第2話坂本凪の日常

「やあ、坂本」


 辻晴香には遠く及ばないけれど、俺にも一応友人はいる。同じ工学部2年生の野田行人だ。野田を含めて3人の友人がいるおかげで、俺は大学でぼっちにならずに済んでいる。べつにぼっちになったって構わないのだが、気づいたら3人が纏わりついていたのだ。坂本凪という名前から、入学当初話すようになった斉藤登と小西卓人が連れてきたのが、この野田だった。全員個人の趣味をわりと大切にするタイプで、あまり協調性のない性質だったので、4人でずっと一緒にいるということはない。けれど、今日みたいに会えばあいさつを交わして、同じ授業をとっていれば、隣に座る。レポートや課題で困ったことがあれば連絡をとりあい協力して、たまに飯を食ったり酒を飲んだりする。人付き合いが苦手な俺でも、あいつらの距離感は心地よくて、なんだかんだ友人関係を持続させている。


「坂本は何の授業だ?」


「授業はないけど、図書館で勉強でもしようかなって」


「ほう、勉強熱心だな。勉強熱心なのはいいことだ」


 野田は堅苦しいしゃべり方に似合わない優しい微笑みを浮かべると、いい子だと褒めるように頷いてみせた。でも、野田に語ったことはほんとうじゃない。図書館で勉強しようというのは、結果的にそうなるだけであって、第一の目的ではない。今日俺が午前中の講義もないのに、大学にやってきた理由は、辻晴香を眺めたいというただそれだけだった。登校してくる彼に声をかけようか迷って、いつも通り眺めるだけの選択をした後は、講義までの時間を持て余すから、図書館で勉強をするというだけのことなのだ。


 俺は俺の恋心を誰にも知らせるつもりはないし、成就させるつもりもないから、親しい友人である野田にも告げる気はなかった。


「野田は講義?」


「あぁ、といっても専門ではなく教養だから、気楽といえば気楽だがな」


「なんか変な教養の授業とってたな」


 工学部ではあるけれど、好奇心の範囲が広い野田は、よく文系の教養科目に出没している。だから、工学部の講義がないような時間も学内をうろついていることが多いのだ。


「じゃあ、そろそろ時間だから行くとするよ」


「あぁ、またな」


 野田を見送り、自分は図書館へと足を進めた。




 朝早い時間の図書館は、あまり人がいなくて、その静かさの純度が高くなっているように感じる。辻を眺めた後の暇つぶしに使っているのは、どうも不純な気がして申し訳ないのだが、これだけ静かで落ち着いた空気が充満していると、少しほっとできる。


 はじめは、最近授業で扱っている学問的な専門書をめくっていたが、すぐに思考は辻晴香へと飛んで行った。


 明るい茶髪で垢抜けた雰囲気の辻と、重たい眼鏡こそしていないものの、前髪が長く陰鬱な雰囲気の俺。妄想の中ですら、隣に立つことは許されない気がして、いつも目に焼き付けた辻の姿を思い返すだけだ。


 恋心はしまっておけば、消えていくのだろうか。


 消えると信じて、誰にも知られないように隠しているけれど、こんなに強くて切ない気持ちが、いつか綺麗さっぱり消えるだなんて信じられないような気もする。


 それに、消えてほしくないなんて馬鹿げた気持ちも時たま顔をのぞかせるのだ。


 あぁ、恋はなんて厄介なものなんだろう。

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