第5話 永遠の別れ?

 映画館の中では裕星はサングラスを外していたが、この暗がりの中では裕星もただの一組のカップルの男に過ぎず、裕星だとバレることはなかった。

 客同士気兼ねすることないプライバシー重点の座席のお陰だ。


 映画はクライマックスに差し掛かったのか、大きなマイナー音楽と共に、主人公の恋人たちが悲しい別れを惜しんでいる場面で、裕星は少し腰を上げて美羽の前を覆うと、美羽に顔を近づけ突然唇を塞いだ。


 美羽は、突然の裕星の大胆な行動に驚き固まっていた。裕星の温かな唇に包まれながらも緊張して目をギュッと瞑ったまま肩に力が入った。


 裕星がそっと離れて自分の席に戻ると、「裕くん……他の人に見られちゃうわっ!」

 美羽が真っ赤になって小さな声で抗議した。


 裕星はふっと笑って、「ごめん。美羽が可愛くて仕方なかった。でも、ほら、見てみろ。誰も他人のことなんか気にしてる暇なんかないみたいだ」と顎でクイと斜め後ろの席の方を示した。



 美羽が恐る恐る振り返って座席の隙間から顔を出して後部を見ると、他のカップルたちも皆自分達の世界に入り込み、体を寄せ合ったりキスをしていたりと、肝心の映画を観てる者すらいなかった。


「え、え~と、裕くん、ここってそんな映画館だったの? なんか、私の方がちょっと恥ずかしくなってきたわ」


「そんな映画館じゃなかったと思うけど、最近はあまり人が入らないからな。カップルたちがイチャイチャするには打ってつけの場所になってるんじゃないか?」と笑って、「さあ、もう出ようか。むしろ明るくなる前に外に出た方が良い」

 言うが早いか、美羽の手をグイと引っ張って、出口に向かって通路をぐんぐん歩き出した。



 映画館の外に出ると、辺りはもうすっかり日が落ち、まだ5時だと言うのにだいぶ暗くなってきている。


 裕星は、ジャケットの襟を両手で掴んで肩をすぼめ、「寒くないか? 公園に行くには少し遅い時間になったな」


「うん、少し寒いけど、私は大丈夫よ! あまり遅くなると真っ暗になるから。それに、裕くんのお話も聞きたいし……」


「話か……。あの波止場の近くにレストランがあるんだ。そこに急きょ変更しよう。こんな暗さと寒さの夜の公園じゃ風邪をひかせるだけだからな」



 そう言うと、裕星は震えて手をすり合わせている美羽の左手をさっと握って、ジャケットのポケットの中に突っ込んだ。

「裕くん?」

「これで少しは温かいだろ?」


 二人は駐車場に停めておいたベンツに急いで乗り込むと海岸沿いのレストランに向かった。レストランがもう目の前に見える手前の駐車場で、裕星はエンジンを止めサイドブレーキを掛けると、ハアー、と大きなため息を吐いて、真剣な目で美羽に向き直った。


「美羽、少しだけ話をしていいか? レストランに入る前にここで……」


 真面目な表情で、美羽をじっと見つめる裕星のまっすぐな瞳に、美羽も運転席の裕星の方へと真っ直ぐに体を向き直すと、唇を結んでこくりと頷いた。


「実は明日からパリに行くことになった――」


「パリ……って? 突然なにがあるの?」


「――実は……、親父の家族が今もパリに住んでいるんだけど……」


「お父さまのご家族?」


「ああ、まだ言ってなかったよな。親父は母親と別れた後、パリに移り住んで仕事を続けていたんだよ。……その頃、親父を支えてくれていたのがフランス人の奥さんになる人だったそうだ。

 そして、親父にはそのフランス人の女性との間に子供が一人いると聞いた。今年12歳の男の子で……つまり俺の弟なんだ。

 親父は世界的に有名なバイオリニストとしてパリを拠点とした仕事を順調にしていたんだが、俺が12歳のとき、つまり今から12年前に死んだんだ。不慮ふりょの事故だったそうだ。

 でも、弟の存在を知らされたのはつい最近の事なんだよ。


 奥さんも先月亡くなったらしい。弟にとってたった一人の家族だったから、今は母親の友人宅に預けられているそうだ。


 でも、親父の遺言や遺産関係の事で俺に連絡があったのは、つい4、5日前の事なんだ。


 親父の遺言書によれば、金銭的なことは、依頼していた弁護士の管理で毎月十分な額が弟に支払われるようになっているが、その管理保護者として血族の人間が相応ふさわしいと言うことになったらしい。それがたった一人の血縁関係にある俺なんだ。


 彼はまだ12歳で幼いし、これから一人前になるまで生活するのに、他人の世話にばかりなるわけにはいかないからな。親父が遺言の最後に記したことが問題なんだ……」


「どんなことが書いてあったんですか?」


「……最後の一文には、『もし息子マリウスにフランスに血縁者が一人もいない状況になったら、日本にいる実兄の海原裕星かいばらゆうせいにその全ての財産管理と保護責任を一任する』と記載されていたらしい」


「それって、どういうこと? 弟さんの面倒を裕くんが見ると言うこと? それじゃ、日本に弟さんを引き取って一緒に暮らすということなの?」


「それが一番いい方法だと思ったんだが、それは出来ないらしい」


「出来ないって……どうして?」


「遺産の分配や毎月の支払いは全てパリの弁護士に任せているから、もしフランスを出国して弟が日本に住むことになれば、手続きが難しくて、全ての遺産を放棄するか、もし、俺がパリで一緒に暮らせなければ、弟は成人するまでは保護者不在という理由で孤児院に入らなくてはならなくなるらしい(*)」


「そんな……」


「弟さえよければ、遺産なんて放棄して日本で暮らしたかったんだが……弟はどうやらパリを離れたくないらしい。生まれ育った母親との思い出のあるパリを離れて、異国の地に来るにはまだ幼な過ぎて難しいんだろうな。弁護士から、弟がパリからは離れたくないむねを伝えてきた」


「それじゃあ、裕くんがパリに行くというのは、パリに行ったままそこにずっと住むことになるということなの?」


「――まあ、そういうことだ」


「そんな……もう永久に日本には帰れないということ?」


「……永久ではなくても、場合によっては数年は帰れないだろうな」


「……」


「でも、このことは前に社長には伝えていたが、ラ・メールブルーのこれからの活動のことを考えたらまだ公表しない方がいいだろうということになった。

 今いきなり、ボーカルの俺が抜けてパリで暮らすことになりました、なんて、ファンをパニックにするだけだからな。少しの休養期間ということで、ファンクラブに報告はしておこうということになってる。


 弟が独り立ちできる18歳になるまでの5,6年はどうしても保護者が必要だから。それまでは俺はパリで生活することなるだろう。その間のグループの仕事は一切出来ない。

 だけど、美羽のことが一番気掛かりだったんだ。美羽は……どうしたい?」










(*海外移住者の相続に関しての手続きは、出生からの戸籍謄本の提出やその他難しい手続きはあるようですが、きちんとした手続きを踏めば放棄する必要はないと思います。このストーリー上は、居住地を離れてしまうことで更に手続きが難しくなることにより、故人が財産の放棄を遺言に残したという設定にしてありますのでご了承くださいませ)

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