第十話 救命措置と少女



「こうなったら……ッ!」



 俺は少女を再び地面に横たわらせ、勢いよく上着を脱いだ。



「サイラス様!?」



 突然上半身をあらわにした俺に対しアンネ……アンネロッテが驚きの声を上げるが、構ってなんていられない!!

 俺は脱いだ上着を乱暴に丸め、少女の首の下に挟み込む。それによって少女の額は低くなり、見上げるように顎を高くした形になった。



「頼むから恨まないでくれよ……!」



 俺は少女の真っ直ぐになったであろうを確認すると、彼女の鼻を摘んで口を開かせ、顎を手の先で支える。そして大きく息を吸い込み、少女の胸の動きを注視しながら唇を重ねた。



「さささサイラス様ぁッ!!??」



 黙っててくれアンネ!

 前世の記憶によれば、人は呼吸停止してから五〜十分で心臓が停まってしまうらしい。そうすれば脳への血流が途絶え、更に三〜五分後には回復不可能な深刻な状況となる。だから一刻も早くこの少女の息を吹き返させないといけないんだ!


 俺は朧気な前世の記憶――〝防災訓練〟? とやらで習ったらしい――から掘り起こした〝人工呼吸〟の手順を頭の中で繰り返しながら、少女の口の中に空気を吹き込む。

 すると少女の胸が膨らんだのが確認できた。ちゃんと気道が確保できていて、少女の肺腑に空気が届いた証拠だ。俺はそれを確認して一旦口を離し、もう一度息を吸い込んで同じように少女の口から空気を送り込む。


 そうしてから今度は……〝心臓マッサージ〟というのか? 少女の痩せた胸の間、胸の両方の先端を線で結んでちょうど真ん中辺りにてのひらを置いて、もう片手をその上に乗せる。

 肩から垂直に力を加えるのがコツらしいな。



「サイラス様、一体ナニを!?」



 なおも喚くアンネは悪いが無視させてもらい、少女の胸が親指の長さほど沈む程度の力加減で、彼女の胸をリズムよく圧迫する。



「イチ、ニィ、サン、シ、ゴ……!」



 テンポ良く、少女の顔を確認しなが。声を出して数を数えながら、十回ほど圧迫する。そうしたら少女の口元に耳を近付け、呼吸が戻っているかの確認だ。

 ……が、結果はまだだった。俺はもう一度人工呼吸を試みる。そして二回目の人工呼吸を行った直後――――



「ヒュ……ッ! ゴホッ!? ゲホッ、ゴホッ!?」



 よし、呼吸が戻った!!



「大丈夫か!? 慌てなくて良いから、落ち着いて焦らずに息をするんだ!」


「ゲホゲホッ!! ヒュ……ヒュー、ゼェ、ゼェ……ッ!」



 少女はよほど苦しいと見えて、涙を流しながら顔を真っ赤にして必死に呼吸を繰り返している。俺は少女の背中をさすってやりながら、怖がらせないようにできるだけ優しく声を掛けた。



「大丈夫だ。悪い奴はもう倒したから、お前を怖がらせる者はもうここには居ない。だから落ち着いて、ゆっくり息を吸ってゆっくり吐くんだ」


「ハァ……ハァ……! ッハァァ…………ッ!」



 よし、だいぶ落ち着いてきたな。



「喋れるか? 俺はサイラスという。お前を捕まえていたらしい盗賊どもは皆、俺達が討伐した。名前を言えるか?」


「ふぅぅ……っ! は、はい……」



 四つん這いになって必死に息をしていた少女はそのままペタンと地面に尻を落として、恐る恐るといった感じで俺を見上げてきた。

 琥珀色アンバーの真っ直ぐな長髪をしている少女は、翡翠色をした大きな瞳で俺を見上げて固まってしまった。痩せこけてしまっているが、健康な時ならとても器量の良い女の子だったであろうことが、その整った配置の顔つきから見て取れる。



「どうした? 名前を思い出せないのか?」



 よほど酷い目にあって心に傷を負ってしまったのか? 前世の記憶によって、〝心的外傷トラウマによる記憶障害〟なる不吉な知識が思い浮かんだ。



「あたし……ニーナ、名前……」



 良かった。心に傷は負っていないとは言い切れないが、ちゃんと自分の事はわかっているようだ。



「そうか。よろしくな、ニーナ。お前が無事で俺も嬉しいよ」


「う……あぅ……っ!」



 ん? どうしたニーナ? なんで顔を赤くして俯くんだ? まだ苦しいのか?



「サイラス様、問題ありません。この少女はサイラス様のお顔に見蕩みとれているだけです」


「っ!? うぅ〜……!」


「見蕩れる? 俺に? 何を言ってるんだよ?」


「…………サイラス様。貴方様はもう少し、ご自分の見目の良さをご自覚なさるべきかと。旦那様のお若い時分の肖像画をご覧になった事はおありでしょう? あの旦那様に瓜二つですよ」



 若かりし頃の父上の肖像画……アレか。今は亡き俺の本当の母上と並んで描かれている、謁見の間に飾られているの事か。

 え……俺ってそんなに父上に似てるのか……? だってあの父上って、物凄く格好良いんだぞ? まだ荒れていない子供の頃は、確かに『父上みたいになる』って言っていた記憶はあるが……。


 ん? また前世の記憶が…………〝オーランド・ブ〇ーム〟? 誰だそれは? 〝ハイユウ〟? ああ、確かに似ているな。え、つまり俺も彼に似てるってことか?

 〝イケメン〟……? なるほど、見目の良い男の事をイケメンと言うのか。本当に前世の記憶は知らない知識で溢れているな……。


 先程の人工呼吸といい今回のイケメンといい、よほど前世の俺の生きていた国では、教育制度が発達していたらしい。



「ま、まあ俺の見目のことはどうでも良い。それよりどうだ? 立ち上がれそうか?」


「は、はい…………あぅっ!?」


「おっと……!」



 気丈に立ち上がろうとした少女……ニーナだったが、上手く脚に力が入らなかったようでフラついてしまった。俺は咄嗟にニーナの小さく痩せた身体を両手で支える――――いや、軽過ぎだろう……!? あの盗賊ども……マトモな食事も食わせてやらなかったのか……!



「あ……っ! ごめ、ごめんなさ……!」


「ああ良いって、気にするなよ。ずいぶん痩せてしまっているし、ついさっきまで生死の境を彷徨さまよってたんだ。無理もないよ。……よし」


「う……? うわぅッ!?」



 俺はニーナを助け起こしてやって、未だに少し震えている彼女の身体を抱き上げた。首に手を掛けられるように俺の腕に尻を乗せて、身体が楽なように俺にもたれ掛けてやる。



「楽にしてろよニーナ。アンネ……ああ、彼女はアンネロッテといって俺の旅の連れだ。アンネ、少し休める所まで移動しよう。この子に何か食わせてやりたい」


「……分かりました。盗賊達の亡骸なきがらはどうしますか?」


「ああ……確か国の法では、盗賊を討伐した時は最寄りの街の警備隊に報告して処理を依頼するか、無理なら個人の裁量で死体処理をしないといけないんだったな」


「仰る通りです。ですが最寄りの街はご生家の在る領都ですし、今から戻っては手間です。少々お時間を下されば私が処理しますが?」


「……意気揚々と街を出て、こんなにすぐに帰るのも嫌だな……。分かった。少し離れた所で待ってるから、処理を頼んで良いか?」


「分かりました。すぐに処理してきます」



 女性の平均的な体格とはいえ、俺よりもだいぶ小柄なアンネ一人に処理をさせるのは心苦しいが……。しかしすでにニーナを抱き上げてしまっているし、ついさっきまで死にかけていたこの子を一人にするのも心配だ。

 おっかなびっくりだが俺の首に手を回して身体を預けてくれているこの子の、その不安を和らげてやる努力をしてみるか。


 そうして体裁はともかくとして、俺は盗賊五人の死体が転がっている襲撃現場からそっと離れたのだった。




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