第1話 Rhapsody of Love 別れのとき

 美羽の養父、天音神父の教会では、12月24日と25日の2日間は恒例のクリスマスミサが行われる。

 教会の前にある大きなツリーは、12月に入るとすぐに美しく飾り付けられ、ツリーの根元には枝に飾るための金色に染められた松ぼっくりがたくさん籠に入れて置かれいた。教会を訪れた誰もが、七夕飾りのように願いを込めて好きな所に下げることができるのだ。 


 また、25日のクリスマスには、寄付金を募るための小さなコンサートが夕方から行われる。


 例年、クリスマスコンサートには孤児院の子供たちやお世話になっている近所の人々を招待している。ゴスペルやクラッシック、中でも美羽が歌う賛美歌に合わせてシスター達が合唱するその見事な歌声を聞くために、大勢の客が集まった。

 また、美羽は、毎年自分で選んだ曲をソロで披露していた。コンサート代は無料だが、来てくれた人々から心付けや寄付を頂くことがある。




 今日、12月25日午後6時の礼拝堂には、すでに噂を聞きつけた大勢のゴスペルファンや、美羽の歌を目当てに来た人達で100席ほどの座席と立ち見の為の通路が埋め尽くされていた。


 美羽は真っ白いワンピースを着て、シスターたちの中央に立ち、清楚な中にも凛とした格式を感じさせる装いだった。

 美羽の飾り気のない美しさは、邪気のない大きな瞳と透き通った肌、優しい心根が滲み出る笑顔の賜物たまものだ。それらは、一目見ただけで彼女が紛れもない天使であることを物語っていた。


 祭壇さいだんの右にはオルガンが置かれ、シスターの一人がまるでプロの演奏家のように軽やかに奏でている。

 中央の祭壇前には10数名のシスターやシスター見習いたちが綺麗なフォーメーションを組み、楽譜をかかげ声を揃えて歌っている姿は見事だった。その歌声も日頃の練習の成果か、プロの合唱隊にも勝るとも劣らず、誰もがうっとりと聴き惚れていた。


 ゴスペルの合唱が終わると、今度は美羽のソロが始まった。


 美羽は祭壇の中央に歩み出ると、他のシスターたちはすみやかに壇上からけ、両サイドにあるパイプ椅子に着座して見守った。


「次の歌は、愛する人と訳あって離れ、それでも尚、お互いのことを大切に想い合っている、そんな切ない歌詞でもありますが、皆さまの大切な方、離れて暮らすご家族や恋人を思い浮かべてお聴き下さいませ。


 歌い手は天音美羽あまねみう、曲は真島洋子まじまようこさんの『RhapsodyofLove愛の狂想曲』です」


 司会をするシスターが曲の紹介をすると、美羽は一礼して周りを見回した。


「皆さま、今日は沢山お越しいただき、本当にありがとうございます。皆さまがこれからも幸せな毎日を送ることが出来ますようお祈りしています」

 最後にまた一礼すると、スーと息を吸い込んで深呼吸した。


 すると間もなくオルガンが『Rhapsody of Love』の前奏を鳴らした。


 美羽は歌い始めるなり、すぐに瞳を潤ませている。


『たとえ離れていても愛は強く、別れていても胸は熱く、私は夢の中でいつもあなたを探し彷徨さまよっている──』



『涙が溢れるのは寂しいからじゃない

 私の愛が壊れそうだから── 』



 すると、美羽の瞳から溢れた涙が真珠のようにポロリと一粒頬を伝って落ちた。



『信じている、貴方のことを 今 私に出来るただ1つのこと知ってる?──』



 そして、美羽はゆっくり瞼を開けて、また遠くを見すえて歌い続けた。


『愛してる心から でも言えない あなたのことを信じているだけ── 』




『ずっとあなたを愛してる あなただけを想うRhapsodyofLove愛の狂想曲──―』


 美羽は悲しみを帯びた瞳で立ち尽くし、オルガンは後奏を鳴らした。



 今日はクリスマス、教会にとってはキリストの生誕祭を祝う大事な日。

 しかし、美羽にとっては、喜ばしい誕生日の翌日でありながら、他の皆のように家族や愛する人と過ごす幸せなその日に、愛する裕星ゆうせいとはもう一緒にはいられないのだ。



 美羽はソロを歌い終わり、スカートのすそをギュッと握りしめて深々と頭を下げて挨拶をすると、観客からの大きな拍手の渦の中、壇上からそっと降りた。

 美羽の涙に気づいたシスター伊藤がそっと美羽にハンカチを渡すと、肩を抱いて一番近くの扉から廊下に出たのだった。


「美羽、どうかしたの? 大丈夫?」


「シスター伊藤、すみません。大丈夫です。少し感極かんきわまっただけです」と悲しそうに微笑んでみせた。


 礼拝堂では、最後の曲が終わったことで、観客たちはザワザワと帰り支度を始めている。

 足を止めて祭壇さいだんのマリア像を見ている者や、シスターたちに今日のコンサートの感想を嬉しそうに伝える者、小さい子供連れの家族が幸せそうに笑い合いながら帰路きろにつく姿もあった。皆、美羽の涙に気づく者はおらず、それぞれ声を掛け合いながら年末近い慌ただしい冬の街の中へと帰って行ったのだった。



 毎年ミサに来てくれる一般の人々や、クリスマスコンサートを目当てに来てくれた人々だけでも、教会にとっては有り難い年末のお客様だった。


 この後は、改めて教会の信者たちや孤児院の子供たちでクリスマス最後のミサで締めくくることになっている。



 しかし、美羽にとって今年のクリスマスは、裕星と一緒にいられない人生で一番不幸な日――裕星は美羽を置いて1人パリに旅立ち、1ヶ月経った約束の今日、姿を見せることはなかった。

 あの日、あのことがあってから。今日のコンサートに間に合わなければ、もう帰ることはできないと言い残して……。

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