8. 到着

 陽が中天を過ぎるかどうかというあたりで、村の入口に着いた。崖の上から見た通り、村は丸太で出来た柵で隙間なく囲まれ、入口は柵で閉ざされている。村の反対側、海に向かって出る方には、もう少し小振りな門があるはずだった。

 ぴゅう、と見張りのやぐらから音がした。指笛だ。


「そこのでけえ娘は、ワイアかあ? それとも熊かあ?」


 男の声がした。声を張り上げているせいか少し間延びしている。櫓の手すりの上から、ひょこんと山羊髭の男が顔を突き出した。


「チャズ! 元気にしてたか!」


 ワイアが破顔し、後部座席から降りて大きく手を振る。見張りの男とは、どうやら顔見知りのようだ。


「見慣れねえ顔もいるなあ。それにその跨ってるやつは何だ?」


 チャズがそう言ってあらためるが、ワイアの連れともあってさほど警戒した様子ではない。


「あの、僕はポルカルッタ。ルディンルラナ氏族、ヴェローナルティの子です」

「聞いたことねえなあ」

「この子なあ、東の方から来たんだと。矮蛮に喰われそうになってたとこに行き会ったんだよ」


 ワイアが、助け舟を出してくれる。


「なに、怪しいもんじゃねえ。保証するぜ」

「これは、僕のモーターサイクルです。荷物がいくつかあるけど、良ければ検めてもらっても」

「荷物ってな、後ろのそれかあ?」


 チャズがそれといって指さすのは、勿論樹皮の橇の上に纏めた肉と革の塊だ。


「でけえのをぶっちめたんで、大急ぎで捌いたのさ」

「でけえのって、まさかそれで一頭分かよ」

「これでも随分削ぎ落としたんだ。やい、これ以上ここでつべこべ抜かすなら、ここであたしがこれ全部喰っちまうぞ!」

「わかった、わかったよ!」


 おい、開けてやれ、と中にいる門番と思しき村人にチャズが声を掛ける。やり取りをしている間にも、何事かと門の内側に幾人も集っているのがポルカルッタのからもよく見えた。男も女も、子供もいる。やはり大きな村だと、ポルカルッタは思う。


「ついでにトルッサんとこにも声掛けといてくれ。獲物の見積もりにってな」

「そんぐらい自分でやれ! 俺ぁ仕事中だぞ」


 そう言いながら、群衆の中の子どもに「ひとっ走りしてやれ」と声を掛けて遣いにやってくれるチャズ。これも見張りの仕事か、それとも人柄か。

 何にせよ、これで人里に着いた。ようやく命の心配をせずに息を着けると、ポルカルッタは内心大きく胸を撫で下ろした。


 トルッサというのはワイアが懇意にしている村の商店主で、大体何にでも値を付けて砂金に換えてくれるのだそうだ。それに、欲しいものを言えば取り揃えていてくれるし、砂金がなければ物々交換でも受けてくれるらしい。

 向こうの方から遣いの子に先導されてやって来るのが、そうだった。中年の男で、髪の色はまだ黒々としているが、少し脚を引き摺っている。


「よう、生きてたか」


少し皺がれた声でトルッサが言う。市場で、長年声を張り続けた人間の声だった。


「大将自らお出ましかい、若いのに任せりゃいいのに」


ワイアがおだてる。あら、そんな言い回しもするんだ、とポルカルッタはちょっと意外な思いだった。これで意外と年長者を敬う方なのかもしれない。


「今人がいねえんだ。で、この燻し肉と塩漬け肉と……なんだこりゃ、ずいぶんでかい革だな。矮蛮か?」

「そうだ。尻尾まで合わせりゃ、あたしより腕2本分は丈があったな」

「そりゃまた大物だ」


 眉を上げながらも、先ほどからチラチラと視線をポルカルッタとモーターサイクルにやっている。気になって仕方ないようだ。


「初めまして、ポルカルッタと言います。ルディンルラナ氏族、ヴェローナルティの子です」


 ほ、とトルッサが微笑み混じりの嘆息を漏らす。


「幼いのに礼儀正しい子だ」

「どうも……」


 この辺りは温暖な気候の為か、ポルカルッタの故郷の辺りより、植物も動物もずっと大きく育つ。人もまた例外ではないようで、トルッサも周りにいる人々も、ポルカルッタからすれば随分大柄に見える。きっと彼らからすれば、年端もいかない幼子が一人旅をしているように思えるのだろう。


「よし、いいだろう。いつも通り言い値でいいのか?」

「構わねえ。砂金で頼む」

「おう」


 ひと通り品物を改め、腰を叩いて伸ばしながら断りを入れるトルッサへ、ワイアは鷹揚に応える。ふむ、とトルッサは満足げに声を漏らし、モーターサイクルにちらりと目をやった。


「そっちのはどうする。こんなところに置いといても邪魔なだけだが」


 まだ入口門のすぐ傍なのだ。どこか良い場所はあるかしらと問おうとしたポルカルッタに、横目のままトルッサが重ねる。


「何なら、うちで預かっても良いぞ。預かり賃はもらうが」


 それを聞いて、ポルカルッタはにっこりと笑った。

 彼は、ポルカルッタの大好きな人種だ。


 ポルカルッタは、しばらく村の人間の物見の種となった。交易所であることから何かと人の出入りが多いダイーショだが、遥か遠方から子供が一人きりで、それも珍しい機械を携えてやってくるというのは流石に目立つらしい。来訪者が当たり前であるこの村であるからこそ、珍客はより一層目立つのだろう。

 ポルカルッタが投宿している宿屋の食堂は、泊まりでないものでも、食事だけをあがなうことが出来る。今も、ポルカルッタがとうもろこしの粥を匙で掬っているところに、男が一人声を掛けてきた。チャズだ。


「よう」

「こんにちは」


 向かいの席にどっかと座ったチャズの口から、ぷんの酒の臭いがした。まだ午前だというのに、手に持つ木の盃になみなみと注がれているのは、どうやら酒らしい。


「今日は見張りはいいの?」

「非番だからな」


 いい気なものだ。


「飲むか?」


 あろうことか、自分の杯を差し出してくる。ポルカルッタは、顔を顰めないようにするのが精一杯だった。


「ううん。飲めないからいいよ」

「あ、そう」


 言って、チャズは何事も無かったかのように盃に口を付ける。


「しばらくここにいるんだってな」

「もうすぐ大きな商隊が来るんでしょ? それに着いて行こうかなって」

「どこまで行くつもりなんだ?」


 酔っ払いの与太話なのは重々承知だが、ポルカルッタはその問いに少し悩んでから真剣に答えた。


「行けるところまでかな」


 チャズは少しきょとんとした顔をして、それから盛大に笑いだした。周りの客が何事かと視線をやってくるのが少々煩わしい。


「でけえ口叩くじゃねえか、そんなナリで」

「そんなにひどい格好してるかな?」

「よせよう、分かっててとぼけるのは」


 顎髭をしごきながらチャズが揶揄するが、本当に分からない。


「何の話?」

「ワイア、連れてく気だろ?」


 それを聞いて、今度はポルカルッタが噴き出した。


「まさか」

「じゃあおめえ、この先どうすんだ」

「うーん、まあ何とかするかな」

「何とかって?」

「ワイアじゃなくても、お金で雇われてくれる人って結構いるもんだよ」

「ワイアなら掛からねえだろ」

「なんで?」

「またまた」


 のけ反る様に笑うチャズは右手に空になった杯を持て余して、女将に替わりを申し付けた。だが、恰幅の良い女将はこちらに近寄る事すらなく「先月の分払ってから言いな」と大声ですげなく断る。チャズは舌打ちをひとつ、今度は媚びた笑いをポルカルッタに向けた。


「なあ、ちょっと融通してくんねえか。持ち込んだ矮蛮、良い値になったんだろ」

「ええ……」


 あの後、ポルカルッタはワイアと一緒にトルッサの店に行って、皮袋に詰まった砂金を代金として受け取っている。ワイアの言う通り、きっちり山分けだった。大きさの割にこんなものか、というのがポルカルッタの感想である。革なんかはもっと値が付いてもいいように思ったのだが、ワイアによれば『こんなもの』らしい。矮蛮の革は竜種にしては薄く、実用面からするとそれほどの価値は無いのだそうだ。ただ、それでもこの村での滞在や次の旅の必需品を賄うぐらいの分はゆうにあった。


「貸すのはいいけど、返すアテはあるの?」

「そりゃ、博打で一発よ」


 どうやらこの村では賭場も立つらしい。博打と一口に言ってもさまざまな種類はあるが、チャズがどんなものに手を出しているのか、ポルカルッタにはさして興味もなかった。

 ふう、と溜息をつく。


「わかった、一杯だけなら奢るよ。そのかわり」

「そのかわり?」


 奢りと訊いて、チャズの眼が爛と輝く。


「地図は持ってる?」

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