6. ワイアの奥の手
翌日も、よく晴れた。
木立の合間から斜めに差し込む朝の日光に照らされながら、モーターサイクルは発進する。
矮蛮の巨体をすべて捌くのは、無理だった。人も道具も限られていたし、何よりモーターサイクルの積載量を明らかに超えていた為だ。それにここからダイーショまで、モーターサイクルの速度をもってしてもまだ1日分以上の距離があったから、骨ばかりが多く処理に時間の掛かる頭部や、内臓の中でも足の速い消化器系、それに血液は捨てるしかなかった。きつめに塩を擦りこんだり焚火の熱と煙で燻製にした部位、それに半ば乾燥させた革を持って行ける分だけ、樹皮とロープで急ごしらえした橇に載せてモーターサイクルで牽引している。革だけでも、ポルカルッタが持ち運べないくらいの目方だった。
あれから、取り決めた通りに見張りを交代しポルカルッタはテントに潜り込んだが、中々寝付くことはできなかった。寝不足のせいで、眼がしょぼしょぼする。
ワイアは後部座席に、後ろ向きに座っている。荷の様子を見張る為だ。背中に携えた槍と刀が当たりそうになるので、気持ち姿勢を前傾させている。
「そう言えばさ」とポルカルッタ。
「うん?」
「そのナイフ、一昨日は使わなかったよね」
昨日は思い出しもしなかったことを今ふと、口に出して訊いてみた。
そのナイフ、というのはワイアの両の腰の革帯に一本ずつ鞘ごと吊るされたものだ。あの待ち伏せの夜、泥を身体に塗った上からわざわざ身に着けたからてっきりナイフで仕留めるつもりだと思っていたたのだ。もしかしたら、最初から使うつもりはなかったのではないか、そんなふうにすら思う。
なぜといえば、とても刃渡りが短いのだ、そのナイフは。鞘に仕舞われた刃は、ワイアの人差し指か中指程度の長さしか無いように見える。これではとても、あの矮蛮に致命傷を与える事はできないだろう。そして刃の短さに相反するように柄は長く、握りこぶしをふたつ並べたぐらいある。形状も、人が握り込むことを想定しないような直線だけで構成されたもので装飾なんてないが、所々色と材質を違えた突起のようなものがある。実用一辺倒というよりもさらに無骨なそれは、皮革をなめして作った鞘とは明らかに雰囲気が違った。恐らく鞘はナイフに合わせて、後から設えたものに違いない。いや、それはナイフというか、武器ですらないのではないか。武器と言うよりは、まるで……
「あ、これか」
ぽん、とワイアが腰の辺りを叩いて、あっさりと教えてくれる。
「こりゃ、
「ながみつ? それがナイフの名前?」
「聞き覚えがあるのか?」
「ううん、変わった響きだなって思って。ふたつとも長光? なんだよね?」
「ふたつ合わせて長光だ。急にどうした?」
「ちょっと気になっただけ。待ち伏せにも大事そうに持ってったのに、使わなかったからさ」
「大事なもんだし、半分お守り代わりみたいなもんだしな、今は」
どこから話したもんか、と前置きしてからワイアは少し黙って宙を仰ぎ、頭の中で話を組み立てる。
「ジサマのそのまたジサマの代からうちの氏族にあるんだよ。んで、一番腕の立つ奴が着ける。何年か前まではお
「お守りなんだ。でも、『今は』って?」
「ジサマ曰く、あと一回っきゃ使えねえんだと。だからこいつは、怒瑠権に使う」
一度だけ、ワイアはそれを使うところを見たのだという。まだ彼女が幼少のみぎり、祖父もまだ壮年で、筋骨逞しい氏族一の狩人であり戦士だった頃に。
それは
かつてのワイアたちも、そうだった。夜の更けた頃に襲撃を受けて、何人もの大人たちが捕まっては飲まれ、或いは手足を噛み砕かれた。民が恐慌に陥る間際、祖父がワイアを背に庇って長光を抜き放った。
「こう、両方を逆手に持って、刃をバチンって合わせるんだよ」
ワイアが話に交える身振りはポルカルッタからは全く見えないのだが、まあ何となくは分かる。
「そしたらすげえ音がしてな。バチバチバチ! って」
幼いワイアは見た。
祖父の手元で何かが激しく弾ける音と共に、光る刀身が柄の先に伸びていた。
半ば透け、青紫色がかったそれを、ワイアは稲妻だと直感した。祖父は、今まさに雷光を手にしているのだと。
卑弩羅の頭の注意が、一斉に祖父に向いた。
常人なら腰を抜かすか、背を向けて一目散に逃げだすに違いない光景。かつての彼女も、立っていられないほどの恐怖を覚えたという。だが、氏族随一の男は駆けた。卑弩羅の巨体に向かって、一直線に。
幾つもの頭部が右から左から
卑弩羅は胴の最も太い部分に心臓を持つ。そこ目掛けて、祖父は二刀を差し込んだ。
一際大く弾ける音。肉の焼ける臭い。聞くに堪えない、卑弩羅の喉から漏れる濁った絶叫。
程なくして、力を失った卑弩羅の身体が、太い尾といくつもの首が一斉に地に落ちる。
それらを潜る様に躱して戻ってきた祖父の両手にある長光からは、もう音も光も失われていた。最初から何事も無かったかのように、元の短いナイフがあるだけだった。
ワイアの口上は、いつしか随分と熱を帯びたものになっていた。神話の如き光景を目の当たりにした出来事なのだ、無理もないだろう。他方、感心半ばの相槌を打つポルカルッタは頭の片隅で、他の事を考えていた。
長光の正体は恐らく、巨大な電極ではないかと彼は予想する。仕組みは分からないけど、恐ろしく強力な電場とそれによる熱で、電極同士の間にある標的――竜種の心臓を焼き切るのだろう。
伝説の武器のような扱いを受ける長光、でもそれは本当に武器なんだろうか?
今はもう失われた技術が使われていることは間違いなさそうだけど。
でもどっちかって言うと、武器よりは工具というか、何かの機械部品みたいなものなんじゃないのかな?
もっと大きな機械の。例えば、そう、人間よりも遥かに大きなスケールで地形を掘り進む為の掘削機械とか……
「ねえ、あと1回しか使えないっていうのは?」
「ジサマの受け売りだけどな。ホントに1回こっきりかどうかまでは分かんねえけど、そのつもりでやる。無駄遣いはしねえ」
「……本当に、使えるの?」
恐る恐る訊いてみた。アテにしていたものがいざという時に役立たずでは、目も当てられない。
「使える」
そう、ワイアは言い切る。ポルカルッタの問い掛けに、怒ることも不安を覗かせることもなく、天と地がそうであるものだと言うように。
「柄を握ってみりゃ分かる。全身の産毛が逆立つんだよ。こいつの中に、まだ雷はいる」
「怒瑠権って矮蛮よりも、その、卑弩羅よりも大きんだよね」
「でかいよ。そのくせ空だって飛びやがる」
ワイアによれば、怒瑠権の生態系は謎に包まれている。未だかつて個体でしか目撃された例はないが、それらがすべて同一個体であるかどうかもよく分かっていない。確かなのは、それが人間の遥か上位にいる存在だということだ。極めて少ない目撃例の殆どすべては、甚大な人的被害を伴うものなのだ。黒光りする堅い鱗で全身を覆い、小山のように大きく、巨木のような4本の脚を持ち、後ろ足で立ち上がって翼を広げれば、小振りな集落を丸ごと影にできるほどだという。
「長光を使えば……怒瑠権に勝てる?」
「勝てるさ。勝つ」
それ以上は、訊けなかった。怒瑠権に挑むのがいつになるのかは分からない。でもその時が来たならば……いや、ワイアほどの人物が勝つというのだから、きっとそうなるのだ。そう信じるしかない。
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