第五話 従者アンネロッテと旅支度



「サイラス様」



 公爵家の玄関を出て、美しい庭園を眺めながら歩いて門へと辿り着いた僕に、聞き慣れた抑揚に欠ける声が届いた。


 門の向こうから姿を現し、立ちはだかるように僕の進路に立っていたのは……一人の少女だった。



「アンネ……? どうしたんだそんな所で? それに、いつものメイド服じゃないのか?」



 その少女は名をアンネロッテという。


 歳は僕より二つ下の十六歳で、ピンク色のフワリとした髪を肩口まで伸ばしている。整った顔は表情の変化に乏しいけど、見上げるような濃いピンク色の三白眼がキョロキョロ動くのは、正直見ていて楽しい。

 まあ、目付きが悪いってよく先輩メイドに小言を言われてるみたいだけどね。



「旦那様に同行の許可をたまわりました。私もサイラス様の旅にご一緒します」


「…………は?」



 一瞬何を言われたのか分からずに、思わず聞き返してしまった。

 一緒に? 僕と? どうして……?



「私もサイラス様の旅にご一緒します」



 お、おう……?

 まるで前世の傷付きCDの音が飛んでリピートするように。一言一句、発音までも同じように繰り返すアンネロッテ。



「アンネ……アンネロッテ。この旅は、成し遂げないといけない旅なんだ」


「私もサイラス様の旅にご一緒します」


「う、うん、だからね……? 僕自身の力で乗り越える事に意味が――――」


「私もサイラス様の旅にご一緒します」



 ぜんっぜんダメだぁ!? 僕の意見はまったく聞いてくれそうにありませんっ!?



「ちょ、アンネさん……?」


「私も、サイラス様の、旅に、ご一緒、します」



 あ、これホントにダメなやつだ。


 この少女アンネロッテは、僕が十二年前、六歳の頃に街の路地端で保護した孤児だ。

 母上とお忍びで街に繰り出した時に、路地の角の壁に添えるように置かれた木箱の中で、ガリガリに痩せた飢餓状態で見付かったんだ。


 僕は母上に懇願して、骨と皮ばかりの彼女を連れて即座に家に帰った。

 その日から僕は彼女の介抱に没頭し、アンネは無事に一命を取り留め、体調も回復した。


 それからというものの、徐々に成長していくアンネは僕にベッタリとなり、当時は母上も存命で荒れていなかった僕も、幼児であった彼女を妹のように可愛がっていた。

 そして母上が身罷みまかられたあの時以降、僕は当時まだ六歳のアンネとは距離を置き、荒れた言動をエスカレートさせていったんだ。


 父上が後妻としてカサンドラ母娘を連れて来た後は、義妹のエリィに依存する――そうだね、僕はエリィに依存していたんだ――僕を見かねたのか、侍従長に付き従うようにして僕らの周囲を動き回っていた。

 侍従長も物覚えの良さを気に入ったのか、次々とアンネに仕事を教えていってたっけ。


 そうして八歳の頃から今日までの十年間、アンネは僕のそばに居続けた。僕の行動を諌めるでもなく、ただただ傍に、部屋の装飾の花瓶のように、ただ近くに在り続けた。

 撒こうと思ってもいつの間にか視界の端に居るし、ついて来るなと詰め寄ろうが怒鳴ろうが突き放そうが、アンネはちょうどこのように繰り返し傍に居ると言い続け、頑なに僕の近くから離れなかった。


 これは放っておいても、付かず離れずをずっとついて来るヤツだ。そう理解した……してしまった僕には、もはや説得する気力は湧いてこなかった。



「分かったよ、アンネ。でもいつもみたいに監視するような感じじゃなくて、旅の友として一緒に行こう。それで良いかな?」


「はい。旅のとして、ご一緒します」



 ん? なんかニュアンスが違ったような……?

 まあ良いか。正直なところ、初めての一人旅で不安もかなりあったからね。侍従長のあの厳しい教育に耐え抜いたアンネが一緒なら、実際すごく心強いよ。



「まずは旅の道具やらを用意したいんだけど、どこへ行けば良いのかな……?」


「ご案内します、サイラス様」



 こうして当初の予定とは違ってきたけど、無表情で抑揚に欠ける旅の仲間のアンネを連れて、僕は公爵家から離れて行ったのだった。





 ◇





ぇんな。アンタに売るモンは無ぇよ」



 街の外れにある道具屋で、僕は店主の男性にそう告げられていた。アンネが連れてきてくれたその道具屋は、価格も良心的で品揃えも豊富だという話だったのだが……



「公爵家から出たってんなら遠慮する事もねぇ。アンタは今まで俺らに何をしたのか、忘れたってぇのか?」


「無礼な。サイラス様に公爵家の名は残っております。不敬ですよ」


「付き人の嬢ちゃんは黙ってな。それでも家を追ん出されたことにゃ変わりねぇだろうが。お家の威光が使えるとは思えねぇな。もう一度言うぞ、アンタに売るようなモンは無ぇ。帰ぇんな」



 店主はそう言うと手をシッシッと振り、僕らに背を向けて会計カウンターの向こう側に戻って行く。



「……無礼千万です。サイラス様、粛清の許可を」


「いやあのアンネ、やめてください」



 それじゃあ今までと何も変わらないじゃないか。というか粛清って物騒だよ、アンネ……!


 確かにこの店……というかここらの界隈には来た覚えがある。あの時は確か、売り物である旅用の保存食を勝手に食べて味にケチを付けたり、テントや折り畳みの簡易椅子を耐久テストだとか言って壊したりしてたな。


 ふと気になったのでアンネを手招きする。



「ここは以前、僕が暴れた店だったね。あの時の損害はもしかして……?」


「はい。カサンドラ奥様が公爵家名義で補償なさっておいでです。ですので、すでにこちらの店とは話は着いているのですが……なのに売らないなどと。やはり粛清を――――」


「はいそこまで。アンネが怒ってくれるのはありがたいけど、たとえ示談が成り立ってたとしても、心情的に許せるかどうかは別じゃないか。彼の怒りは至極もっともなモノだよ」



 無表情で淡々と怒りの言葉を口にするアンネロッテを宥めて、僕はそう、自分に言い聞かせるようにして言葉にする。


 しかし困ったな。ここで旅道具を揃えられないとなると、一から店を探さなきゃいけなくなってしまう。それに改めて店の内部を眺めると、確かに品質も品揃えも豊かで、値段だって高過ぎずに良心的な表示がされている。

 次に見付けた店がここほど良心的で品数も揃っているかどうかなんて分からないし、僕としては是非ともここで買い物をしたい。


 僕のの事だってあるしね。



「アンネロッテ、僕はこれから店主に謝ってくる。それでどうにか道具をここで買わせてもらえないか、頼んでみるよ」


「サイラス様がそのようなことをなさる必要はありません。ここは私にお任せください」



 いや、それじゃ意味が無いんだよ。店主の男性は明らかに過去の僕の暴挙に怒っているんだし、どう考えたって僕が悪い。アンネロッテがいくら言葉を尽くしても、彼は考えを変えないだろう。


 それにアンネ……さっきから〝粛清〟とか怖い事言っちゃってるし。



「僕が謝らなきゃ意味が無いんだ。そもそも、そのための旅なんだから」



 そう言ってアンネロッテを控えさせて、僕はカウンターからコチラを睨み続けている店主へと歩み寄る。



「なんだドラ息子。またウチで暴れようってぇ腹積もりか?」



 ドラ息子……ドラ息子ねぇ……。

 前世の記憶に拠れば、〝怠け者で遊んでばかりいる素行の悪い息子。道楽息子。放蕩息子〟って意味だったかな。


 ――――まさに僕のためにあるような言葉だ。

 思わず自嘲の笑みを浮かべて、カウンター越しに店主へと向かい合う。



「店主殿。僕はこれからの旅に、どうしてもこの店で売っている品が欲しい」


「だからさっきも言っただろうが。アンタに売るようなモンは無ぇってよ」



 取り付く島もないとはこのことだな。まあ島に取り付くため海に出たことどころか、このままでは海に出るための旅にすら、出られそうにないんだけど。



「僕はこれから各地を巡って、僕が過去に仕出かした事による悪評を、拭って回りたいんだ」


「そうかい、そりゃご苦労なこって。せいぜい他の店で道具を揃えて、勝手にやんな。アンタに売ってくれる店が有りゃあ良いがな」


「いや、ここが良い。この店が良いんだ」


「……あ゛あ゛ッ!?」



 思わず身が竦むような鋭い目付きで。

 怒気を孕んだドスの効いた低い声で、道具屋の店主は僕を睨み付けた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る