顔をした。

「え?土方さんはこわくなんかないですよ」

生真面目で融通が利かない。

どちらかと言うと無口ではある。

が、恐ろしいほど細やかな心遣いを見せる男でもある。

「あ、でも、厳しい人だから・・・そう、見えるかな?」

「そうどすな」

お勝は頷いた。

きっとこの沖田はんの笑顔に、土方はんもつられてしまうのだろう。

明るくてくったくのない沖田はんの横顔を見詰めたお勝は

「はよう・・いきまひょ。お昼がのうなってしまいますえ」

沖田への用事をもう一度告げなおした。

「はい」

やはり無邪気な子供のようである。

お勝はクスリと笑いながらくどに急いだ。

商家の昼はすさまじいものがある。

このくどの中では上下の身分はない。

手のすいた者が先先と昼を平らげてゆく。

食べればすぐさま仕事に戻る。

と、なればいつも商いの要になる大番頭は

最後のめしにありつくことになるのである。

これではいけないと賄い方のお重は

きっちり、大番頭の分をよけておくのであるが、

くい盛りの丁稚はこの昼こそがたのしみである。

重いものを持つ仕事柄であれば、

原田は采こそ数はいうが、飯の御代わりにはこだわらない。

それこそ、丁稚が路の端で腹をすかして倒れこんでは、


豪商原田の沽券に関るという。

「たるほど、くわせてやれ」

腹がくちれば仕事に精もでるという。

原田の面子がきいてか、確かに丁稚はよく動く。だが、うっかりするとこの飯さえなくなる。

「だんなさまはふとっぱらだから」

お重はわらう。

朝三暮四でしかない。

が、確かにひもじい思いを抱えない丁稚は安心する事をしっている。

「あら?」

沖田はんを呼びに行ったお勝がかえってきていた。

「今きはります」

「あんひとは細すぎる。たんと、食べてもらわにゃあの」

国なまりがちっとも直らないお重であるが、お勝の意見も同じである。

「原田の家に来て肥えたといわせにゃあ」

どうやら、旦那の客人格には何か別のものを用意しているようであった。

「ほれえ」

鍋の中をみせる。

「まあ?」

鰻である。平賀源内が精がつくと請け負った鰻をどこで誂えたか。

「だんなさまも?」

「さっき。お部屋のほうにこっそり」

原田は叩きあがりの人間である。

今もくどの板敷きで丁稚ともども同じ飯を食うを習いにしている。

だから、やはり居候宜しく長居をする客人は

原田と同じに飯を食うことになる。

「では?」

沖田も皆の前でご馳走はづつなかろう?

「ほうどすな」

勝は得心するとやってきた沖田を振り替えった。

「沖田はん。居間にいきまひょ」

「はあ・・」

きょとんした沖田である。

「鰻おめし・・どすえ」

「あ」

みなの手前ここで食べられるわけがない。

みんなに申し訳ないというより先に

「やあ・・ご馳走だ」

素直に喜んだ後に

「もうしわけないですね」

と、こっそりつぶやいた。

お勝はためいきがでる。

ここしばらくやってくる沖田はお重の心をも魅了するようである。

だんな様に食べさせたいのが先でなく、

沖田に食べさせてやろうとするが先に立つ。

しいて言えばだんな様は時折胃の腑が痛むといわれるが、

名医である長案の薬を飲むとけろりとしている。

商いのくたびれからくる胃痛でしかない。

だんな様の元気なのは言うまでもないことで心を砕かされる事もない。

むしろ人なつっこい痩せた青年の身体がお重の気がかりになる。

不思議な人だと思うと、ふとお勝に溜息がでた。

こんな人だったらあんひとも許されるかもしれない

と、思ったからだ。


お勝の男という言い方はいささか野卑である。

が、この際他の言いようが無い。

お勝の男はお勝の亭主でもない。

かといって、お勝と恋を語らうだけの若造でもない。

お勝は男の抱える事情を鵜呑みのまま男と女の一線を超えた。

超えた以上、お勝も覚悟をつけた。

一緒になれる仲でもない。

一緒にいれる時まで一緒にいて、

「骨はあたしが拾ってあげまひょ」

そう決めた。

何故なら、男は新撰組の志士だった。

無論、この事は誰も知らない。

沖田も知らない。土方も知らない。

でも、お勝には判っている。

男が新撰組にいる限り、この恋は成就しない。

だから、内緒なのだ。

男の志を曲げたいのは、山々。だが、脱党すれば斬首。

お勝が一緒に逃げようといえば、男はそうするだろう。

でも、結局。死。

きっと、このままいても、男は結局天下様と殉死だろうとお勝は思う。

どちらにしても、死しかないのなら、男の初めの志を通させてやりたい。

通すためには、お勝が日陰の女に徹するしかない。

あんさんの女房になりたいとも、

新撰組なぞ無かったらともいいはしない。

男に別の生き方があったといいはしない。

こっそり、夜半に女中部屋を抜け出して、

男と忍び合い、二人が生きているを確かめ合う重ね事に

ひと時の喜びと男へのいとおしさをかみ締める。

それがお勝に出来る恋だった。

誰にも知らせられない恋はやはり許されない重苦しさを付随させる。

せめて、「俺の色」だと、男の口から誰かに呟かれてみたい。

せめて、最低。底の底。

色もにおいも無い。形も名前も無い。

男という無機質を潤す女という属性だけでも、広言できたら。

でも、色と広言したら、かなしいかな、

すぐさまお勝で御座いと割れてゆく。

知られたら、勝の女がもたげてくる。

お勝も日向に出て、男を自分だけの男にしたくなるだろう。

やがて、それは、男の死を意味するか。

あるいは自らの手での恋の弔いをめざすことになるか。


「あ?」

沖田である。

「どないしましたん?」

沖田の突然の声にお勝も物思いから我に返った。

「いや・・・。あの・・お勝さんは?」

沖田が突然気が付いたのは勝の食事の事だった。

勝の目の前で大方うまげに鰻めしをたいらげておいて、

いや、たいらげたからこそ、満足した食指が

やっとやっと、勝のことを気が付かせた。

沖田の口ぶりから勝も沖田が自分の事を気にしていると察せられた。

「はあ。お重さんにこっそり・・」

貰って食べたという事にしておかないと

この青年は下働きの勝にまで済まながるだろうと思った。

「あ・・・よかった・・・」

案の定である。お勝も鰻めしをよばれているとわかると

沖田は安心してはしを進め始めた。

「沖田はんは・・優しいお人どすなあ・・・」

思わず漏らした勝の言葉にはしをとめると

「はあ・・?」

訝しげであるが、深く詮索はしない。

勝が喋れば黙って聞いてくれるのであるが、

総司は勝の言葉がでてきたのが、自分ゆえとも思いつかないのである。

残りの飯を食べ終わった沖田に茶を勧めると

「沖田はんはどんな本をよみはるんどす?」

お勝がたずねる。

手のひらを受けにして湯のみをじっと持っている所を見ると、

まだ、口の中に残った鰻飯の香ばしさを

楽しんでいたい沖田なのであろう。

「戦のことです」

やっと茶を口に啜ると沖田は

勝に言ってもせん無い事を事実のままに答えた。

「十八史略・・司馬遷の兵法の書です」

「はあ・・よその国の兵法がこの国のことにもあてはまりおすか?」

聞きなれない司馬遷という名前が

この国の人間の物でない事を悟ることの出来るお勝の聡さに

沖田はいくばくか驚いた。

けれど、もっと驚いたのは勝の言った言葉が

沖田の思いそのものだったことである。

兵法の神とまでいっていい司馬遷であるが

この国が抱える内憂外患は

大国の内輪争いの考えでは解ききれない複雑さがある。

けれど、どんな兵法の書による手引きより恐ろしい見識が沖田にはある。

和国においては武田信玄による。

「人は生垣」

城を護るは結句人脈。

人を大切にした城主こそが人によって護られる。

この裏側は恐ろしい。

城主を載せる生垣がどんな想いであるか。

想い一つを間違えれば城は城主を載せたまま崩れ去る。

今、この国が城主を載せる想いに憂いている

尊皇攘夷。倒幕。勤皇。

いろいろの想いが交錯し愚劣にも、

下克上を夢見る見当違いのやからさえいる。

国の生垣が一つに纏まらない状態で外に患いを抱える。

―国が成り立つはずが無い―

城が崩れるは内からというが、

正に司馬遷とて防ぎきれない亡国の図式である。

仮になんらかの手立てがあったとして、

良薬を布くに布けないほどこの国の病巣は急速に悪化していた。

結句、新撰組も国を護る為というより

既に広がり続ける病巣の拡散を防ぐ為だけに存在するが如くであった。

だが、この事を沖田は土方にさえ口に出さない。

なぜならば既に沖田の憂慮の先が見え始めていた。

国の礎になるか、

それより先に沖田自らの外患に命をせばめられるか。

病魔が確実に沖田を蝕み始めている事を知った土方が

沖田にその日の実直を禁じた。

故にこの久方ぶりの休日は休日という名目こそ呈しているが、

土方がよこした一時の安静でしかない。

沖田に一時安静をしいたとて、それで、治る病ではない。

ただ、病を押す沖田に人らしい情を与えてやりたかった土方である。

だが、それはまた土方にも沖田にも

この患いの質の悪さを露呈させていた。

変哲の無い病なら、沖田も土方の言い分を聞き入れ

この二日を原田の家で過ごす事はなかっただろう。

「少しのんびりしていろ」

沖田は素直に、

野暮ったい口の聞き方の裏の土方の情を受け止めるにした。


こそと音がすると居間の襖があく。

見上げた勝のまなざしの向こうに背の高い男の影がある。

「おお。くうておるな」

見廻りを口実に沖田の様子を窺いに来た土方が

後ろ手で襖を閉めると沖田の側に座った。

「土方はんは?」

沖田より先に勝が土方の昼を尋ねた。

横目で勝の傍らの盆にある飯椀でそれと察した土方は

「ここほどの馳走ではないが、すませた」

ぶっきらぼうに答えられると、

お勝もどうも土方が苦手であるのを隠せないらしく、

取り付けたように慌ててたちあがった。

「お茶をいれてきまひょ」

お勝が逃げるように居間を出てゆくのを見送ると

「どうも、おなごしはわしをけむたがる」

土方もそれとなく察している様である。

ここにきた本来の目的は

おなごしの愛想をもらえる己の面相を量るためではない。

沖田の顔色を覗き込むと

「よさそうだの」

と、安心した顔を見せる。

覗き込んだ土方に

「土方さん」

沖田の声に哀願が篭っている。

「な・・なんだ?」

何を言われるのかと土方も構えた声になってしまう。

「退屈でいけません・・・」

何かと思えば・・・。

「隊に戻っていいでしょ?屯所に戻して下さい」

休日の返上である。

「どっちにしろ」

沖田の言い出す言葉が病の先を言い出していると気がつくと

土方は頷くしかない。

「好きにしろ・・」

沖田の好きにさせてやるのが一番いい療法かもしれない。

生き様という療法に見合う沖田の意志を

確かにさせるためだけの

この二日の休日にしかならなかったのかもしれない。

「壬生がいいか・・」

暗に新撰組で骨を埋めるかと尋ねると沖田はさらりといなした。

「土方さんもでしょ?」

「そうだな」

多くは語らず土方も頷いた。

「じゃあ、いきましょう」

さそくに立ち上がると沖田は土方を促した。

「あら?」

茶を入れに行った勝と障子戸で向かい合ってしまった。

「沖田はん、壬生ですか?」

退屈だった沖田の顔が

もうじっとしていられない子供のように輝いている。

「せっかくだ」

土方は盆の上の湯呑を掴むと少しばかり口をつけた。

「夜はこっちに帰ってきます」

沖田が言うと勝は

「これからだんなさまの薬をもらいにいってきますが、沖田はんは?」

評判の名医なのであるが、忙しすぎて中々薬も調合できない。

勝が行っても、往診にでていない事が多い。

いたとしてもこれからだと断られる。

いないのなら仕方がないが、居るを手ぶらで帰るわけにもいかず、

勝は待っておりますからと調合を頼み込む。

つまりは待つに懲りた原田が勝をつかいにだすことになったのである。

勝はその医者なら沖田に合う薬を作ってくれるのではないかと思った。

勝が心配するのも無理がない。

沖田はここに来た時より、随分やせてきている。

「勝さん。私に効く薬は壬生にあります」

沖田が笑って答えると、

「はああ」

勝の返事は小さな溜息にかわった。

黙って聞いていた土方だったが

沖田の病に効く薬なぞない事は判っている。

沖田が言ったとおり、沖田を癒す薬は

壬生の新撰組しか、ないのだろうと思うと

土方はそっと総司のかおをうかがった。

このまま土方と一緒に屯所に戻ると決めた沖田の顔色が

一段とさえていた。

『新撰組がいいか・・』

そうまでして大和のおのこの生き方を新撰組にもとめるか。

ますます、土方の中で新選組に重みが増してくる。

土方が益荒男の生き様を己の手の上に載せる峻厳に

慟哭さえ覚えようかというに

沖田の命の灯はいつきえはてるか。

『平穏な世になったとて、惚れた女子と暮す先はないか』

それよりこの先を共に暮らしてみたいと

思えるような女子にあいまみえることさえないか。

おそらく沖田の命が尽きるまでに平穏無事の世の兆しさえ見えはすまい。

ほれる女子に逢わぬ方がさいわいかもしれない。

が・・・。

恋にほだされる事も無くおわるか?

原田の家を出てから無言で町並みを通り抜けた土方の胸中の思いが

口を付かせた。

「総司・・・。お前、好いた女子はおらぬのか?」

突然の土方の言葉に沖田がたじろいだ。

「いやだなあ、なんですか?藪からぼうに・・」

沖田のいささかの照れは沖田のおぼこさのせいか?

それとも、土方の言葉が沖田の深層に触れたせいなのか?

量りきれず土方は尋ね返した。

「惚れた女子がいるのか?」

真顔の土方を見て取ると沖田の顔も引き詰まった。

「いたとしても、新撰組」

新撰組を捨ててもいいほどに惚れてない女子を惚れたといえない。

と、いいたいか。

あるいは言葉どおり新撰組の方が大事だというか。

だとすると惚れた女子がいながら諦めたか、

新撰組大事でそのきにもならぬといっているか?

「そんな事はきいておらぬ。おるのか、おらぬのか?」

土方が重ねて問う言葉に沖田は心底困った顔を見せた。

「新撰組があれば、恋はできません」

言いなれぬ恋という言葉にどぎまぎして答えてみせたが、

それは追い詰められた沖田の嘘だ。

新撰組があればではない。

沖田は自分の運命を悟り始めている。

先の無い自分が恋なぞ望んではいけないことを知っている。

新撰組と共に生きそして共にしぬきでいるのである。

先先を生きる自分であらば、恋もよかろう。

だが、死に場所にたどり着くなら相手を新撰組と決めた。

決めた以上、恋は無い。

それは新撰組のせいでない。

己の運命を享受したにすぎない。

「それに・・・」

総司が少しことばをのんだ。

「なんだ?」

総司が言いたい事は見えている気がしたが土方はたずねた。

「だって、新撰組は女人はご法度ですよ。

それなのに土方さんがそんなことをいっちゃあ・・・」

「そうだけどな」

少し黙って考え込んだ土方である。

確かに酷い事を聞いているのかもしれない。

だが惚れるという事は頭ではない。

沖田のいう事は頭で考えめぐらせたことでしかない。

惚れるは己の考えとは無縁の所にある。

いくら、頭で考えても惚れたという感情は頭と別の所で生じる。

「総司。俺が言うのは惚れた事をどうしようという事でない。

惚れるという気持ちになっているのかどうかを聞いているんだ」

気持ちの有無を尋ねられた沖田は楔を刺された杭のようにみえた。

「私は・・・」

考えない事にしている。

明らかに惹かれる気持ちがあったとしても

恋になる前に揉み消す事に努めた。

惚れる事をさけている。避けるしかない。避けてしまう。

自制心などという強いものでない。

先の無い自分を見せ付けられることから逃げ出している。

惚れた女子とは共に生きおおしたいと思うだろう。

だが、それにはまず新撰組が邪魔だろう。

先の無い自分が脱退して女子と生きるといっても

きっと「どうせ」と許されるだろう。

ところが、この先、共におなごといきれない。

自分が先に死ぬ。

女を路頭に迷わせ心の支えをなくさせるためだけに女を選ぶ。

出来るわけが無い。

そして、新撰組もそう。

新撰組にとっていても居なくてもいい人間。

「もうすぐ、どうせ、死ぬ」人間。

そんな自分が居たいと望むことでしか存在を許されない。

だが、どちらが自分に必要か。

相手を不幸に突き落とすだけの恋か。

少しでも国の病巣を狩る役に立つか。

「相手の先を思うとのめりこむことすらできない」

やっと、答えた沖田に土方は気持ちの有る無しを再度問うことをやめた。

かわりに

「つええ男だな」

と、ぽつりと呟いた。

沖田にすれば惚れることから逃げている事でしかない。

「弱い・・ん・ですよ」

異論というには語気に寂しさが滲んだ。

「いや。俺は相手の先の事なんぞ、考えやしない。

無論。俺のこともだ。

お前はどこかで今にも死んじまう自分を考えちまってるんだろうけど、俺だってそれは考えないわけじゃない」

死がいつやってくるかは沖田だって土方にだってそう違いは無い。

「ただな。俺は自分が可愛いんだ」

「え?」

意外な土方の言葉である。

「俺は自分が可愛くて仕方ねえ。

この気持ちを何とかしてやらず死にたくねえ。

その気持ちに勝てねえ。俺だって死ぬのは怖い。怖いから尚更・・」

土方がふと黙った。

祗園の菊屋の鈴音が土方の女である。

芸者という立場が土方の惚れ気を抑えずに済ませられてもいる。

『玄人相手じゃ・・違うか』

総司の惚れる相手が町方のいいところの娘なら・・・。

俺も総司のように考えるかもしれない。

鈴音がどうせ、玄人でしかないから、

自分可愛さで鈴音を抱けるのかもしれない。

一緒になろうというこの先を考える事もない。

土方の恋情と欲望を埋め合わせる女は、

また、土方の欲望と恋情を受け止める事だけを全てにしていた。

その時の想いのままに二人が一つに繋がれる事だけが全てだった。

『この先か・・・』

先の短いだろう男が先を考え、

あるいは沖田を考えればいいほど先の長い土方の方が刹那に生きる。

それは見えないだけで遠くにあると思える死への覚悟と

向こうから押し寄せてくる確実に近寄る死への覚悟への違いだろうか。

「お前。もし、心底惚れる女にめぐり合ったら、

ここに・・それでもここにいるか?」

沖田の底が見せる純愛に程遠い己の刹那への渇望を叩く為に

土方は尋ねた。

途端に沖田の声がからからと軽く乾いた。

「土方さん。仮定答弁すぎますよ」

小さく笑い声を立てる沖田も話が現実離れしすぎて、

むしろ気持ちが軽くなったようだ。

そして、いった。

「新撰組を吹き飛ばすほどの人がいたら、

私は迷わず脱退するでしょう」

その先に離脱者への死の制裁を与える追っ手が

待っているとしてもだろう。

だが、そんな人なぞ現われるわけが無い。

沖田もそんな気持ちになるわけが無い。

二つの打ち消しあいでありえぬ事が歴然とすればするほど、

それほどの人がいれば、

それほどの気持ちになればと

新撰組を離れる仮想は夢の花のように美しくさえ思える。

『それほどの恋でもないか、それほどの鈴音でもないか』

土方はこっそり己に嘲りを向けてはみた。

『それでも、鈴音。お前は俺を慕ってくれる』

女への甘えごと何もかもを包み、許す女は

やはり土方には鈴音しかいない。

どこかで鈴音の存在で己の男としての在り様を確かめている。

だが、総司は女に対峙する男という部分を切り捨てて生きていられる。

無論。男にとって女と対峙する男だけが男の生き様ではない。

むしろ、ほんの少しの男の一部でしかなく、

時にあっさりと総司の様に切り捨てて置けるものかもしれない。

無くても良いものを追う。

むしろ追わないほうが良いくらいの物を追う。

ほんの少しの男の一部さえ、なくしたくない男はやはり自分が可愛い。

どうでもいい男の一部が後生大事で

切り捨てる事を恐れるは弱いといえるだろう。


やがて・・・壬生の屯所にたどり着くと

「やあ・・」

沖田は声をあげた。

ほんの二日、留守にしていた屯所が酷く懐かしい。

詰め所の入り口から中を覗き込むと

「誰もいませんね」

沖田が土方に告げる。

「おかしいな」

見回り組が市中に繰り出すとしても

一人や二人は屯所に残っていそうなものである。

「今日の居残り番は土方さんと、佐部里信太次さん・・あっ」

張り番の札を見詰めていた沖田は何を思い当たったか、

「あ」と言葉を切ったきり黙った。

土方も沖田に何か、思い当たる事があると気がついている。

「総司・・なんだ?」

「あ。いえ・・」

沖田らしくもない隠し事があるように見える。

おまけにそれを土方に喋ろうとしない事も気に入らない。

「なんだという?」

「あ・・・」

沖田は自分が原田の家で見聞きした事実を

話そうかどうしようかと迷った。

迷いがまだ定まりきらない。

思いをまとめる時を稼ぐために沖田は土方を外に促した。

屯所の入り口の横、軒下に畳一枚ほどの縁台が置かれている。

涼しい風の吹く外の縁台に座り、

信太次の代わりにまず張り番を務めようという沖田の考えが判ると

土方も縁台に腰掛けた。

「で?」

「あ・・・」

原田の家で寝苦しい夜を迎えた総司である。

京の六月は蒸す日と肌寒い日の寒暖の差が激しい。

ここしばらく寝汗が続き、熱っぽさが身体をだるくさせ、

咳き込む事も多くなった。

と、思うと空気は急に冷え込む。

市中見廻りの後、雨に打たれた総司が

とうとう、わずかではあるが吐血した。

総司のひそかな吐血に気が付いた土方が

原田の家での謹慎を言い渡す事になったのである。

が、その日から途端に京はまた生暖かな湿気を帯びた空気に戻る。

総司がゆっくりと寝入る事が出来たのは明け方近かった。

その夜のしじまに総司はお勝と佐部里信太次の逢引を知ったのである。

寝苦しさに外に出た総司はついでにとばかりに厠に用を足しに入った。

入ってみたものの熱っぽい体から水分と呼べるものは殆どでてこない。

暗闇の中、朝顔と向かい合っていた沖田はふと人の気配を感じた。

こそりと足音を忍ばせる影は女であり、

見慣れた歩き方と体躯で影だけでも直ぐに勝と判った。

勝も厠かと思ったが勝の向かう方向が違う。

どうするのかと見ていると勝は沖田にきずかないまま裏木戸にむかった。

そっと戸を軋ませないように開けると、勝の体が木戸をぬけでてゆく。

なんだろう?

こんな夜中に外に出る勝の思惑に思いが及ばないまま、

単純に勝を案じた。

何か困った事があるのかもしれない。

沖田に出来る事ならてつのうて解決してやろうと

勝の抜けた木戸の側に近づいていった。

「勝」

沖田が勝を呼ぶより先に、

夜のしじまの木戸の向こうから低く声を殺した男が勝をよんだ。

「信太次さ・・ん」

男の名前を呼んだ勝の声が勝を呼んだ男の胸の中にうもれていた。

あ・・。

やっと、沖田も理解した。

夜中に男と女が落ち合う。

これが逢引きと云うものであり、

止むに止まれぬ恋情の果て、

屋敷を抜け出す女を待つ男も

一刻も早く逢いたいと時を惜しみ、

距離を惜しみ裏木戸の直ぐ側で待っていたのであろう。

やがて、二人を隠す逢瀬の場所にゆくのだろう

密かな足音は去っていった。

原田に忠義を尽くすような働きぶりの勝が

無用心に裏木戸を開け放ってまで抜け出して

男に会おうとすることも好いた男がいたゆえと

さして驚かなかった沖田だった。

が、勝が呼んだ男の名前が沖田に荒い動悸を起こさせていた。

信太次と云う変わった名前は佐部里しかいないと思えた。

そうであるのだろう。

耳に残った男の声をゆくりと思い返してみても

信太次に間違いがなかった。

だが、佐部里は新撰組の志士である。

新撰組では恋は御法度である。

勝の行く末が哀れに思え、

総司の動悸は胸に鋭い痛みさえ覚えさせていた。


だから総司は土方に言うをためらってしまう。

新撰組では恋は御法度である。

ご法度であるが、

先の土方はまるで総司に恋でもせぬかというようであった。

で、あるなら、佐部里信太次のことを話してもよいか?

いや、ただ先の無い哀れな総司に死に土産に

恋くらいしておかぬかといっただけにすぎない。

ようは総司だけへの特別はからいであろう。

で、あるなら、佐部里信太次とお勝の事はうっかり話さぬほうがいい。

きっと、今、佐部里信太次が張り番を抜け出したのも、

昼の使いに出たお勝と忍びあうためだろう。

さなればこれだけでも、制裁ものである。

「じれったいの」

土方の眼が痛い。

総司は渋った返事を返したことの上手い言いぬけをさがすか、

それでもこれを機会に二人にとってよき結末に結ぶ話が出来ぬか、を

選択せねばならなくなってきていた。

良き結末と云うのは結句脱党をすんなり許されることでしかない。

総司には、ああは言ったが、

土方は間違いなく立場上、佐部里信太次の恋を許すわけが無い。

だが、佐部里信太次も勝をどうしたいのだろうか?

新撰組をどうしたいのだろうか?

是が判らないのに迂闊な事を露呈させるわけに行かない。

「あの・・」

総司の声が進まない。

話さぬほうがよいのかあるいは土方が二人の事実を容認し、

離党さえ許そうとする考えにさせる話をどういえるかという事よりも

総司の胸の中に勝の悲しみが浮かんでくる。

その悲しみを思うと総司は佐部里信太次に問い詰めたくもある。

―勝さんをどうするきですか?

離党する肝でもないくせにこそこそと勝とおちあう?

それが、恋におちている?

勝の純情を踏みつけにした土台の上で、

甘い恋の汁だけ啜って新撰組に忠誠を誓っているつもり?

命を懸けて勝がよいというでない?

生きてゆくに切ない飢えをしらじらと女子で拭っておいて

新撰組隊士で御座い?

勝さんは貴方の雑巾ですか?

新撰組は貴方のちゅうぶらりのぶら下がり場所ですか?

どちらにも誠意がない。なさ過ぎる。

そんな男を新撰組はほしくない。

勝さんだって・・・きっと・・ほしくない。

勝が切なく信太次を呼んだ声と

佐部里信太次が『勝』と、呼んだ声が総司の耳に重なる。

世が世でなければ・・・佐部里信太次だって、

勝を選び取っていたはずだと総司は思い直していた。

「なんだ?」

土方も総司が言い出さない事を

佐部里信太次のことだと見当は付いている。

男がひょろひょろ張り番を抜け出すとなれば

行く先にも見当が付いている。

見当は付いているが、総司がなぜ「あ」なのかが気になるのである。

およそ色事におぼこい総司が「あ」と、何かに思いあたっている。

「あ」

歯切れの悪い迷い口だけが土方の耳にまたも残った。

俺にだって女ぐらいいるとさらけ出してやれば

総司もいいだすのだろうか?

だが、恋はご法度と云う決めと

女への欲が別区立てで成り立つという事を総司に納得させるしかない。

この作業はむつかしいことだろう。

「ご自分の欲をはらすためだけなのですか?」

総司の怒りが心頭に発するのがみえてくる。

けして、欲を漱ぐためだけではないが、

ここにいる限りそれしか許されない。

女郎買いが男にとって止むに止まれぬ事であると

組の中でも暗黙の了承である事を総司は知らない。

だから、恋はままならぬが欲を漱ぐことまで制約できない。

と、暗黙のいい抜けをする。

組を放り出しかねない本気はならぬが、息抜きは目を瞑る。

と、土方は自分にも言い聞かせている。

本気にならぬためにも、

いつでも捨てられる女を選んでいるのかもしれない。

己の人生を重ねる相手でなく己の男の部分を重ねられるだけの女を選ぶ。

僅かに恋情に酔えるために

女が土方に思慕を寄せてくれなければ

そこらの女郎を抱いているのと同じになる。

こんな言い訳が総司につうじるだろうか?

俺にだって女ぐらいいると言い出しきれないまま

土方は総司の言葉を待った。

「ねえ。ねえ。ねえ」

突然の声がひびいた。

「なんだ?」

土方が声の方を見ると十くらいの蜆売りの小僧がたっていた。

いかつげな土方に怖気も奮わせず

「ああ。おじさんじゃないんだよう。そっちの」

総司のほうを指差し手招きして見せると

「大事な用をことづかってきたんだ」

土方の存在がさも胡乱であるというように目配せをして

総司にこっちに来てくれともう一度手招きをしてみせる。

「え?私に?」

総司がとまどうのも無理がない。

見もしらぬしじみ売りのそれも子供になぞ

大事な用を頼む人間に心当たりもない。

「いってやれ・・」

土方はくすりと笑う。

「大方、付文でもことづかってきたんだろうよ」

総司は美形の部類に入る。

見回りの凛凛しさを見初めた娘が矢も立てもたまらず

恋文をしたためたというところだろう。

おそらくこんな娘は京の中に沢山いるだろう。

が、流石に女から文を渡すほどの勇気はない。

こう考えればよほど切羽詰った上の決心のはてである。

だから、

「まあ、その大事なことづけとやらをきいてきてやれ」

小僧も他の人にはくれぐれも悟られぬようにと

いいつけられているのだろう。

とにかく総司だけに伝えようと必死に手を拱いている。

「返事をきいてきてくれっていわれてるんだよう」

だから、袖の中に入れた文を渡すだけでは

小僧の用事はすまないということらしい。

小僧は返事を貰ってくる約束を果たした後で

駄賃をもらえるという事なのだろう。

『いよいよ、付文だな』

土方は確信してしまう。

「はあ?」

総司のこんな訝しげな顔さえ娘には甘やかにみえることだろう。

縁台から立ち上がると総司は少年の前に歩み寄った。

「これだよ」

少年の袖の中からでてきたのはやはり文だ。

「読んだら直ぐ返事をくれって」

文を受取る総司の返事が子供になっていた。

「うん」

丁寧に巻き返された文を解き総司の目が字をおってゆく。

その総司を土方は面白い者を見るように見詰めている。

総司の手が止まり、

「え?」

途端に顔が赤くなってゆく。

面映い恋情が湧くような文の相手が誰であるのか?

総司の手が相手を確かめるかのように、文の最後を捲りだしてゆく。

「土方さん」

大の男がたじろいで土方を呼ぶほどの書面には

どんな思いの丈が綴られているのであろうか。

「しっかり、よんでやらねえか」

多少の苦笑をこらえて初心な男をはげますと

「これ、私にじゃありません」

と、総司が言い出した。

「なに?」

土方が微かに暗くなるのも無理がない。

総司の人生を彩る小さな華やかな出来事である恋文の、その相手が違う。

総司は手紙を巻き返しながら土方の傍らに寄ってくると

ますます顔を紅くしている。

「なんだあ?」

どうやら総司の目に耐えない艶事までかいてあったらしい。

ところが読むにうろたえるほどのその手紙を土方に、

にゆっとつきだして、

総司は一層、紅くなる。

「土方さんにです」

そう総司に言われてみれば、

土方にも総司がここまで紅くなるのも無理がないと判る。

手紙の主に艶事をしかけ、書かせた当の本人の目の前で

代わりに中を読んでしまって、それをさまに当の男に渡すのである。

「俺に?」

文をよこしてくる相手は判っているが、

総司がうろたえるほどの何を書いてよこしたのか。

いや、それより土方が女のことを言うか、言わぬかの迷いを

後にしてしまう鈴音の見事なばらしぶりである。

だが、それよりも総司がうろたえてしまった事は良かった。

うろたえた総司は女人禁制でしょう?

と、文句をいう事さえ忘れているようだった。

「ばれてしまったな」

土方は総司に尋ねたい事がある。

だが、小僧の所在なさげに待つ様子が土方の目の端に入ってきていた。

駄賃を当てにしている小僧を考えとにかく土方は鈴音の文に目を通した。

「こっちにこい」

土方は鈴音の待ちぼうけを訴える文を読み終えると

色よい返事を小僧に伝えると、

そも相手を取り違えた元凶を小僧に問い直すことにした。

「お前、なんていわれてことづかってきたんだ?」

小僧も聡い。

側でじっと返事を待って二人の様子を垣間見ているうちに

手紙を渡す相手が違っていた事に気が付いていた。

「ああ。悪かったよう。

でもさ、姐さんが、きりっとした男前だっていったんだ」

成る程。それで総司だと思ったという事か?

だが、そんな曖昧な言い方だけで

小僧がちゃんと土方に託が出来るとよもや、鈴音も考えはすまい。

「ほかになんていっていた?」

「背が高くて、色の浅黒い、怖い目をしてる人だから、すぐ判る、って」

「ふうん」

鈴音は土方の名前はださなかったらしい。

「見回りに来てなかったから今なら屯所にいるはずだって、

で、すごく男前なんだって、姐さんが嬉しそうにいってたから」

鈴音に言われた通り大急ぎで屯所に来てみれば、

確かに居残っている隊士がいる。

小僧は総司と土方を見かけた時、

そのどちらかが、文を渡す相手だとあるとさっしがついた。

ところが、小僧は迷いだした。

「色の浅黒い、背の高い、怖そうな人はおじさんのほうだと思ったんだ」

で、あるのに、

「姐さんがいい男前だって、あんなに嬉しそうに言ってたから・・」

男前なら総司のほうである。

小僧よろしく土方もあっさり軍配をあげるしかない。

「それで、こっちのお兄さんのほうだって・・てっきり」

間違えたのは自分のせいではない。

男前だっていった姐さんのせいでしかない。

小僧は念を押したいがために

何度も鈴音が男前だといったと言い募っていた。

「やかましい」

女には惚れた男が男前に見えるんだ。

怒鳴りつけたくなる気持ちを抑えながら、

懐から銭を取り出し小僧に渡してやった。

「あ、ありがとう」

とにかく、これで小僧は使いが終えたという事になった。

鈴音のところにいき、土方の伝言を伝えればまた、駄賃がもらえる。

小僧はもう、次の目当てに向かって大急ぎである。

ありがとうを最後まで土方に言い切らない前に小僧は走り出していった。

脱兎を見送る土方の後ろから途端に総司の笑い声だ。

「わらわなくていいだろう」

土方は渋い顔になるが、総司はお構いなしだ。

総司も言い分をあからさまにすれば土方も面白くなかろう

と、口に出しこそしないが

土方さんが男前ですか?

と、可笑しくてしかたがないのだろう。

『しかたがねえだろう?

鈴音にはお前よりよっぽど俺の方が男前なんだ』

鈴音の岡惚れが可愛く思える。土方も多少なり顔が緩むのが否めない。

無理に作った渋い顔がどうしようもなく緩む土方だから

総司がますます笑いをかみ殺せなくなっているとは

土方もきがついていない。

「おい・・いい加減にやめろ」

笑いを制しても、当分笑い続けた総司だが

総司の笑いからして土方にはいささか妙に思えた。

その事も含め土方がやっと笑いが収まった総司に

「総司」

と、呼びかけ話を切り出してゆこうとした。

総司も真顔に戻り

「土方さん」

土方の正視に応えると、切り詰まった声になった。

土方がまず聞きたい事は総司が何故、

鈴音のことにこだわらないかと云うことである。

「おどろいたんだろう?」

土方に女がいたことにである。

「ええ・・・まあ」

総司にとっては当然であろう。

恋はご法度と唸っている新撰組の副隊長自らに女がいる。

「まあ・・その・・なんだ」

土方も説明が上手く出てこない。

隊を抜けるような色恋じゃないんだ。

と、言えばそれで済む所が総司にはそうはいかない。

総司とここに来るまでに交わした話を考えてみても

「本意じゃないわけですか?

相手の先をかんがえてやらないのですか?」

と、土方が女から手を引く事を怒気と共に要求してきそうだった。

で、あるのに総司は鈴音の存在を知ったに関らず笑っている。

これが土方には妙なのである。

ところが

「いいんですよ」

総司への言い訳と説得を考えている土方に総司がいった。

「いい?いいって何がいいんだ?」

総司の「いい」がどういう事なのかはっきりと要領は得ない。

が、総司が鈴音の事を容認しようとしているらしい事だけが

おぼろげに見える。

「俺は新撰組の副隊長なんだぞ?」

総司にすれば恋を許されない立場のはずではなかったのか?

で、あるのに怒りもせず笑っていられる。

土方もむしろ拍子抜けするほどの総司のこだわらなさである。

土方の疑問が総司のあっけない容認から派生している

と、総司は気が付いた。

「私も少し前までなら、きっと、怒りくるったでしょうね」

「少し前ってのは?」

ここに来るまでに総司に恋を薦めた言い方をした土方である。

そのせいで総司の心境がかわったということなのか?

だが、それはおかしい。

路ながらに恋を話した総司から、既にいつもの総司らしからぬ。

いつもの総司なら

「隊をぬけてもいいと思えるほどの相手なら」なぞと

新撰組を後にした言い方はしない。

だが、是も短い命を悟った総司にとって

尚更に新撰組の価値が深くなったせいとも取れる。

それほどに価値高くなった新撰組をも放り捨ててもいい

と、思えるとすれば、その女性は

どんなにか愛しく崇高な存在ということである。

だが、今までの総司なら女性と云う存在を相容れて

新撰組と並べることさえなかった。

命が燃え尽きる前に見せる悟りか、達観に見えて

土方はことさらに哀しかった。

だが、総司の口調ではこの達観は入滅前のせいではないらしい。

命の重さとはかなさとを基調にしている事は間違いないが

総司はいつ、何故に、変化を遂げた?

そして、それは佐部里信太次への「あ」と関連のあることだというか?

「それなんですよ」

重苦しい顔つきの土方に較べ総司はあくまでもくったくない。

土方に女がいると判れば総司も腹をくくれた。

土方さんに佐部里信太次と勝のことを話しても大丈夫。

この安心が総司を明るくさせていた。

「実は昨日の晩なんですが」

佐部里信太次の今、留守の事でも話しだすのか

と、思ったら昨日の晩と云う。

「で?」

佐部里信太次と女の逢引でもみつけたというか?

土方は安易過ぎる想像に苦笑しながら総司の言葉を待った。

「夜遅くにお勝さんが裏木戸を抜けていったんですよ」

「お、お勝って、さっき・・見たお勝だな?」

総司も土方も共に知っているお勝は原田屋のお勝しかいないだろう。

「で、裏木戸の向こうに男が待っていて」

なるほど。

「待っていた男が佐部里信太次だったと、こういうことだな?」

判りの早い土方である。

多くを語らずに済む事にほっとしながら総司は頷いた。

「ふうううん。で、お前は?」

何が「ふうううん」なのか、総司にはよく判らないが

とりあえずは土方が頷いた。

「見て見ぬ振りにしました」

「向こうもきがついていないということか」

「ええ。まあ、そういうことです」

土方の「ふうううん」は、

佐部里信太次の女がお勝だという事に得心したからではない。

昨日の晩の時点で、既に総司には鈴音に見せたと同じ

妙な達観があった事に唸ったのである。

「で、その事があったせいで

お前は俺に女がいるときいても怒る気にならなくなったというのか?」

「ええ、まあ。つづめていえば、そういうことですね」

『解せねえなあ』

そりゃあ、そうだろう。

ちょっと前の総司なら佐部里信太次を追いかけても、止めただろう。

それが、見て見ぬ振り?

だったら、総司の達観はまだ別の所ではじまっていたということになる。

「それで」

総司がやっと話に本腰をいれはじめた。


出会い茶屋の奥の小部屋でせっつくようにもつれ合い

佐部里信太次とわずかな逢瀬を分け合うと

勝は医者の長安の元へ小走りで、かけてゆく。

佐部里信太次の方も似たようなもので、

屯所に大急ぎに戻らなければならない。

昨日の夜に逢ったばかりの勝であったが、

屯所の張り番の伴であった土方が

「ちょっと、出てくる」と、いうが早く屯所を後にした。

と、なると佐部里信太次には密かにではあるが

自由勝手になる時間が作れる。

屯所の張り番をすっ飛ばす事がどんなに良くないかは判っているが、

この刻限なら勝が医者の長安の所に行くために外に出ている。

と、なるともう矢も立てもたまらなくなり

足はとっくに外を走り出していた。

一目逢うだけと心に念じて、長安の近くの道で、

しばし、勝を待ってみた。

現われた勝がひょいと佐部里信太次に気が付くと、

これまた大急ぎで長安に薬の調合を頼むと

佐部里信太次の側にやってきた。

勝の身柄も今は自由になると判ると

一目見るだけと念じた信太次の心はとっくにふきとんでしまった。

そして、人目をはばかり別々に茶屋に入り込むと

奥の部屋で短い逢瀬をむさぼりあった。

欲をはらすためだけではない。

勝が心底恋しい。

恋しい勝に触れずにおけない。

別れを惜しむより次に逢えるときを約束するのが、

信太次にも勝にも嬉しい。

思い切り勝を離せるのもまた会いたい二人の心が

確かに結ばれているからだと思う。

勝の吐息を思い出すだけで勝と結ばれた喜びに胸が熱くなる。

ほんの少し前の二人の甘やかな時刻の余韻に浸りながら

佐部里信太次はひた走った。

見廻りのものはまだ屯所には帰って来ないが

土方さんが先に帰ってきていたら面倒なことだ。

『怪しいものを見かけたのでまず付けてみました』

こんな言い訳を鵜呑みにしてくれる土方さんではないだろう。

新撰組の屯所の前に現われる怪しい奴?

そんなものがいるか?

すると佐部里信太次はこう答える。

『ですから、よほど腕に自信があると見ました。

私ごときが下手に立ち向かうよりはと正体を確かめようと・・』

で、どこのだれだという?

きっと、土方さんが尋ねる。

『それが・・』

すまなさそうにいおう。

『まかれてしまいました』

土方が先に帰ってきていた場合の言いぬけの構想を思いつくのも、

その嘘を恥じる気にもならないのも

勝にあえた事に較べれば安いものに思えた。


「私は佐部里信太次さんに真剣に生きてほしいんです」

総司の口から出た言葉の意味合いを量りかねて土方は口をつぐんだ。

「お勝さんにも、思い半分。

新撰組にも思い半分。

こんな器用な事が出来る人じゃないと思うんです」

それで、総司は「思い半分」をどうすればいい

と、いいだすつもりなのだろうか?

「で?どうしろというんだ?」

土方は総司の先を促した。

答えは単純明快すぎる。

新撰組を選ぶか、お勝を選ぶか。

「私は、佐部里信太次さんには、お勝さんをとってほしいんです」

「そりゃあ・・・おまえ・・・」

土方が言葉をつなげないのも無理がない。

総司のいう事は佐部里信太次の離党を示唆している。

と、なると離党者は切るしかない。

「お前、俺に佐部里をきれといってることになるじゃないか?」

総司はまるで間髪要れずに言い返すのをまっていたようであった。

「土方さんが佐部里さんをきれるわけないでしょう?」

瞳の底の強い意志は佐部里信太次だけにだけでなく

土方の進退をも問い詰めているように見える。

「そりゃぁ?なんだ?俺もどちらかを選べということか?」

総司の腹が読めてきた。

土方さんだってどっちつかずなんです。

土方さんの色の事には目を瞑りますから、

土方さんも佐部里信太次のことに目を瞑ったらどうですか?

と、こう匂わせている。

ところが、総司は土方の問いに首を振った。

「土方さんのいう事は

佐部里さんが新撰組を捨てる事への制裁でしょう?」

土方の読みと違う事を言い出してきた総司である。

「なんだというんだ?

佐部里のする事はお勝を取ることであって、

新撰組を捨てるという事でない。

と、こういいぬけようというのか?」

「違います」

やけに口調は厳しいが総司の顔は笑っている。

「だって、そうなら、土方さんだって

どちらかを選ばなきゃ許されませんよ」

にこやかに笑って見せるが、

土方さんこそ女を取るなら私が切りますと、

底の決意さえ見え隠れしている。

「どういうことだ?」

考えあぐねて土方は総司の前に手を伸ばして見せた。

お手上げだともお前の答えをくれといっているようにも見えた。

「つまり・・・」

「ふむ」

ここまで、聴こうとする土方にさせる術を総司もよく熟知している。

言葉を選びながらわずかづつ話してゆく総司の

うまい策略に乗せられてしまったと土方は思いながら

総司の言葉を待っていた。

しっかり訊く体制になっている土方を見て取り

やっと、総司はいいだした。

「土方さんは新撰組を捨てるから制裁を考えるんですよね」

「ふむ」

とりあえず頷く土方である。

「そうでなく新撰組の方から捨てる。

こう、考えてみて下さいませんか?」

仮に女がいるという事からして

既に斬首に値する事実であったとしても、

新撰組と云う一個の生き物が土方を必要とするから

土方もまた女と新撰組と思い半分、中途半端であっても許す。

が、佐部里信太次の場合は新撰組の方から

「いらない」とお払い箱にすべき価値でしかない。

「新撰組から見てお払い箱にしたいような人間を

わざわざ、切る必要もなければ、

一方では、土方さんの鋭気を養う場所は

新撰組から見たら必要な場所と、考えられます」

目の玉をひっくり返したような視野の転回をしなければ、

土方も佐部里信太次をも、許容し開放できる理屈が成り立たなかったと見える。

「なるほど」

土方は頷いて見せたが

「まあ、考えさせてもらう」

土方には土方の考えもある。

まして、総司のいう事には大きな穴がある。

それを穴と思ってしまうのも結句総司のおぼこさのせいである。

佐部里信太次のお勝への思いがどのていどのものか。

新撰組への思いがどこまでのものか。

仮に土方が一言、佐部里に

「勝と切れろ」

と、押せば切れる仲でしかないかも知れぬ。

土方さながら佐部里信太次が

どこまで、新撰組を基に考えているかは判らない。

それを確かめもせず、総司の考えを鵜呑みにする気もない。

『第一、 女への生き方が真摯であるかなぞより、

新撰組にどこまで誠であるかでしかない』

例え酷いほど女を踏みつけにする事が

新撰組に居たいが為の所作であるならそれも誠だといってしまいたい。

いつ死ぬか判らない、こんな俺達だからこそ

優しい女に慰められずにいられない。

新撰組に居ようとする事は、

どうしょうもない怖さをも抱き込むことでもある。

その怖さを抱き込むために女が必要ならそれもいい。

その怖さから逃げる事が許せない。

むしろ、そっちの方が重要な問題になるかも知れない。

『だいたい。お前は・・つよすぎるんだ』

弱い男の泣きさえ知らない総司は、

女に甘えられる法もある事に考え及ばない。

白か黒で割り切れるほど男って生き物はそんなに強くは無いんだ。

総司に説明し切れない男の弱さを胸の中で弁解しながら、

土方はそれでもふと思った。

『だのに、女への甘えがお前に、ちっとみえてきたってことか?』

でなければやはり、腑に落ちない土方への、

そして佐部里信太次の恋への総司の急な理解である。

『やはり・・・』

土方は悲しい。

吐血の事実が総司の神経を変え、今までと違う見方をさせ始めている。

と、しか思えない。

土方の胸の中に

「新撰組を吹き飛ばすほどの人がいたら、私は迷わず脱退するでしょう」

と、いった総司の顔が浮かんできていた。

新撰組しかなかった総司の命が拭き消える時が近い。

そう悟った総司の精神構造が急激に組みかえられたに違いない。

『本当は、新撰組を捨てていいほどの恋を知らぬまま、死にたく無い?』

だが、総司は死故に恋を断念するしかない。

故にことさら、新撰組に一筋に決めた男は

新撰組にとって、必要であるかと云う真摯な量りを持ち出し始めたか?

自分にとっての新撰組と云う範疇より

新撰組を主体にする考えを生じさせたのも、

自分の命を達観した男が新撰組に自分を預け

己を無私にすると達観したせいか?

どこまで、自分が新撰組に誠であるかだけを見る事でしかない。

こう気が付いた男は

ゆえに急に優しいほど他人への許容の巾を広げたということか?

『そんな・・・理解なんぞしてほしくもない』

悲しい瞳になる土方はついと総司から瞳をそむけた。

そむけた土方の目に

問題の佐部里信太次が息せきって帰ってくるのが見えた。


「良い頃合に帰ってきたぞ」

土方は総司に佐部里信太次の帰所を教えた。

土方の見ている方向に総司も眼をやった。

が、直ぐに土方に向き直ると懇願する顔付きにかわった。

総司が土方の檄を堪えてくれといいたいのは判っている。

「まあ、様子をみてからだ」

土方がぼそりと呟くのを聞くと総司もいくばくか不安な顔が解けた。

土方さんなら決して悪い事にはしない。

総司の不安は改めて拭われ、土方を一途に信じようとする総司が居る。

『お前。それだけなのかもしれないな』

総司が鈴音の事を知っても驚きもせず土方を責めもしないは、

よう土方への信頼がさせる所作でしかないのかもしれない。

ならば、尚更、総司の信頼に応えるためにも、

別の自分の一部の姿のでもあるといえる佐部里信太次を

激情で裁く事なぞできはしない。

その佐部里信太次が二人の傍らに寄って来た。

「沖田さん。もう・・いいんですか?」

佐部里信太次は土方の傍らに居る総司の元気そうな姿に安堵を見せる。

土方がここ二日の総司の休息を隊の者に

なんと説明したか知らないが、

どうやら身体の変調と言い訳した事だけは見えた。

「おかげさまで」

にこやかに笑っている総司である。

「ああ。よかった」

大の男が休息を取るとならばよほどの事である。

「たちの悪い風邪でした」

風邪などを引き込む事も武士としては恥ずかしい。

心構えのたら無さと性根の弱さを露呈するを恥じるかのように、

笑い顔のままではあったが総司が俯いた。

「まあ。治ってよかったじゃないですか?」

俯いた総司に言うと佐部里信太次はやっと土方に向き直った。

「もうしわけありません」

まず屯所を留守にした事を土方に詫びる。

「実は・・」

用意していた言い訳を切り出そうとした佐部里信太次は

土方に言い訳を崩壊させられた。

「佐部里。女の匂いがするぜ」

「え?」

虚を衝かれ佐部里も絶句した。

「女ってのは、甘酸っぱい匂いがするっていうぜ」

あくまでも土方の経験から割り出した推量ではない

と、いいぬけの余地を残しておく事にも余念がない。

土方の断定しきってない言い方に

佐部里信太次も言いぬけを考え付いていた。

「ああ?おかしいな?」

口中で呟き、首をひねって思い当たらないと

とぼけた振りをしているが

頭の中はこの窮地をどう切り抜けるかを考えている佐部里信太次である。

やがて。

「あっ。判った」

本当に女なぞ思い当たらないのだ

と、考えあぐねる思わせぶりをみせ信憑性を高めておいて、

土方の言った言葉をつきくずそうというのである。

念の入った芝居はいかにも佐部里信太次の頭の切れの良さを知らせる。

「土方さん。無花果ですよ」

咎められた勝の匂いを迂闊に匂いませんと云うより

他の物の匂いとした方が容易である。

甘酸っぱいと感じた匂いは無花果のそれであると言い換えると

「帰ってくる路の途中の無花果を一つ失敬したから・・」

と、泥棒の小さな罪を露呈して見せた。

必死で屯所に駆け戻ってくる男が無花果なぞに手を伸ばすか

と、佐部里信太次の安気な心構えを叱り付けだす。

これで女の匂いがうやむやになり

屯所を留守にしたのは女と会うためか

と、云う疑いも晴れるというものである。

ところが一挙両得のような言い訳を考えた佐部里信太次の

綿密な計算式がすんなりと成り立たない。

「ふうん?無花果か?言いえて妙だな?」

土方の含みのある言葉は次に中身を飛び散らし始めるとも知らず、

佐部里信太次は土方の言葉に引っ掛かり問い返した。

「妙?」

佐部里信太次だって土方の言う意味合いが飲み込めない。

「花をつけずに実を結ぶってのが無花果だ」

「はあ?」

土方が「妙」を解き明かすつもりらしい。

佐部里信太次は黙って拝聴するしかなくなっていた。

「だろ?」

念を押され佐部里も頷いた。

確かに無花果は無花果と書くように花の無い果実である。

「なあ。佐部里。おまえのやってることそのままじゃないか?」

「え?」

「わからないか?」

傍らで聞いていた総司も

土方の言葉の意味合いを考えていたようであるが、

なにか思い当たったのであろう。

「ああ」

と、小さく得心の声をあげた。

沖田にも判る意味合いが佐部里信太次には判らない。

頭の中味を詮議する目つきの佐部里信太次を待ちあぐねたのか

土方がとつとつと喋り始めた。

「花を咲かせず実だけをつける気かと尋ねているんだ?」

どうやら、佐部里信太次の女の存在に

まだ拘っているらしいと佐部里信太次も思い当たっていた。

だが、迂闊にそれが女の事をさしていると気が付く佐部里信太次を

見せるわけにはいかない。

あくまでも佐部里信太次には女のおの字さえも思い及ばない。

それほど清廉潔白な男を通すしかない。

「無花果が・・私ですか?」

花をつけず実を結ぶ。

土方は暗にお勝と云う花を諦めて

新撰組で実をならせろといおうとしているのかもしれない。

「そうだ。このままだとお勝はいずれ身籠る。

お前はいずれここでお前の命の花を散らす。

花をつけずに実がなる、無花果によくにているだろう」

低く抑揚の無い声で一気に言われた。

「え・・・」

土方は勝の名前をだした。

勝の存在がとうに土方に知られている。

となると、勝と自分の恋情を知り、土方に告げた者がいる。

それが誰でもない沖田であろう。

原田の屋敷で沖田が寝起きするようになった。

いつか沖田に知られる事であるかもとも思った。

だが・・・。

落ち度の無いようにぬけだしてきた勝である。

今の今まで誰にもしられる事が無かったひそかな逢引が何故急に?

「だがな、佐部里。おまえも新撰組の隊士である以上

女と一緒になろうなんてのは、夢の夢って事は覚悟の上だろう。

かといって・・・」

土方は自分の股座に手をおいた。

「こいつが女をほしがる::」

土方が言いたい事を確かめるために

佐部里信太次は今は黙って訊いているしかない。

「うさを晴らせる上に、

実を成らしてくれる女と成れば上等なもんじゃないか?」

この時、佐部里信太次のこめかみがぴくりと動いたのを

土方は見逃さなかった。

佐部里信太次には言い返したい事があると見えた。

「俺は女を道具にするのも、玩具にするのも

一向に構わないと考えている。

女に対してどれだけ真摯であるかなぞを考えてもらっては困る。

この新撰組にどこまで真摯であるかだけなんだ」

更に佐部里信太次の顔色が落ちた。

言い返したい事が今の土方の言葉で潰されたといっている色だった。

「だから、上等な遊び相手の事には俺は目を瞑る。

だが、それでも皆の手前、おおぴらに女を抱きにいったと判るのは困る。それだけだ」

土方に一方的に畳み込まれ、佐部里信太次は沖田をみた。

「佐部里さん」

総司に訴える目つきの佐部里信太次の心根がみえる。

『沖田さん。貴方が土方さんに話したんでしょう?

どう、話したかは知りませんし、それを責める気はありません。

でも、私の勝への気持ちは

土方さんの言うようなうさをはらすためのものでも、

死んでゆく私の生きていた証を、血を残すために

勝を利用しているのでもありません』

是を土方に言えば、いや、既に口に出せば

『それでは、勝をどうするきだ?新撰組をすてるきか?』

と、つめよられる事になる。

佐部里信太次にとっては勝の事は遊び。玩具。道具。

と、する事で新撰組での存続を許すという土方の計らいだとは判る。

判るが、佐部里信太次の心の底は

勝の事は遊び。玩具。道具。と嘘でも、言い訳でも口にしたくない。

上面は土方の言うとおりであると認めた佐部里信太次を装うしかないが

心の底の叫びがほとばしってくる。

口に出せない真実を二人の恋を見咎めた沖田にこそ、叫びたかった。

勝は遊び。玩具。道具なんかじゃない。決して。

だが、ここにいる限り・・・。

佐部里信太次の奥底が自分でみえた。

総司を食い入るように見詰めていた佐部里信太次だったが、

やがて、土方に制裁を下されるのを受けるかのように

土方にむきなおった。

総司を見詰めた佐部里信太次の横顔に浮かんだ思いを見て取ると、

土方も形なりとも制裁を加える気にはなれない。

「裏の井戸に行って、身体をきよめてこい」

隊のものもおっつけもどってくる。

男ばかり、いっそう女の匂いをかぎつけられる。

「はい」

返事を返した佐部里信太次の唇がかすかにゆがんだのを

総司も土方も見逃さなかった。

「では」

制裁らしき物がそれで終る。

だが、踵を返し裏井戸に歩きかけている佐部里信太次の拳がきつい。

佐部里信太次が玄関を入り裏に行くと土方は総司にたずねた。

「みたか?」

「ええ」

「勝の事は本意だな」

「私もそう思います」

佐部里信太次は土方に身体を清めてこいと言われた時、

ひどく惜しそうに唇をかんだ。

佐部里信太次が唇をかんで堪えた言葉が喉の奥で唸っていた。

総司には唸りが聞こえてくるようだった。

それは

『勝との事が穢れですか?』

一叫びに喉を付いて出てきそうな言葉がきこえる。

『勝と結ばれる事が穢れですか?』


土方の険しい目つきがなにを思うかを推し量りかねながら総司はいう。

「それでも・・・土方さんはむごい」

「なにが?」

「好きな女子の事を・・・」

総司が口ごもった。

女子の事は玩具でしかない。

この言葉がどんなにか佐部里信太次をきずつけたことだろうか。

だが、あるいは一方ではそれが土方の覚悟かもしれない。

女子を玩具と考えておかねば新撰組をやってゆけやしない。

佐部里信太次にいった土方の言葉を責める事は

土方の不器用で悲しい覚悟を責める事になる。

此処に気が付くと総司は先を続ける言葉をなくした。

黙りこくった総司に

「総司。おまえのいいたいことはわかる。

でもな、佐部里信太次を追い詰めてやるしかない。

中途半端で居られる限り

佐部里信太次も選択をしようなんて考えずにすます。

お前の言うとおり新撰組こそが

あいつのちゅうぶらりを許しているってことだ」

「すると」

土方はわざと佐部里信太次に女は玩具でしかない

と、いってみせたということになる。

「佐部里信太次の心根がみえただろう?」

土方の言うとおりだった。

確かに佐部里信太次は『本意』だった。


屯所から原田の家に戻ろうとする、沖田の背に土方が声をかけた。

「俺も、一緒にでよう」

「土方さん?なにか?」

総司はたずねた。

「野暮な事をきくな」

土方が出る用事が、昼間の一件のことであると、

其の答えで総司もやっと気が付いた。

「それに、すこし、話がある。みちぶちにはなそう」

総司と屯所をでるのは、土方にとっても隊の者の手前つごうもよい。

総司と一緒では、土方が私用にでるとはおもわない。

ましてや、其の私用が女との逢引だとは、おもいもしまい。

「きをつけろよ」

夜に動く手馴れの者を探索する気とふんだ近藤の声を背に受けると

土方は総司に向き直り小さく

「ふん」と、自嘲の篭った笑いを見せた。

「いくぞ」

土方に主導がある誘い言葉で総司を促すと外に出た。

半里も二人はだまってあるいた。

土方の話を待ち受けていた総司だったが、

たまりかねたように土方の話の切り出しを催促した。

「土方さん。話って?」

「お前も考え付いている事だ」

「ああ」

やはり、そうなのである。

昼間の佐部里信太次のことなのだ。

「このまま、じっとしていると思うか?」

総司の目の中には佐部里信太次の歯噛みした顔と

震える程強く握り締められた拳がまだ、浮かび上がってくる。

「いえ」

「だろう。俺も佐部里信太次が本気なら、じっとしていはしないと思う」

いや、していられないと言うべきかも知れない。

新撰組副隊長に女の存在を知られただけならまだしも

それが、勝とまで、割れている。

そのうえ、女の事は遊びと割り切れと釘を差されている。

佐部里信太次が遊びなら、このままやり過ごしてしまうか、

土方たちににらまれた勝を相手にして居る面倒に耐えかねて

相手を変えてしまう。

だが、そんな佐部里信太次なら、ああまで、拳をふるえさせはすまい。

「下手に思いをひきさかれるくらいなら、

死んででも成就させたいだろうよ」

佐部里信太次が己の思いに気が付いた時、

成就を要求する鞭もふりおろさずにおけない。

「勝の事がばれた以上、佐部里信太次は

己の進退をうやむやにしないだろう」

土方の推察を黙って聞いている総司は不思議に思う。

『何故、ここまで、恋する男の心の先行きの読めるのだろうか?』

それはまた土方の底にある別の生き様への焦燥が

ありえたかった恋に生きる男のあり方を模索させるのだろうか?

『土方さんこそ、新撰組を捨てる事が出来るほどの恋をおいたい?』

土方が総司に尋ねた言葉がよみがえってくる。

―「俺が言うのは惚れた事をどうしようという事でない。

惚れるという気持ちになっているのかどうかを聞いているんだ」

「俺は自分が可愛くて仕方ねえ。

この気持ちを何とかしてやらず死にたくねえ。

その気持ちに勝てねえ。俺だって死ぬのは怖い。怖いから尚更・・」―

『土方さん・・・』

我ひとり思うことだけを許し、

二人の思いとして昇華する事を土方は阻んだ。

それが土方の恋なのだ。

「と、なると、佐部里信太次は明日と言わず今日にもうごきだすだろう」

「え?」

土方が言い出した推察に総司は息を飲んだ。

「今日の夜、佐部里信太次は勝を誘い出し・・・出奔する」

「そんなに・・」

総司の言葉が詰まった。

佐部里信太次がそんなに早く進退を決める?

「一度自分の気持ちに気が付いたら、もうごまかすことはできはしない」

勝への心が本当であれば言葉の上でも立場の上でも、

己の命の保守のために勝を玩具である事にして、

自分の気持ちを偽ってゆかねばならぬ事を

佐部里信太次は許さないだろうと言う。

「それぐらいの気持ちでないなら、大人しく無花果の生き様。

女にも新撰組にも誠になれない男は既に人としてもつまらぬ。

いきているといえるか?」

「そうでしょうが・・・」

総司は黙る。

土方のどこに此処まで恋に生きるを

価値として捉える男がいたのだろうか?

黙った総司に土方の決心が告げられた。

「俺は佐部里信太次に真摯に生きて欲しい」

継げた口がさらに重ねた。

「だから、新撰組に真摯でない男は切る」

「え?」

勝の事をちゅうぶらりにしてほしくないという。

暗に勝を取る事を選んでくれと言うが、

それは、すなわち新撰組を捨てると言う事になる。

新撰組をぬけるなら、切ると土方は言う。

それでは佐部里信太次はいずれに土方に切られる。

あっと口をあけたままの総司をにやりと笑い透かすと土方は

「分かれ道だ」

と、祇園へ向かう筋にたった。

『分かれ道ですか?』

現実の事を言ったか、佐部里信太次の事をいったか。

佐部里信太次と共にいきたかろう勝の顔が

ひょいと総司の胸にうかんできた。

『土方さん私は一世一代、たった一度だけ貴方をうらぎります』

土方の読みの通り勝を連れて佐部里信太次が出奔するなら、

勝と佐部里信太次の恋を護って見せると総司はきめた。

小道を歩み始めた土方が振り返って総司に告げた。

「後であおう」

土方は今日、佐部里信太次を切り捨てる腹で居る。

ぞっとする思いが早鐘のように鼓動を打たせる。

総司は迷った。

土方の新撰組への誠はこんな形で昇華するしかないのか?

他にぬけみちはないのか?と。


佐部里信太次が隊を捨てるのではない。

新撰組が佐部里信太次をすてるのだ。

総司が言った言葉が繰り返し頭の中に浮かんでくる。

「歳はん・・なにを考えておいでどす?」

鈴音の訝しげな目が辛い。

「なんでもない」

土方は鈴音を強くひきよせる。

「気になり・・」

鈴音の甘えた声が何を言いたいかわからないでもない。

新撰組隊士でもなんでもない。

鈴音の側にいる土方は鈴音だけの男であって欲しい。

「心配か?」

「歳はんがつれないは・・鈴音には一番応えますえ」

「ほんとうか?」

鈴音の瞳を覗き込んでみる。

「ええ」

応えた鈴音は拗ねる。

「何で・・鈴音をうたがいます?」

「京・・だからだ」

「京だと?なんでどすか?」

「この都の人間は本当の心って奴を上手くかわして生きて見せている。此処で暮らすうちに俺まで

だんだん其の生き方に染まってゆくようなきがする」

土方がどう、染まってゆくというのだろうか?

「うまくかわす?」

鈴音は土方の手をそっと握り締めた。

「そうだな。例えば京の人間は本心をいいやしない」

「そ、そんなことおへん」

「そうじゃない。しゃべる言葉から・・違う」

「どう?ちがいおす?」

「例えば盗人に入られる。

すると、京の奴らは「泥棒はんが、はいりおしてなあ」っていう」

「へえ。いいおすなあ」

「此処から違う。御大尽が来たって「きはった」。

泥棒が来ても「きはった」。

泥棒が来たら「来やがった」っていうもんだろう?

泥棒にまで敬うように物を言いやがる」

「へえ。それが?」

「つまり、それくらい本心をいわない」

「それに染まったといいおすか?」

「そうなるな」

鈴音は土方の手を胸の合わせにさしいれさせておいて

「歳はんの本心はどうなりおす?」

と、寂しげな声になった。

「そうだな」

口中がむなしく音を発しているだけになる。

鈴音への本心はどうだろう?

惚れているといってみせてもいい。

一時の逃げ場でしかない。土方の甘え草だといってもいい。

だが、どの言葉を言っても

泥棒も御大尽もきはったと敬い言葉で表す京の人間と同じ。

本心を上手く交わして見せているだけに過ぎない。

「どうしはったんどす?何ぞありおしたんどすか?」

土方の心もとない様子がいっそう、鈴音にその理由を知りたがらせる。

「沖田がな」

「はあ?沖田はん?」

「もう・・ながくないだろう」

「あ、ああ」

かすかに驚き大きく得心する。

沖田は病だと、いつだったかに土方が言っていた気がする。

「其の沖田がな・・」

土方の本心をかわす生き方に

何故沖田の話が出てくるのかよくわからないが、

鈴音は黙って聴いていた。

「もう・・ながくないだろう」

同じ言葉を繰り返した。

「沖田の願い事が、やっぱり、俺には

こいつも本心をかわしているようにみえてしかたないんだ」

「沖田はんの願い事って?」

「命を懸けた恋ってものを諦めて見せてるくせに、本心じゃ望んでる」

土方にはそうとしか思えない。

諦める自分の中に生じた恋への渇望は

勝と佐部里信太次の恋の成就を願わせる。

自分の本心を埋め尽くしても、

ありたかった己の姿をどこかに映し出そうとしてしまう。

「でもな。沖田はもう、きっと、ながくない」

「・・・・」

「だから、自分の本心を偽って

どいつもこいつもに命を懸けた恋をしてほしいんだ」

「沖田はんでなく?他のひとにどすか?」

「そうさ。泥棒も御大尽も「きはった」にしてしまいたいんだ」

自分の本心なんか伏せておく。

相手側の行動さえ主軸に考えれば、

例え泥棒に命をとられても『とりはった』と、敬っていっていられる。

是が京の人間の生き方ならば、

総司こそ京に染まりきったと言えるかもしれない。

「それでどすか」

鈴音が土方を見た目の中にはかすかな憐憫があった。

「歳はんは、沖田はんの願い事をかなえてやれる自分でない事を

せめておすなあ」

『鈴音?』

「あてはちっともかましまへんのどすえ」

土方はごくりとつばを飲んだ。

本気でなくてもかましまへん。

ほんの一時の甘え草にしておくなはれ。と、鈴音はいう。

鈴音の顔をまじまじと見詰めた土方は、そこに一瞬勝を見た気がした。

「鈴音・・すまぬ」

鈴音に謝った土方は同じく新撰組があるばかりに

佐部里信太次に殉ずる勝の心さえも踏みにじる事を知らずに詫びていた。

「それでも、今だけは・・・」

土方の恋情をねだる鈴音の手が土方の背に廻されてゆく。

一時、心を重ねることだけが、土方が鈴音にかえせることだった。

「すず・・」

「女」の名を呼ぶ「男」にかわってみせた。


夜も深けるというのに、総司は文机の前にじっとすわっている。

勝に昼間の事を話せば、土方の意志をもはなさねばならなくなる。

佐部里信太次が勝を選び新撰組を捨てるなら

佐部里信太次を切る事になるが、お前はどうする?

こんな問い質し方があるだろうか?

問われれば勝は恋しい男を護るため、

佐部里信太次には勝のことなぞ、本気なぞでない

と、いいのけようとするだろう。

そして、それが証拠とばかりに勝は佐部里信太次との縁をきる。

すると、形骸だけになった佐部里信太次が壬生の屯所に残る。

勝と佐部里信太次の恋は無花果にさえならずにおわる。

やはり、二人の恋を知った時に判断したように

黙って見過ごすべきだったのだ。

されば、せめて、無花果一つも実をつけたろう。

だが、今となっては遅い。

もう土方への口火を切ってしまった。

火種はじりじりと火薬を燃やし、土方という弾は

佐部里信太次を打ち抜く。

総司の口から事を告げるは

勝に佐部里信太次への恋を諦めろと言うに等しい。

佐部里信太次がくれば、せめて、勝の恋は自分で選択できる。

佐部里信太次が来ないと言う事は勝の恋すら既にむくろである。

佐部里信太次がけして来ないとなれば、

佐部里信太次の本当の生き様のために勝に離別をすすめよう。

それが、また勝の為にもなる。

だが二人の恋は誠であって欲しい。

勝に何も話さない事を選んだ総司は

佐部里信太が来る事と来ない事の両方を願う。

まんじりともせず夜更けを迎える総司の耳は

外の物音と屋敷の人の気配にいやと云うほど鋭敏になる。

畳の上に落ちる針の音さえ聞き逃すまいとしているかのようである。

いくつ寺の鐘をきいただろう。

このまま、夜が明けるのではないかと総司は思った。

土方の深読みにすぎないのか?

それとも、今日でないだけか?

佐部里信太次は出奔の支度を整えてから動き出すきなのか?

―ひゆうい―

外で小さく口笛が鳴らされるのが総司の耳に届いた。

三度なって、一度長く音を引かせ「ひっ」ときりやめる。

後は静かに屋敷の人の動きを様子でも窺うか、

口笛を吹いた主の気配がそのままにある。

総司もまた、屋敷の人、勝の寝る部屋辺りの気配を窺う。

かすかな敷居を滑る戸のきしみがある。

はたして、先の口笛は佐部里信太次の

勝を呼び出す合図であったのだろうか。

庭影が流れ総司の目を横切る女が裏木戸をめざしている。

僅かに障子を開いて、総司は流れた影が勝である事と

ない事を祈りながら外を窺った。

『あとを・・つけるしかない』

影は確かに勝でしかなかった。

何よりも恐ろしいのは土方の追撃である。

佐部里信太次がどういい逃れようと、

今日の今日。再び勝と逢おうとする事が

既に土方の推察通りと決着されてしまう。

だが、一縷ののぞみがある。

最後の別れを言いに来たことにすれば、

この場は兎に角、土方の刀をおさめさせられる。

「だいたい、本当に二人がどうするかさえ、みてない」

総司が言い訳に思った、是を最後にするが本当になるかもしれない。

なのに、逢っていたからとて、

直ぐに出奔と決め付けるのもいささか早とちり過ぎる。

独り言をもそりと呟きながら裏木戸を括った総司は

次には心臓が止まるかとさえ思った。

「たしかに、勝の思いも佐部里信太次の思いもたしかめておらん」

木戸を抜ける総司の頭の上から総司の独り言に答えた土方がいた。

「あ?」

「確かめる事にするか」

「土方さん?」

「ずっと・・・網を張っておるのもくたびれる」

男と女の密会がどの時刻なら都合が良いかなぞ考え付くのは

子供でもできる。

鈴音の褥で仮寝すると、頃合よき刻限に

原田の屋敷を目指した土方だった。

「土方さん」

二人の思いを確かめたら・・・土方はやはり、きるのだろうか?

「勝さんの前で」

佐部里信太次を切らないでくれと総司は言おうとした。

「総司、俺が佐部里信太次を切らねば成らないとするなら、

女のほうもそんな事はとっくに覚悟の上で

ふかみにおちているんじゃねえのか?」

「・・・」

命かけて恋を選んだんだ。

命なぞなくなっても、もともと覚悟の上。

どうって事ない。かまわしない。

汚辱に塗れた思いでだかれるより、

恋の為命を投げ出す男だったと知った方が

この先一人でもいきていかれる。

「そ、そして、勝さんの思い出の中で

無花果をならせろというのですか?」

土方の瞳がふっとくぐもった。

「そうだ・・鈴音も・・・そうだ」

土方の瞳から涙が落ちたのではないかと思った。

『土方さん』

総司は慟哭する。

土方の中で咲くことのない恋の覚悟は

死をも見詰ていたということになる。

護ろうと思った二人の恋が

こんな土方によってたたれるなら、

本望かもしれないと総司は考え直していた。

「いくぞ」

土方の潜めた声に促され、総司も二人の後をおった。


夜更けて合図の口笛に木戸を潜った勝は

佐部里信太次の手に引かれるまま、連れ合い宿にはいりこんでいた。

宿の奥の部屋には、なす事を待つかのように

夜具がしきのべられていたが、

佐部里信太次は勝を求める事もなく夜具の上にすわりこんだ。

「信太次さん?」

次に会う約束の日をまちきれなかったとしても、

一昨日に続き昨日もあえた。

それはうれしいことであったが、

今日の佐部里信太次の顔色は昨日に較べ一層勝恋しさで切なくみえる。

だが、それにしては、信太次が物狂おしく勝を求めてこない。

佐部里信太次が勝を夜半に呼び出した事には

切ないだけでない理由がある。

切なさだけでない物が信太次の顔に見え隠れしているから、

勝は不安になる。

「勝・・俺と一緒にしんでくれるか?」

もとよりとうに覚悟の上と答えたい勝であったが

妙な事を言い出した信太次のわけが判らないうちは

迂闊に返事はしたくなかった。

何故ならこの人は新撰組の隊士なのだ。

新撰組の隊士が女と一緒に死んでくれと言い出す?

新撰組はどうしはるんえ?

あんさんの志はどしたんどす?

口をついてくる想を今の信太次にぶつける事さえ出来ない。

信太次に告げられた事はあまりにも重過ぎた。

佐部里信太次はこんな女子と共に死んだ方がいい状況を

だかえてしまったということになる。

「どうしたんどす?わけをいってくれはらんと」

勝の顔をじっと見詰めていた佐部里信太次だったが、

「お前の事を・・・しられた」

やっと、いった。

「なんどすなあ?そんなことでどすか?」

かるく軽く受け流すと

「女子はご法度は勝もしっとりますえ。

ほんでも、男はんである以上女子はいりまっしゃろ?」

「勝?」

「新撰組のどなたはんも女子はんにふれずにおるというんどすか?」

勝の言おうとする事が佐部里信太次にみえた。

「違うんだ・・勝」

「ちがう?ちがいはらへん。女郎屋に言って聴いてみておし。

新撰組とて男はん。やっぱり人の子やっていいはるわ」

「勝・・お前の気持ちは有難い」

佐部里信太次はもろくも落ちてくる涙を拭いた。

「な?なんどすなあ?」

信太次の涙にたじろいだ勝は黙った。

「おまえは、自分を色事の相手でしかない

と、言ってきりぬけろというんだろう。

だがな、例え口先のことであっても

俺はお前をそこらの女郎と一緒にできない」

「あほ・・あほどっしゃろ?ぁ、あんさん、そういいはったんどすか?誰かに、新撰組の誰かにそういいはったんどすか?」

「いや」

首を振った佐部里信太次に安堵すると

「滅多な事を言うたらあかしまへん・・うっかり」

勝の言葉が途切れた。

うっかり誰かに聞かれたら信太次の命に関る。

だが、信太次は既に死のうと言った。

「勝。俺は、お前のことを知られたときに新撰組を捨てようときめた」

「え?」

今、信太次はなんといった?

「自分の心を偽らないと志をつらぬけない?

こんな新撰組がおかしいと思う俺が間違っているか?

そんな偽りに支えられねば成り立たない志からして

俺にはつらぬけるわけがない」

「あての・・あてのせい・・どすな」

勝さえ佐部里信太次と恋に落ちなければ

信太次はこんな事を思わなかったはずである。

「違う。俺が不器用で鈍かっただけだ。

お前が一生、日陰の女で居ても良いと覚悟している事を

俺はうすうすしっておった。

しっていて、それに甘えておった。

だが、それは地上にしかれた綱の上にいたからだ」

「地上の綱?」

「落ちる危うさのない綱の上では

あえて、綱の上に居なくても良いだろう。

だが、中空に綱が張られた時

俺はお前と言う綱が俺の命に等しいと判った。

判った以上お前を言葉たりとも粗末にできない」

「綱が中空に張られた時いいはるのは、

あてのことを知られたときのことどすか?」

「そうだ。何事にも替えれない勝と知った時、

俺は自分を偽らねば許されない新撰組に居る事がいやになった。

それは勝のせいではない。

勝の事が切欠できがついたにすぎないことだ。

だが、どんな理由にしろ隊を抜ける事は死を持ってあがなうしかない」

薄気味悪いほど佐部里信太次は穏やかに微笑んだ。

「どの道、死ぬなら勝の男としてしんでみたかった。

だから。この哀れな男は勝に、

それでも一緒に死んでくれるかと聞いてみたかった」

暫くの沈黙が続くと佐部里信太次は勝をしっかり抱き寄せた。

勝の耳元に囁かれる佐部里信太次の言葉に勝は震えだした。

「勝、生きろ」

勝への思いに殉じて信太次は死ぬ気で居る。

新撰組を捨てるせいでない。

志を亡くしたせいでない。

勝の心に寄添うために死をあがなう。

「勝・・いきろ」

佐部里信太次の手が脇差を弄る。

いけない・・。

この人は勝で死を浄めようとしている。

「いやーーーー。しんだらあきまへん」

勝の声が大きく響く間髪を居れず、

部屋に飛び込んできた男が佐部里信太次の手にした刀をなぎ払った。

ゆっくり振り向いた佐部里信太次は驚きもみせなかった。

刀をなぎ払った男が沖田である。

沖田の横に立った男は佐部里信太次の前に膝を突居てかがみこんだ。

それが土方歳三だった。

佐部里信太次はどのみち死を決めた男である。

本心は勝に伝えた。

思い残す事もない。

少しばかり描いていた死に方が違うが結果はおなじである。

「佐部里すまぬな」

思うように生きることもさせず、死ぬ事さえ儘にさせて遣れぬ。

と、土方はいった。

覚悟を決めた佐部里信太次はじっと坐ったままである。

勝の目が大きく見開かれ沖田に手を合わせた。

「後生どす。後生どすから、どうぞ・・・」

佐部里信太次の命を救ってくれと手を合わせる。

「勝さん。俺が佐部里を切るのは

女と出来てるからなんてつまらねえ了見じゃないんだ。

こいつが死ぬ事さえ恐れないで新撰組を捨てよう

と、云うのが許せないんだ。

そんなに不埒に思われちゃあ困るんだ」

佐部里信太次を振り向くと土方は佐部里信太次の頭上に刀を構えた。

「佐部里信太次。おこがましいんだよ。

何が新撰組をすてる?

てめえなんかに拾われたり捨てられたりするほど

ちゃちなもんじゃねえんだ。いいか!」

グッと目をふさぎそうになるのを堪える勝は意識を失いそうである。

「新撰組に変わって物申す。

おまえなんぞ、こっちからいらねえ。おことわりだ」

土方の刀が振り払われた。

元結を離れた髪がはらはらと落ちる。

「刀のさびにするのも、けがれるわ。

もののふの名をかたるも許せぬ」

土方がからからと笑ったのは、てれのせいかもしれない。

「だけどなあ。佐部里信太次の恋の語りは天下一品だぜ。

なぁ、お勝さん」

「あ・・・」

勝の拝む手に涙が落ちた。

許されたのだ。

佐部里信太次が瞠目のまま小さく頷いた。

「佐部里さん。二人で生きるんでしょ?」

総司が声をかけると土方が足した。

「そのうち、もっとふえるさ」

「ああ。子供はいいですねえ」

世間話のように和やかに話しながら二人は外にでてゆく。


「信太次さん」

「うん」

佐部里信太次に残った者は新撰組と言うふるいに

大きすぎて、通らなかった恋だった。

交わす言葉を忘れて見詰め合った二人がほっとためいきをついた。

「勝。俺が恋語りなら、あいつらは、立派な狂言師だな」

やっと、佐部里信太次がわらった。


ところで、

「総司なんで、おまえ。俺が佐部里信太次を切らないと判った?」

「さあ」

とぼけたけど、総司は知っている。

佐部里信太次のように生きてみたい土方なんだって事を。

それが、判るのも総司も佐部里信太次みたいに

生きてみたかったせいかもしれない。

『もう一人の自分の姿をこわしたくありませんよね』

総司は胸の中で土方に呟いたが、

それはひょっとして自分に呟いたのかもしれないと思い返していた。

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壬生浪ふたり・俄狂言「恋語り」 @HAKUJYA

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