第三十六話 過去の痛みは夕餉の彼方に



「お疲れ様でした、サイラス様」



 店内の席に戻った俺を出迎えたのは、いつもながら無表情で抑揚に欠けたアンネの……アンネロッテの声だった。深くは訊かず、ただ労うだけの言葉は、俺の揺れた心を徐々に落ち着かせてくれた。

 この場で唯一俺の事情を知る、この無表情な旅の連れには、本当に事ある毎に助けられているな……と。そう思った俺は。



「ああ。アンネ、いつも本当にありがとう。アンネのおかげで俺はまた一つ、過去を精算できたよ」



 と、礼の言葉を投げ掛けたのだった。

 ……ん? どうしたんだアンネ、顔が真っ赤だぞ? 辛い料理でも食べたのか?



「むぅー! お兄ちゃんも早く食べようよぉ! このお肉美味しいよ!」


「あ、ああ、分かったよニーナ」



 丸い四人掛けのテーブルの、アンネとは反対側の席からニーナが取り分けた皿を差し出してくる。

 いや、ニーナはどうしてむくれっ面をしてるんだろうか……?



「ん……! これ美味いな! 肉の臭みも無いし、柔らかく焼けてるし……! 宿の主人には良い店を紹介してくれた礼を言わなきゃだな!」



 ニーナがよそってくれた肉料理を頬張り、味付けや焼き方を考察する。

 やはり香辛料か……? 個人で買うよりも店舗などの大口注文なら、多少は割安で融通してもらえるのだろうか? それに使っても店なら、売れば原価は取り戻せるんだしな……。


 他にもスープにサラダ、そして保存食用に焼き締められたものでない柔らかいパンも、どれも美味しい。

 曲がりなりにも料理をするようになったからか、それを食べさせたい人が居るからかは定かではないが、作り方から調味料、果ては素材にまで興味が湧いてくる。


 そう思って、ふと俺自身の変化に気付く。


 〝暴れん坊〟だの、〝ドラ息子〟だのと呼ばれ嫌われていた俺が、他人に美味い飯を食わせてやりたいだなんて……。こんな俺の今の姿を父上や義母はは上、それにエリィ……妹のエリザベスが知ったら、一体どんな顔をするんだろうか。



「ふふっ……」


「んえ? お兄ちゃん、何か面白いことでもあったの?」



 おっと、思わず笑い声が溢れてしまった。

 不思議そうな顔をしてコテン、と首を傾げるニーナの頭を撫でてやり、俺はその喜ばしい変化――ああ、きっと良い変化なんだろう――を噛みしめる。



「人は変われば変わるモノなんだなって、そう思ってな。ニーナもなりたい自分になれるように、これから頑張るんだぞ? 俺も手伝ってやるからさ」


「んんー?? うん、分かったよお兄ちゃん!」



 お互いに良い笑顔で笑い合う。

 温かい食事に温かい団欒。いつか家庭を持つことがあるのならば、こんな風に笑い合える家族を持ちたいものだ。



「むぅ。サイラス様、私もお声掛けを所望しますっ」


「ええぇ……アンネはもう立派な大人だろ……?」



 なぜだかまた不機嫌そうに見えるアンネロッテが割り込んでくる。

 いやしかしだな、アンネは本当に(料理以外は)完璧だと思うし、今も言ったようにそれはもう立派な胸……立派な大人になってると思うんだけどな。



「アンネも芋の皮剥きが上手くできるように、ちゃんと俺が教えてやるからな」


「うぐっ……!?」



 いかんいかん。旅装とも使用人服とも違う、未だ見慣れない町娘風の装いのせいで、服屋での事故の光景まで思い浮かべてしまった。

 誤魔化すように、照れ隠しのように口にした言葉で項垂うなだれる、そんなアンネの頭も苦笑しながら撫でてやり、俺達は再び和やかに料理に舌鼓を打つ。


 と、そんなところへ。



「失礼します公子さま。こちら、食後のデザートにどうぞ。店長が作った甘味で、私の一推しです」



 一緒に店内に戻り、別れた店員の女性……シャロンがそう言って、人数分の何やらスプーンの刺さった白い食べ物らしき物をテーブルに置いたのだ。



「あー、頼んでいないんだが?」



 俺のせいで酷い目に遭わせ、先ほども謝罪のためとはいえ怖い思いをさせてしまったというのに、どうして。そう不思議に思い尋ねてみると、シャロンは。



「ええ。このお店の一推しをご紹介するのは、謝罪を受け取ったという私の意思です。公子さまのお言葉で、過去に刺さった胸のつかえが取れました。私の気持ちですので、どうぞ召し上がってください」



 ぎこちなくはあったが、そう笑顔を見せて話したのだ。それはつまり、こんな俺をゆるしてくれるということなのだろう。



「……そうか。そんなに良くしてもらっては、また食べに来ないといけないな。その時はまた、オススメを教えてくれるか?」


「は、はいっ! 是非いらしてくださいっ。私は夜更け前まではいつも居ますから! お待ちしてます、公子さまっ」


「サイラスでいい。家名は健在といえど、それでももう家を出た身だからな。そんなにかしこまる必要は無い。この街に居る間は、度々世話になるぞ」


「は、はいっ、サイラス様!」



 謝罪とはいえ、気持ちが伝わるってのは嬉しいものだな。最後には頬を染め、自然な笑顔を見せてくれたシャロンを見送ってから、デザートと言われた料理に手を伸ばす。



「くっ……! サイラス様……またですか……!?」


「お兄ちゃんの節操なし……」



 な、なんだよ二人とも……!? なんでそんな恨めしそうな目で俺を見るんだ!?



「私など全然意識もされていないというのに、次から次へと……!」


「ライバルがどんどん増えちゃうね……! お姉ちゃん、一緒に頑張ろうねっ!」



 なにやらまたしても、俺を除いて二人の結束が固まっているような気がする。

 いや、良いんだけどな? 女同士でしか分かり合えないこともそりゃあ有るだろうし。だけどこうもけ者にされるのは、ちょっと寂しいぞ……?


 そう思いながらも、水を差すような雰囲気ではなかったので沈黙を貫いたのだが……



「――――うまっ!?」



 寂しさを打ち消すように口に運んだ、白いデザートの味に驚愕する。

 ほのかな酸味に、砂糖の甘み。そして濃厚な乳の味。甘くはあるがサッパリとしていて、食後の重たい胃袋でもするりと食べられる。滑らかな食感も好印象だ。



「ふわぁぁ……ッ!?」


「これは……っ!?」



 驚く俺の様子を見たせいか、慌ててニーナとアンネもそれを口にし、そしてすぐに目を丸くする。


 ん? 〝ヨーグルト〟というのか、この甘味は。なるほど、家畜の乳を材料に使うのか……。

 〝発酵〟? 〝種菌〟? むう、よく分からん。前世の俺もそれほど詳しくはないらしく、作り方のイメージは湧いても作れる自信はないな……。


 こうなったら……!



「二人とも!」

「サイラス様!」

「お兄ちゃん!」



 なんともまあ、見事に三人とも考えていたことが同じだったらしい。当然、次の一言も――――



「「「絶対また来よう(来ましょう)!!」」」



 と、綺麗にかぶったのであった。




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