第9話 フランス人の弟

「サンタさんの手紙?」


「俺が渡した手紙のことだよ。もしかして、まだ見てなかったのか?」


「――あっ! あの手紙はまだ……寮のお部屋にしまっておいたままよ」


「――いいよ、あれは一人の時に見て欲しい。サンタからのプレゼントだ」



「え、でも……サンタさんで思い出したわ! これって……本当にサンタさんが佳菜ちゃんの願いを聞いてくれたのね!」


「はぁ? 何のことだ?」


「佳菜ちゃん、私が一番気にかけていた孤児院の女の子なんだけど、とにかく、私のためにサンタさんにお願いしてくれていたの。私に大切な人を届けてくれるようにって」


「――そうか。それじゃ、本当にサンタが願いを聞いてくれたのかもな」

 裕星は真面目な顔で答えると、「裕くん、信じてくれるの?」

 美羽は裕星がすんなり自分の言葉を聞いてくれたことに驚いて聞き返した。


「ああ、信じるよ。俺もサンタに願いを叶えてもらったからな」


「裕くんも?」


「ああ、話はあったかい場所でしよう。クリスマスはまだ後30分残ってる。だいぶ遅れたけど、これから俺たちのクリスマスデートのやり直しだ」

 裕星はコートの襟に積もった雪をバサッと手で払い除けた。



 裕星が常連の店、こじんまりとしているが最高級の料理を出すフランス料理の隠れ家レストランはすぐ近くだった。

 裕星が帰る前に予約を取っていた行きつけの場所だ。


 案内された予約テーブルには、営業時間はとっくに過ぎたというのに、クリスマス仕様の赤と緑のキャンドルがともされ、ワイングラスには最高級のワインが注がれていた。


「美羽、遅くなったけどメリークリスマス。心配掛けて本当にゴメンな」


「裕くん、こんな素敵なクリスマスディナーをありがとう! でも、一体どうしたの? フランスの弟さんは大丈夫なの?」


「ああ、マリウスとはしっかり話をすることができたよ。あの日、俺はパリのマリウスが住んでいるアパートまで行ったんだ……」



 裕星はパリであったことを事細かに話し始めた。








 *** 11月26日 東京国際空港 パリ行き フランス航空 23:50発 パリ翌25日4:50着




 1ヶ月前、裕星は13時間のフライトで、パリ、シャルル・ド・ゴール空港に翌日の朝早く予定通りに到着した。


 タクシーに住所を告げると、真っ直ぐ市内へと向かって行った。

 久しぶりのパリは思ったより寒さが厳しかった。11月下旬のパリは10度を下回り雪は降ることは無かったが、街は曇り空で、有名なシャンゼリゼ通りでさえ、日本ほどはまだクリスマスの派手派手しい飾り付けはされてなく一層寒々しく見えた。


 マリウスの住むアパートは、パリ市内の中心にあった。

 裕星は途中のカフェで軽く朝食をとりながら、スマホの地図でアパートの場所を調べた。


 辿りついたところは、小さな古い5階建ての細長いアパートだったが、エレベーターもなく、裕星はスーツケースを引き揚げながら階段を一段ずつ登って行った。


 古い石造りの階段は、端の方が劣化して壊れており、登って行く途中も崩れやしないかと不安になるほどだった。

 アパートの住人とは連絡は付けていたものの、まだ朝も早い。

 朝8時過ぎではまだ寝ているかもしれなかったが、裕星も恐る恐るドアのベルを鳴らした。

 少し間があって出てきたのは、疲れた表情の老婆だった。

 裕星は早速フランス語で挨拶をした。

「こんにちは。朝早くにすみません。日本から来た海原です。昨日電話した者です」


「――ああ、日本の。私はルイーズ、ここの家の家主です。マリウスを引き取りに来たのね? 良かったわ。あの子、ちっとも懐かなくてね。娘も困り果てていたのよ」


「娘?」


「ええ、娘の友人だったフランソワがマリウスの母親よ。生きていた頃はウチの子とよく遊んでいたわ。でも、死んでしまって、娘も彼女の子供が路頭に迷わないようにと引き取る事にしたのよ」

 老婆はずっと玄関で立ち話のままだった。


「あの、すみません。マリウスに会わせてもらえますか?」


「ああ、いいわよ。でも、マリウスが何て言うかしらね。ちゃんと話はしたんだけど、どうしても聞き分けなくて。見ず知らずのあなたには付いて行きたくないと言ってたわ」


 すると、老婆の娘らしき中年の女性が出てきて挨拶をした。

「あなたがマリウスのお兄さん? あら、あまり似てないわね。でも、父親の遺言の通りだとしたら、あなたたちは血のつながった兄弟なんでしょ?」と怪訝けげんそうな顔をしている。


「はい、僕は日本人で、マリウスの父親は僕の父親です。マリウスは父とフランス人の女性の間に生まれた子供だと聞きました。あまり似てないのは仕方ないことです」


「でも、マリウスの今までの養育費や生活費は弁護士から頂いて、生活の足しになっていたのよ。そのマリウスをあなたが引き取ったら、私たちに入るお金は一銭もないということになるでしょ? 本当言うと、それも困るのよ。恥ずかしいけど、私らはそんなに裕福じゃないからねぇ」


 マリウスの生活費を当てにしていたらしく、裕星が彼を引き取る事へ抵抗があるようだった。

 だが、裕星は父親が残した遺産や遺言を守るため、どうしてもマリウスを保護する責任を感じていた。


「分かりました。でも、一度マリウスには会わせて下さい。12歳なら、多少はこの事情も分かる年齢だと思います。僕の存在も知ってるはずでしょうし」


 オーケー、と部屋に引き返してマリウスを呼んでいる様だったが、マリウスの声すら聞こえてこなかった。


 女性はすぐに玄関に戻ってきた。

「ダメみたいね。あなたとは会いたくないと言ってる。きっとどこかに連れて行かれると思って怖がってるのよ。また明日来てくれない?」

 そう言うと、ドアをバタンと閉めてしまったのだった。



 途方に暮れた裕星は、ひとまず予約しておいたホテルに向かうことにした。明日また出直してもいいだろう、と。

 宿泊ホテルはセーヌ川沿いにあった。

 こじんまりしたとしていたが、一人だけで何日も泊まるには快適な大きさの部屋だ。


 明日はどうやってマリウスにアプローチしようかと悩んだ。

 確かに今まで会ったことすらない男に、日本からやって来た兄だから今日から一緒に暮らそう、などと言われても、すんなり受け入れてもらえるはずはない。


 裕星にとって一番の試練は、美羽との別れと、そして初めて会う肉親に受け入れられることだった。

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