第8話 サンタからの手紙
「――佳菜ちゃん?」
美羽は驚いて言葉が出なかった。そして、言葉の代わりに涙が溢れ出てきたのだった。
佳菜の欲しい物の代わりに自分のことを願ってくれていたなんて――。たった10歳の女の子が、自分のことをこんなに心配してくれていた……。美羽は胸が痛むほど佳菜の気持ちが嬉しかった。
ギュッと佳菜を抱きしめて思わず泣いた。
「ごめんね。佳菜ちゃん、心配させていたんだね。ごめんね、でも、ありがとう――」
「美羽さん、謝らないで。きっとサンタさんは美羽さんの願いを叶えてくれるよ。私だってかなえてもらえたもん」
「どんなこと?」
「今年は新しいママが出来ますようにって」
「ママ?」
「美羽さんのことだよ!」
「佳菜ちゃん!」
美羽はまた佳菜を抱きしめた。
「でもね……」
佳菜は美羽にギュッと抱きしめられて苦しそうな声で、「あのね、美羽ママにも幸せになってほしいの。いつも笑っていてほしいの。死んじゃったママも本当は優しいママだったんだよ。でも、いつもお金にこまっていて、いつもごめんねって言ってた。
でも、私がクリスマスにはサンタさんに欲しいものをお願いしたいって言ったら、突然怖い顔になって私を叩いたことがあったの。サンタさんなんていないって怒ってた。
でも、ママは知らないんだよ。ママはサンタさんがいないって思ったまま死んじゃったけど、本当はいるんだよ。
クリスマスに私の枕元にいつもカードが届いてたんだ。サンタさんからのお手紙。それが私の欲しかったものだったんだ。オモチャとかお洋服とか、そんなのいらないの。
サンタさんのお手紙がほしいっていつも思ってたの。だから、私の願いはいつも叶ってたんだよ!」
目を輝かせながら言うその無邪気な顔を見て、美羽は、その手紙が佳菜の母親が書いたものだとすぐに分かった。
しかし、佳菜の母親はきっと、佳菜は人形や洋服などの高価なものを願っているのだろうと思って、現実の生活との葛藤に苦しんで、ついつい家庭の事情など知らないで無邪気な佳菜に当たってしまったかもしれない。
愛する娘の願いを叶えてあげたいから、それが出来ないことで辛い気持ちが倍増してしまう。
出来ないことを出来ないと言えないのは、母親として責められたような気持ちになるから。その苦しみから、つい子供に手を上げてしまっていたに違いない。
美羽は自分だけが辛いと思っていたことを心から後悔していた。
こんな小さな子供にそれを今教えられた気持ちだったのだ。
「そうだね、佳菜ちゃん。きっと願いは叶えられるね。ありがとう!」
美羽は佳菜の髪を撫でながら、そっと涙を拭った。
クリスマスの夜も終わりに近づくと、世間は年末の忙しさと新年に向けて慌ただしくなってきた。
美羽は教会の門を出て、まだクリスマス用のライトをつけた街路樹の道を一人ふらふらと歩いていた。あと少しで今年も終わる。
毎年クリスマスには、裕星と一緒に過ごしていたことを思い出して周りの街並みを、なぜか懐かしい気持ちで歩いてみたくなったのだ。こうして歩いていると、裕星が隣にいてくれる気がした。
すると、チラリチラリと白い物が空から落ちてきて、美羽の肩に落ちてふわりと消えた。
「あ……雪?」
美羽が手のひらで白い欠片を受けると、それはすぐに手の温もりで溶けて消えた。
見る見るうちに次から次へと白い粉雪が舞い降りてくる。クリスマス最後の天からの贈り物だ。
美羽の髪にもどんどん降り積もり、美羽はそれを手で払うと、ヒンヤリとして心地よかったが、だんだん降ってくる粉雪の塊が大きくなり、シンと寒さが増して本格的な冬の到来を告げているようだった。
コートを着ていても寒さが体に染み、吐く息の白さで空気がすっかり冷え切っているのが分かる。
天からの白い贈り物がどんどん舞い降りてきて、もう1メートル先も見えなくなった歩道を、美羽はもう引き返そうかとしていたときのことだった。
夜中11時すぎ、人々は皆、駅に向かって足早に流れて行く大通り。誰もが雪で電車が止まる事を心配して慌てて家路を急いでいるようだ。
しかし、前方から人々の流れに逆らい、ただ一人こちらに向かってやってくる黒い人影があった。
ふわふわ降り続く大きなボタ雪の合間から少しずつ近づいてきて見えてくる人影。
駅を急ぐ人の波の合間から、ずんずんと、こちらに向かって来たのは大きな黒いコートの人物だった。
後もう少しで美羽の傍を通り過ぎようというとき、その黒いコートを着た背の高い人影は美羽の正面でピタリと足を止めた。
前が見えないほどしんしんと天から落ちてくるボタ雪の間から見えたその人は――――紛れもない裕星だった。
「美羽、どうした? 狐につままれたような顔をしてるぞ」
「裕くん……?」
美羽はパニックを起こしそうなほど驚いた。まさかパリにいるはずの裕星がここにいるはずはないのに。
「本物の裕くん、なの? 一体どうして?」
美羽は両手で口を覆ったまま裕星を見上げ、今やっと裕星本人だと確信した。
「ただいま。美羽、正真正銘本物の俺だよ」
そう言い終るか終らないうちに、美羽は裕星の広い胸の中に走って飛び込んで行った。
そして、何度も名前を呼んで声を上げて
視界が見えなくなるほど真っ白に染まった歩道で、裕星はずっと美羽を胸に抱きしめたまま優しく微笑みながらその場に立っていた。美羽はひとしきり泣いた後、やっと落ち着きを取り戻し裕星のコートの胸にうずめていた顔を上げて、指先で涙を拭った。
「裕くん、パリにいたはずじゃなかったの?」
「うん、実はそのことはこれから話す。とにかく、俺はもう美羽を手離さない。これからはずっと一緒だ」
そう言うと、もう一度裕星は美羽の身体を引き寄せ歩道の真ん中で固く抱きしめた。
涙で濡れている美羽の頬をそっと指で拭うと、温かい両手で美羽の冷たくなった頬を包んでそっとキスをした。
天から降ってくる大きなボタ雪のお陰で二人の姿は、行き交う人々にすら見えないほどだった。
二人はしばらくの間、たった1ヶ月間に起きた最大の孤独と不安を埋めるかのように長く口づけていた。
白くフワフワしたボタ雪が裕星と美羽の髪や肩に降り積もり、まるで白い雪の妖精のようになっていてもまだ二人はきつく抱きしめ合い、お互いの温かい唇の温度で二人に積もる雪も次第に溶けていった。
裕星がそっと離れると、しっかりと美羽の瞳を見つめて言った。
「サンタからの手紙は見たのか?」
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