第三十話 幕間:従者アンネロッテはもどかしい(アンネロッテ視点)



 私は、サイラス様に命を救われた。


 物心が辛うじて付くか否かの、ずっとずっと幼かった頃に。

 私は、実の親に路上に捨てられていたらしい。


 医師の推測で四歳ぐらいであろうと診断された私は、サイラス様のご生家であるシャムール公爵家にそのまま引き取られ、保護された。


 サイラス様は私を保護して下さったその日から、非常に甲斐甲斐しくお世話をして下さいました。

 時には匙を口まで運び、時には身体を拭って下さり……親の記憶もロクに持たず、寄る辺の無い私を実の妹のように心配し、慈しんで看病して下さいました。


 だからでしょうか。

 体調も快復し、状況を咀嚼し理解した時には私は……アンネロッテはサイラス様のことを、特別な殿方としてお慕いしていました。



「ニーナ、熱いから気を付けて食べろよ~」


「はーい……あひゅいぃぃっ!?」


「あーあー、だから言ったじゃないか」



 ぐぬぬぬぬ……!

 私の目の前でサイラス様と、盗賊から保護し同行している少女――ニーナがイチャイチャと……コホン。仲睦まじくお食事をしています。今などはサイラス様が甲斐甲斐しく、口の周りを布巾で拭ってあげています。


 その場所は私のものであったのに。

 私と、お母上を亡くされたサイラス様の拠り所であった義妹いもうと君、エリザベスお嬢様だけが許されていた場所であったはずのに……。


 この嫉妬は年端もゆかぬ少女に対して? それとも、使用人である私よりも遥かに達者な、そんな少女を夢中にさせるお料理を作り上げたサイラス様に対して……?


 一介の……それも平民の孤児出身である使用人が抱くには、それ自体が不敬であるこの想い。

 貴族であり、由緒正しいシャムール公爵家のご子息である公子様へと向ける、身分違いもはなはだしいこの恋心。


 サイラス様……アンネロッテは、アンネはいったい、この気持ちをどうしたら良いのでしょうか。


 主人と使用人の色恋など、たとえ創作物では好まれようとも、実際にはただの醜聞ゴシップだ。


 公爵家三男というお立場から、お家の継承という責務は遠いものではあるものの……それでも二人いらっしゃるお兄様方に何かがあれば、サイラス様がお家を継ぐ可能性だってゼロではない。

 そんなサイラス様の足枷になることなど、私にとっては死よりも、どんな拷問よりも苦痛であり、あってはならないことだ。


 それでもその視線を向けてほしい。

 私にだけ目を向けて、言葉を投げ掛けてほしい。


 熱い眼差まなざしに甘い言葉、そして頬に手など添えていただければ……それだけでもう私は赤子を身籠れる自信がある。



「――――ンネ、アンネ? どうした、大丈夫か?」


「んひゃいっ!?」



 思考が脱線し、妄想にふけっていた私は唐突に、現実に引き戻される。

 その声の主は当然、私の恩人にして愛しいお方……私の生涯の主人である、サイラス・ヴァン・シャムール様だ。


 焚火を迂回してわざわざ私の隣りに膝を着き、顔を覗き込むようにして声を掛けて下さるそのお顔に、一瞬頭の中が真っ白になり、呼吸の仕方すら忘れて間抜けな声を上げてしまう。

 慌てて表情を取り繕って、無限に溢れ出る恋情や破廉恥な妄想による顔の緩みを悟らせないよう、咳払いをするようにして顔を背ける。



「なんでもございません、サイラス様。どうかなさいましたか?」


「いや、やけに静かで考え込んでるようだったから、大丈夫かと思ってな」



 大丈夫かと思ったら間近で覗き込んでくるのですか、そのお顔で! そのお顔で(大事なことなので二度言いました)!!

 ですから貴方様はもう少し、ご自分のお顔の良さに頓着なさってください……!!


 サラサラと流れ、指通りの良いプラチナブロンドの御髪おぐし

 切れ長の美しい目元には、蒼玉サファイアと見紛うほどのきらめく瞳。

 スッと通った鼻筋に、形も整い白い歯が眩しいお口元。


 旦那様――お父上であらせられる公爵閣下のお若き頃と瓜二つの。精悍とした凛々しい、まさに貴公子と称すに相応しいそのお顔の破壊力を、もう少々自覚してほしいものです。


 べ、別に私はサイラス様のお顔がお綺麗だからお慕いしている訳ではありませんけどねっ!?

 あくまで内面に惹かれているのであって、お顔などオマケのようなもの……嘘ですそのお顔も大好きですごめんなさい!!



「アンネ、またボーっとしてるぞ? やっぱりどこか体調でも優れないんじゃないか?」


「はっ!? い、いいえ、大丈夫ですっ。どこも(胸の内以外は)悪くはありません。ご心配をお掛けして申し訳ありません」


「そ、そうか……? とにかく体調が悪いんだったら遠慮せず、すぐに言ってくれよ? アンネは俺の大事な人なんだからな?」


「はうっ!?」



 また……この人はまた……!!

 どうしてそうもポンポンと心を揺らす言葉を言えるのですか!?


 ええ、分かっていますけどね!? 他意など無く、純粋に仲間や友として――――妹のような存在という意味でおっしゃっているのは重々承知ですけどもね!? ですがこちとら十二年分の恋慕を抱え込んでいるんですよ!!


 ああ、辛い。無理。尊い。

 旅立った当初の浮かれた気分が、ついついまた湧き上がってきてしまう。


 愛しいお方と二人きりの旅。

 陰に日向にとお支えし、彼を補佐し、助け、そしてより一層強くなる二人の絆……!


 ああ、女神様。どうして私を貴族子女に生まれさせて下さらなかったのですか。

 なぜ私は使用人で、妹枠で、料理が下手で……一人の成人した女としてサイラス様に見てもらえないのですか。


 先輩使用人方にも指摘された通り、目付きの悪いこの三白眼が悪いのですか。

 油断するとサイラス様への想いが溢れてしまう、それゆえに常に引き締めているこの不愛想な顔がいけないのですか。


 この旅路の果てには…………私の想いは通じることがあるのでしょうか。

 いっそ妾でも良いから、サイラス様の愛を少しでも頂戴することができるのでしょうか。


 仲睦まじい、歳の離れた兄妹のようなサイラス様とニーナの姿。

 そこに幼い日の自分と彼とを投影しながら、今後の自分達の姿を妄想する。


 やはりまずは、女として意識していただくことから。

 そこから始めねばなりませんね。


 夜闇に揺れる焚火の炎に、私は一人、決意を固めたのでした。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る