第30話 私も怖い

「看板だったら、庭にちょうどよさそうな板があったような……」


 前に案内してもらった時、木の柵が放置されていたのを見たような気がする。あれに文字を書いた布でも張ればいいんじゃないだろうか。


「そう言えばそんなのもあったかもな。リュウとセイは疲れてるだろうから、休んでいろ。探してくる」

「あっ、じゃあ私も」

 立ち上がったネオを、エルさんが制する。

「お前は夕飯準備だ」

「わかりました」

 エルさんはそう指示を出すと、颯爽と部屋を出て行ってしまった。

 ……僕も何かやらないと。


「ネオ、僕も手伝うよ」

「ううん、大丈夫。下ごしらえは終わってるし、リュウは部屋で着替えて休んでなよ」

「えっ、ありがとう。いつも任せてごめん」

「全然」


 セイとエルさんはお腹をすくという感覚がなく、食べなくても平気らしいので、基本的に食事をとるのは僕とネオだけだ。


 どうやら生前よりも味覚が鈍くなっていて、味付けが薄いものはほとんど無味に感じるのだという。エルさんはもともと酒豪だったそうだが、今の体になってから酔うこともなくなったので、お酒も飲まない。

 甘いものや塩気の多いものは味を感じるので、ネオが買ってきたケーキや近くの屋台の串肉は美味しそうに食べている。


 そういうわけで、クランハウスに引っ越してから、料理は僕かネオが作る流れになったのだが……引っ越してからの1週間、クラン申請の審査待ちをしていたこの期間は、僕とセイとエルさんの3人で資金集めをするために不在にすることが多かったので、ネオが夕食を作って待っていてくれていた。料理を作った割合で言ったら、1対9くらいだ。もちろん僕が1。


 ネオの料理は家庭的で美味しくて、大好きだ。健康にも気を遣ってくれていて、ネオの料理を食べ始めてからこころなしか寝付きもいい。


「じゃあ、ゆっくりしてて」

 ネオがキッチンへ向かうのを見送って、自分も立ち上がる。

「僕、着替えてこようかな」

 クラン総会から帰ってすぐに話し合っていたので、まだ制服ユニフォームのままだ。慣れていないためか、どうにも落ち着かない。

「待って」

 服の袖を引っ張られる。犯人はソファに座ったままのセイだ。

「リュウ、何か悩んでる?」

「え……?」

 セイがまっすぐに僕を見ていた。

「帰り道も様子おかしかったし」

「えっと……」


 心当たりはある。


 初めてディノ・スチュワートに対面して、僕はただ立ち尽くすことしか出来なかった。


 大切なものセイを奪った男に対して、恨みよりも恐怖が勝ったのだ。


 わかっていたはずだった。僕はちっぽけな存在で、一人じゃなんにもできない。でも、セイと再会して、仲間が増えて、少しは変わったと思っていた。


 今回の件で、突きつけられた気がした。お前の本質は何も変わっていない、と。


「嘘ついたらすぐわかるから」

 こんな考えを知られたくないのに、セイは誤魔化せなさそうだった。


 まあ、僕が情けないのは今に始まったことじゃないし……。


 もう一度、セイの隣に腰を下ろす。


「ディノ・スチュワートに会った時、僕は怖いって思った」

「怖い?」

「セイは怒ってたよね。僕もそうだと思ってた……あの日、セイを奪った犯人を、僕はずっと恨んでた。でも、違った」


 セイは黙って僕の話を聞いている。

 これを言うのは怖い。でも、セイには何でも話したいとも思う。


「……今もそうだけど、僕にとってセイは救世主ヒーローだったんだ。そんなセイを、あの男はあっさり殺した。そう思うと、怖くなった……情けないよね。復讐相手を怖がるなんて」


 セイはどう思うだろう。


 失望するだろうか。8年前と全く変わっていない、いや当時よりもずっと卑屈で、弱虫になった僕を。


「……リュウは勘違いしてる」

「勘違い?」


「まずひとつ、ディノ・スチュワートに復讐するのは私。リュウは、私の復讐に付き合ってるだけ。あいつに殺されたのは私で、リュウがあいつを憎む必要はない」

「えっ……」


 憎む必要はない。セイの口からそんな言葉が出てきたのは意外だった。


 ディノ・スチュワートに殺されたのは他でもないセイなのに。


「それに、あいつを恐れるのは情けないことじゃない。むしろ恐れるべき」


 セイの真意を知りたくて、顔を上げる。

 セイの藍色の瞳が、じっと僕を捉えていた。


 変わっていない、昔からずっと。セイは僕のことをちゃんと見てくれた。


「リュウは生きてるんだから。脅威に対して恐れを感じるのは、生存本能。恐れるのは、リュウに生きる意志があるから」


 言われてみれば、確かにそうかもしれない。


 セイと再会する前の自分だったら、どうだっただろう。シュワルデッガーに噛み殺されようとしていたくらいだから、人殺しを前にしても恐れなんて感じなかったかもしれない。

 そう思うと、僕も変わったなと思う。


「でも、僕がもっとセイみたいに強かったら」

「私だって、怖いと思うよ」

「セイも?」

 意外だ。

 セイは一体、何を恐れるというのだろう。


「リュウを守れなかったらって思うと怖い」


「へ……」


 言葉の意味を理解すると、じわじわと顔が熱を帯びてきた。

 なにそれ……。

 あのセイが、そんな、僕を守れなかったら怖いなんて……。


「だから、無茶なことはしないで。私の側から離れないで」


 あくまで真剣な様子のセイに、なんだか恥ずかしくなってきて、忙しなく立ち上がった。


「着替えてくる!」

「顔も冷やしてくれば?」

「そうする……!」


 口角を上げたセイは、僕の考えなどお見通しのようだった。


 ディノ・スチュワートと会ってから、心の中に重く横たわっていた陰りが、薄まっていくを感じた。


 やっぱりセイは僕の救世主ヒーローだ。

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