第4話 二人きりの映画館で

 裕星の少し後をゆっくり歩きながら、周りを見回し誰もいないことを確かめると、サッと車に乗り込んだ。


「ふぅ~、もうハラハラしたわ! あそこで見つかっちゃったら周りもパニックになってたわね」

 美羽が運転席に目を向けると、裕星も「俺の計算ミスだったな。まさかあそこまで鼻が利くファンがいたとは……」

 二人顔を見合わせて、ホッとしたようにアハハと笑い合った。



「さあ次行くぞ! クレープ、クレープ。俺もまだクレープってものを食べたこと無いんだ」

 裕星は気を取り直したようにハンドルを切ってグイと発進した。


 外苑前がいえんまえにあるクレープ屋はお洒落でパリ風の店構えだった。

 原宿のクレープ店とはまた違う大人の雰囲気もある。


 裕星が車を停めて、キャラメルとナッツ入りのクレープを二つ注文した。美羽はそっと裕星の後ろで周りを見回したが、流石に外苑前までくると、若い子たちは比較的少なく、やっと胸を撫で下ろした。


 裕星を待つ間、道の向こうに続くイチョウ並木に心奪われていると、裕星が、ほら、とクレープを渡してくれた。

 美羽が黒い包み紙ごしに、出来たての温かいクレープを両手で包んで大事そうに一口頬張ひとくちほおばった。

 その無邪気さを見て、裕星も思わずまた笑顔になってしまう。


「おいしい!」


「うん、うまいな。良かった、俺もこんな風に歩きながら食べてみたかったから」


 イチョウ並木は、非現実的なほど鮮やかな黄色い落ち葉の絨毯じゅうたんで敷き詰められ、時折ヒラヒラ肩に落ちてくる黄色い葉っぱが独特の香りを放っていたが、それもまた晩秋らしいおもむきに感じられた。


「ねえ、裕くん?」

 美羽が思い切って訊いた。


「ん?」


「今日はどうしてこんなに思い切ったデートをしようと思ったの?」


「――別に。今までこんな風にしたこと無かったと思って、今日くらい大胆にしてみたくなったんだ」


「裕くん、何かあった?」

 勘の鋭い美羽が、裕星の顔を見上げて心配そうに訊いた。



「……いや、美羽は別に心配しなくていいよ」


「何よ? 裕くん、私だって裕くんのことを守りたいの。もしよかったら、本当のことを教えてくれない?」


「……」


「裕くん?」


「この後は、映画に行きたいって言ってたよな? 初めて観た映画、覚えてるか? あの時、俺も母親の事でムシャクシャしててさ、あの時観た映画の内容、全く覚えてないんだよ」とハハハと笑った。

「あのときは美羽と逢うだけで心が癒されて……だから内容もない映画だったけど楽しかった記憶だけある」



「裕くん……?」


「さあ、行こうぜ! 今やってる映画は何だろうな……」


「裕くんっ!」


「――ごめん。映画を観終わったら海辺の公園に行って、そこで話す」


「――分かったわ」

 美羽は、やっぱり、と不安が的中したことで余計に心がざわついた。


 裕星を信じよう。しかし悪い知らせじゃないだろうか……ただ、今日の思い切りのいいデートといい、もしかして……? そこまで考えてブルッと頭を振った。


 裕星が一生懸命自分を楽しませようとしてくれている。今はそれだけでいい。


 裕星の後に続いて歩くイチョウ並木で、夕日が傾いてビルの間で大きく膨らんで見えた。

 裕星がふと立ち止まって、クイクイ指でこちらにおいでおいでをする。


「どうした美羽、隣を歩けよ、ほら」

 左肘ひだりひじを曲げて差し出し、ここに掴まれとばかりに右手でポンポンと自分の左腕を叩いた。


 美羽は目を細めてふわりと笑顔を見せると、小走りにやって来て裕星の腕に右手を通した。

 すると裕星はその右手が外れないようにギュッと美羽の腕を体に寄せ、美羽がより近く寄り添うようにしてゆっくり歩きだした。


「スゴく綺麗だな――。こんな風に日中から美羽と外を歩けるなんて……なんでもっと早くやらなかったのかと後悔するよ。こうしたら離れずに付いて来れるだろ?」

 前を向いたまま隣の美羽に訊いた。


「――うん。裕くんって、とっても温かい。こうしていると全然寒くないよ。だから、これからもずっとこうしていたいな……」



 すると、裕星はふっと寂しそうに笑ったが、

「俺はカイロじゃないぞ! まあいいや。映画館はあの時行ったところだ。何を上映してるかは行ってからのお楽しみということで」

 グイと美羽の腕を引っ張りながら急ぐように早足になった。


「どんな映画をやってるのか知らないのに行くの?」


「いいだろ? そういう賭けも時には面白いからな」


 小さな古い映画館は、当時のままひっそりと建っていた。どうやら古い洋画のラブストーリーを上映しているようだ。

 客も少なく、チケット売り場も閑散としていたが、裕星がチケットを二枚買って入ると、ロビーにはちらほら珍しく数組のカップルが入っていた。

 誰も二人の方を見る者はなく、裕星は不思議な解放感を覚えた。場内はもうすでに薄暗く、青い座席が100席ほどあって、すでにまばらにカップルが座り、あちこちでもうすでにイチャイチャと寄り添っている姿が見て、裕星は照れてコホッと咳払いで誤魔化ごまかした。



 二人はちょうど中央の座席に座り、小さな劇場のせいで視界いっぱいにスクリーンが広がるため、普通の映画館で言う特等席のようだった。

 あの当時は、美羽は裕星とは何も言葉も交わさずに言葉もよく分からない洋画を観た気がする。しかし、今日はあの時よりはずっと裕星が近く感じられて愛しく思えた。

 あれから様々な苦労を共にし、それを乗り越えて来た二人は、この時間くすぐったいような幸せな感情に満たされていた。


 あれからまだ、たった二度目の映画館デート。それほど二人はデートらしいものが出来ないことへのフラストレーションがあった。それが今こうして叶えられている。

 美羽は大胆不敵だいたんふてきにも、裕星が隣に座り映画が始まると同時に、そっと体を倒して裕星の肩に寄りかかってみた。今までにない心を押しつぶされるほどの不安な気持ちが、裕星に触れることで解消できる気がしたのだ。


 大胆な行動にむしろ驚いたのは裕星の方だった。

「美羽、寝ててもいいぞ」

 照れてからかうように言ったが、美羽が自分に甘えてくれているのが嬉しくて仕方なかった。



 映画は案の定、字幕付きでも少しもストーリー展開が呑み込めなかった。突然始まる恋人たちのラブシーンには美羽は何度も目を伏せた。

 恥ずかしい場面を直視など出来ない純粋な美羽を見て、裕星は微笑ましくなり思わず背中に回した腕でギュッと美羽の肩を自分に引き寄せた。

 背もたれの高い座席で、他のカップル客からも見られることはないのに、純情な美羽はこんなときでも恥ずかしさでそっと腕をすり抜け姿勢を正してしまう。

 肩を抱かれたときの裕星の腕の強さの余韻よいんを感じながら、唇を噛んで平静を装いスクリーンを観てるふりをするのもまた幸せな時間だった。


 この一時間半ずっと時計が止まったまま座席で寄り添い合っていられればいいのに……美羽はこの幸せが逃げて行かないようにと、映画が終わった後の事をもう始まる前から恐れていた。

 しかし、それを察したように、いつの間にか美羽の右手を裕星の大きな左手が温かく包んだのだった。

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