第二十九話 幕間:義妹の想い(エリザベス視点)



「…………朝……」



 サイにい様……サイラス・ヴァン・シャムール義兄あに上が公爵邸から旅立ってから、半月が過ぎた。


 兄様は大丈夫だろうか……? ちゃんとお食事は食べられているだろうか……? 怪我をしたり、病気にかかったりしていないだろうか……?

 付き人として、兄様の専属使用人であるアンネ……アンネロッテが同行したとは聞いているけど、それでもやっぱり不安でしかたがない。



「エリザベスお嬢様、ご起床なさいませ」


「メイヤード……もう起きてます。入ってください」


「失礼いたします」



 この公爵邸で、侍従達を束ねる侍従長のメイヤードが、朝の支度を整えに入室してくる。

 サイ兄様から直々にわたしの世話を頼まれたらしく、兄様が旅立ってからは、律儀にわたし専属であるかのように甲斐甲斐しく、生活全般の面倒を見てくれている。



「おはようございます、エリザベスお嬢様。本日のご予定をお伝えいたします――――」



 最初はひどく淡々としていて、冷血なイメージで恐ろしかったメイヤード。だけど彼女は単に無愛想なだけで、別にわたしのことを嫌っている訳ではないことは、すぐに分かった。

 他のメイド達のように、わたしをなど、決して扱わなかったから。



「最初に礼儀作法の授業がございますので、お召し物は形式に則ったドレスにお召し替えさせていただきます」


「お願いします、メイヤード」



 わたしことエリザベス・ヴァン・シャムールは、シャムール公爵家の実の子供ではない。お義父とう様の後妻となった、わたしのお母様であるカサンドラの連れ子だ。女手一つでわたしを育てていたお母様と一緒に、わたしもこの公爵家の籍に入っただけで、貴族の血なんて一滴も流れていないのだ。

 だから当然家の継承権なんてものも無く、この家に来た始めの頃からわたしは、兄様達や屋敷の使用人達に煙たがられ……。表面上は妹や令嬢として扱われていたけど、彼ら彼女らがわたしを見る目には、いつも侮蔑の色を感じていた。


 ただ一人、サイ兄様を除いて――――



「お召し替えが終わりました。それでは食堂へ移動して、旦那様をお待ちしましょう」


「分かりました。メイヤード……、サイラス義兄あに上の命令とはいえ、いつも気に掛けてくれてありがとうございます」


「さて、何のことでしょう? 私はシャムール家の侍従として、一家のお嬢様にお仕えしているだけですが。それにサイラス坊ちゃまからは、気に掛けて世話をしろなどという頂いておりませんよ」


「でも、したんでしょう? だから……ありがとうございます」


「……どうかお気になさらず」



 不愛想で礼節に厳しいこの女性侍従長は、静かに目を閉じて食堂への移動を促す。

 わたしはそれに従って部屋から廊下に出て、この家の家族の描かれた……わたしとカサンドラお母様の居ない家族の肖像画を横目にチラリと眺めてから、食堂へと向かった。





「エリザベスよ、今日も早いな」


「おはよう、エリィ。良く眠れましたか?」


「おはようございます、お義父様、お母様。……今日も、サイ兄様の夢を見ました……」



 朝食の並べられた食卓で、義父であるゴトフリート・ヴァン・シャムール公爵閣下と、彼の後妻でありわたしの母であるカサンドラ・シャムール公爵夫人へと朝の挨拶をする。

 わたしが夢の内容――サイ兄様のことを語ったことにより、夫婦の顔に陰りができ、気まずい沈黙が食卓に流れた。



「そうか……。あれが旅立ってから、もう半月が経つのであったな。サイラスめ、心配する妹に便りの一つでも寄越せば良いものを……」


「旦那様、そうは言ってもなかば放逐の身なのです。あの子なりに覚悟を決めて、関わりを持たぬよう連絡を断っているのでしょう」


「それは……そうだろうが……」



 わたしは知っている。お義父様は兄様に怒りこそすれ、その慈しみまで失ったわけではないことを。追放に近い処罰を与えたとしても、付き人としてアンネロッテの同行を許したのがその証拠だ。

 わたしとカサンドラ母様、そしてお義父様と侍従長のメイヤードの四人だけが、この公爵家でサイ兄様のことを心配している数少ない人間だろう。……メイヤードはどうせまた、職務だからとシラを切るだろうけど。


 この四人だけは、サイ兄様が本来は弱い人を思いやれる、心根の優しい人であることを知っている。だから兄様を追い出したお義父様のことは嫌いになんてならないし、嫁いできた当初、兄様に守られてきたカサンドラ母様だって、未だに兄様のことを気に掛けている。

 この両親が、公爵家に仕える諜報員に命じてサイ兄様の動向を逐一報告させていることだって、わたしは知っている。



「それはさて置きだ。エリザベスよ、やはり学院に通うのは気が進まんのか?」



 気まずい雰囲気を嫌ってか、お義父様が話題を変えてわたしに尋ねてくる。


 本来であればこの〝ラウンディア王国〟に住む全ての貴族の子達は、王都にある貴族学院に通うのが一般的だ。そこで魔法の制御を学んだり、剣術の手解きを受けたり、将来自分の家の領地を治めるのに必要な知識を学んだりする。

 だけどわたしは、ただの平民の子だ。シャムール公爵家の実の娘でもなく、侍従長やアンネ以外の使用人にすらも貴族として認められていない、ただの後妻の連れ子だ。そんなわたしが貴族の学院になど行っても、この家の恥を晒すだけだろう。それに――――



「わたしは、今のように家庭教師を呼んで下さるだけでも充分です、お義父様。公爵家の娘としての勉強はしっかりとこなしますので、どうかこの家に居させて下さい」


「しかしエリザベス、お前も十五になれば成人として、この公爵家の娘として披露式デビュタントを迎えることになる。その時のためにも、学院に通い人脈を築いておいた方が良いのではないか?」


「……義兄上を……サイ兄様を待っていたいのです、お義父様。いつになるか、何年先になるかは分かりません。ですがわたしは……エリィは、この家でサイ兄様が帰って来た時に一番にお出迎えをしたいのです」


「…………そうか」



 本当なら、家長にして公爵閣下であるお義父様に逆らうことなど、許されることではない。だけどこれだけは……!

 お母様一人だけならまだしも、望まれてもいない血の繋がらない妹を――――厄介者であったわたしを守って、慈しんで、愛してくれた、そんな兄様を。


 本当のお母様を亡くした可哀想な、わたしと同じこの家で独りぼっちだったサイ兄様のことが。

 わたしは……エリザベスは……エリィは、大好きだから。



「ならばもはや何も言うまい。ただしこの家の……シャムール公爵家の娘として、それに相応しい淑女となる努力だけは怠らぬようにな」


「ありがとうございます、お義父様……! わがままを言って、申し訳ありません」


「良い。サイラスが帰って来た時には、お前にこれほど寂しい思いをさせた責任を取らせねばならぬな」


「ふふ……。その時は、お義父様も助けてくださいね? もちろんお母様もですよ?」


「ああ」


「ええ、ええ。もちろんですよエリィ」



 サイ兄様は、今はどこでどうしているのだろう。

 危ない事に巻き込まれていないかな? アンネと喧嘩をしたりしていないかな?


 ……お友達ができたりして、エリィのことを忘れてしまったり……していないかな……?


 エリィは待ってます。いつまでも、いつまでも待ってます。


 大好きなサイ兄様。誰よりも優しくて、強くて、格好良くて素敵な、わたしだけのサイ兄様。

 早く、無事に帰ってきてくれることを、エリィはいつまでもいつまでもお祈りしていますからね……。




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