第2話 死んだ親父との思い出
*** 1ヶ月前 ***
JPスター芸能事務所では社長が社員と所属グループメンバー全員にボーナスの90パーセンは振り込み、残り10パーセントだけ手渡しするのが恒例になっている。要するに、社長が社員たちと今年の反省会を兼ねた顔合わせをしたいがための口実だ。
今日、11月25日も、社長の浅加が
「社長、今年は結構俺たち頑張ったからね。ボーナスも
陸が社長室に入るなり、先走って浅加に声を掛けた。
「俺らは今年のコンサートも
陸は一番後輩のくせに、社長を目の前にして要望をズケズケと言えるほどの度胸だ。
「さっきから何をゴチャゴチャくだらんことを言ってるんだ。お前らの給料は、諸経費を差っ引いて計算してるんだからな。コンサートだって、ドームを使えば一日いったいいくらかかると思ってるんだ?
それに、CDのプロモーションだって、あれ、言っとくがな、年々著名なプロデューサーに頼んでるから、今までより掛かってるんだぞ。
そう言えば、裕星は一ヶ月間舞台パフォーマンスがあったな。あれも
それなのに、なんだあ、貴重なチケットがオークションに転売されたという報告もあってな、高額で転売されたもんだから、正当な客がチケットを買えなくなる事態になったらしい。
そのせいで多少の空席が見られたが、俺たちには関係ないなんて言ってる場合じゃないぞ!
これに懲りてファンが減ったら大変だ。
お前らはそれでも恵まれてるんだ。こうして仕事を貰えるだけでも幸せだと思え! 出費は全部事務所が
浅加の話はナイル川より長い。裕星が
「もう分かったよ、社長。それより、俺たちも今年の反省を踏まえて、来年はもう少しメジャーを目指そうと思ってる。
毎年、人気が落ちずに国内トップでいることも大事だが、もっと海外にも目を向けてみたいんだ。例えば、欧米に拠点を移して、日本と往復しながら活動するとか……な」
「おお〜、裕星、なかなか大きな野望だが、前向きで結構、結構! ボーナスだがな……、お前ら喜べ! 少しだが色を付けてやった! 去年の冬よりはだいぶいいぞ!」
わぁお~! と飛び上がって喜んだ陸とリョウタだが、互いの頭がぶつかって苦笑いしている。
裕星は手渡されたボーナスの封筒の中身も見ずにポケットにさっとしまいこむと、「じゃ、俺はこれで」とさっさと部屋を出て行った。
「俺も、今日は実家の母親が出てきてるんで失礼します」
光太も一礼して出て行くと、陸が「おれも……、なんてね。なーんにもないや!」と笑った。
リョウタが「俺は、ボーナスの少しはアメリカの両親に仕送りしようと思ってる。今の俺がこうしていられるのも、産んで育ててくれた両親のおかげと言ってもいいくらいだからね」
「リョウタ~、お前、随分大人になったなぁ。」
「僕は前から大人ですよ」
「分かった分かった。まあとにかく、家族仲が良いのはいいことだ! お前の家族はアメリカにいてなかなか会えないからな、これからもその調子で親孝行してくれ」
「ああ、言われなくてもしてるよ。僕はこう見えて、ダディとマミィにとってはグッボーイだからね」
ニヤリと笑うと、じゃあ、と手を振り出て行った。
裕星が真っ直ぐ向かった先は――教会だった。美羽に一刻も早く逢うためだ。
美羽は今頃、朝の礼拝も終わり寮の部屋に戻っている頃だろう。
裕星は数日前のことを思い出していた。ある日、手続きのための書類が数通送られてきて、すでに受けとってはいたが、昨夜、パリの弁護士事務所から電話が入ったのだ。
裕星は今朝まで一睡も出来ず悩んでいたが、やっと心が決まった。そのため、今日は心置きなくとことん美羽とのデートを楽しむつもりでいたのだった。
その頃、何も知らない美羽は、朝からウキウキしていた。昨夜、裕星からの電話で、今日は昼前からデートに行く予定を告げられたからだ。
「も〜、どうしよう……何を着て行けばいいかしら? これはちょっとラフすぎるし、こっちのはちょっとフォーマルすぎるわね」
美羽はクローゼットから取り出した洋服をベッドの上に散らかして、鏡に向かって服を掲げながらブツブツ独り言を言った。
迷っている内、いつの間に時が過ぎたのか、ファッファーという裕星のベンツのクラクションが階下で聞こえてきた。もう裕星が迎えに来る時間になっていたようだ。
「きゃぁ!」
服に集中していた美羽は突然のクラクションで我に返って思わず悲鳴を上げてしまった。
え〜っ、どうしよう、どうしよう……。ウロウロしていたが、とりあえず半分だけカーテンを開けて、まだ下着のままの姿が見えないようにカーテンを体に巻き付けながら裕星を眼で探すと、階下で裕星が車の横に立ち、こちらを見上げて手を振っているのが見えた。
「あの〜、裕くん、もうちょっと……後5分だけ待ってくれない? まだ用意が……」
「ああ、いいよ、慌てるな。俺はここで待ってるから」
「ごめんね!」
焦るとどうしてなのかさらに集中できなくなって、服を選ぶ思考回路が停止したようだ。もう、何でもいい、と思えばいいのに、今までなかなか逢えなかった裕星に「可愛い」と言ってほしくて、少ない持ち服の中から一枚を選ぶのにすら迷ってしまう美羽だった。
美羽は最終的には、目を
幸いにもそれは、
きっちり5分後に門から出てきた美羽を、裕星は目を細めてクシャリとした満面の笑みで迎えた。
「すごいな……さっきは下着だけだったのに、もう用意が出来たのか?」
「え? やだ、裕くん、私の下着見えてたの?」
真っ赤になってオロオロしている美羽に、裕星はワハハハと大声で笑いながら、「まさか、見えるわけないだろ! 俺にそんな
裕星の大笑いに釣られて美羽も一緒にアハハと笑った。
日曜の昼下がりの道路は平日より空いており、裕星が運転するベンツが渋滞にあわずスムーズに向かったのは、湘南の海のすぐ傍にあるカフェレストランだった。
予約をしていた席は青空が似合う白いオープンテラスにあった。
「ここは俺が子供の頃、よく親父に連れてきてもらった場所なんだ。ここでサーフィンの練習をしたりしてさ――」
裕星が懐かしそうに、テラス席の向こうの太陽を反射してキラキラ光る海面を見ながら言った。
「ここでサーフィンをしたの?」
「子供の頃はね。今もたまに来てるけど、ここは波が良くて一流のサーファーが集まって来るんだ。あの頃の俺はまだあまり上手くなかったけどな」
「裕くんの子供の頃の話、もっと聞かせて。裕くんのご両親が忙しくされていて、なかなか一緒に過ごせなかったことは分かってるけど、でも、さっきのサーフィンみたいに、思い出はあるでしょ? お父さんはどんな方だったの? もし、辛くなかったら聞かせて」
美羽は初めて裕星の家族の事を聞くには今がいいタイミングだと思ったのだ。
「俺の父親はねぇ……。まあ、さっき言ったみたいに、俺が小学生くらいまでは、たまに親父が会いに来て、一緒に遊んでくれたこともあったな……。音楽だけでなくスポーツも万能だった。ただ、その頃は母親とはもう離婚してたころだったけどな」
美羽は静かに頷いて裕星の言葉を待った。
「親父は有名なバイオリニストだったからかなり忙しかっただろうに、そんな中で、たまにだったけど子供だった俺の面倒を見てくれてたんだな。ただ、そうは言っても、誕生日や学校の行事なんかには一度も出てくれた記憶はないけど……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます