4. ワイルドワイルド・クッキング

 翌日は、朝から大忙しだった。何せ、矮蛮の解体をしなければならない。

 先の2頭は致し方なく放置したし、今頃は他の屍肉漁りが貪りついているところだろう。

 ただ、昨夜遅くに息の根を止めたばかりの、まだ仄かに体温すら感じる大物を捌かない手はないとワイアは声高に主張した。それはそうかもしれないが、この辺りが矮蛮のうろつく土地だというのであれば、ここに長時間留まるのは大丈夫なのだろうかとポルカルッタは思ってしまう。


「こんだけの図体だ。こいつはここいらのボスに違えねえ」


 ワイアいわく、確かに矮蛮は狡猾だがそれは臆病さの裏返しで、相手が群れのボスを単身斃すほどの脅威だと判断したら、決して近寄ってくることはないのだという。


「そんなもんなんだ……」

「ん?」

「何だか、すごく簡単そうに言うからさ」

「矮蛮を狩るのがか?」

「うん」


 実際昨日矮蛮とやりあった2度、勝負はどちらも一瞬だった。


「そうは言っても、どっちも不意をつけただけだしな。特にこいつは、本当に運が良かっただけだ」


 一頭きりでなければ、もう少しでも用心深いやつだったならば、待ち伏せにうってつけの地形がなければ……どうやら、ポルカルッタが思っていた以上に2人は危ない橋を渡っていたらしい。

 ふへえ、とポルカルッタは息を吐いた。


「そんな事はいいからよ、手伝ってくんねえかな」

「あっ、ごめんごめん」


 結局、言われるがままに矮蛮の解体を手伝うことになってしまった。とは言え、ポルカルッタにとってワイアは2度も命を救ってくれた恩人である。まさか否やはない。

 それに、とポルカルッタは思う。これまで色んな氏族と出会い、取引を行っては語らい、時には敵対してきた彼だが、ワイアのような人物はこれが初めてだった。まるでなめし革のような、艶のある強靭そうな皮膚。岩を削って出来たのかと見間違うほどの、顎から肩にかけての強く張った線。切り取った尻尾を逆さに吊り上げる為にロープを引く二の腕の、惚れ惚れするくらいに立派な隆起。巨躯に似合わず動きは素早く、これが本当に人かと思うほどに頑強な肉体を持ちながら、薄い唇を開いてあっけらかんと笑うその顔には思いがけないほど愛嬌がある。

 今も、昨夜見せた殺気に張り詰める姿はどこへやら、鼻歌を歌わんばかりの上機嫌で矮蛮の巨体を捌いていく。大きな巨体を長刀でえいやと寸断し、吊り下げて血を抜いて内臓を取り除く。肉を川で冷やして洗い、その間に起こした火で革を乾燥させる。幸いポルカルッタが次の取引の為に持っていた大量の塩があったので、全部は無理だが、いくらかの部位は塩漬けにできそうだった。昨日と違って今日は朝から快晴で、きっと乾くのも早いだろう。

 ただ、それでもやはり時間は掛かる。ポルカルッタとてこの手の作業が不慣れな訳ではなく、動物を捕らえて捌くことなど朝飯前だが、それでも今回のこれは、あまりに物量が違った。本来なら、あと3人は欲しいぐらいの作業なのだ。

 皮と肉の間にナイフを差し込み、切り分けた肉をせっせと運び、焚火の火加減を調整し、時折ワイアに檄を飛ばされながらも、ひたすらに割り当てられた仕事をこなしていく。


「なんだ少年、中々慣れたもんじゃねえか」


 期待以上の働きを見せるポルカルッタを、立派立派とワイアが褒める。


「あのさあ……」

「ん?」


 立派とは言うが、いちどきに運ぶ荷の量や刃物を扱う手さばきなどは、ワイアには全く及ばないのだ。大人に児戯を褒められるような格好で、ポルカルッタとしてはあまり素直には喜べない。


「拗ねるなって。凄いじゃねえか、その歳で大したもんだ。あんな立派な機械を乗り回して、一人で旅してさ」

「はあ……」

「なあ、少年の事を話してくれよ」

「僕の話?」

「ああ、東から来たっていうけどさ、遠いんだろ? どんなとこなんだ?」


 訊かれて、そうだねとポルカルッタは考える。考えるが、その間も手は止まらない。もう陽は中天に到達しようとしているのに、全く終わりそうにない分量がまだ残っている。

「ここよりはずっと寒かったかなあ。竜種もいるにはいるけど動物も小さいのばっかりだから、身体もそんなに大きくなくてさ……」


 作業は尽きず、語ることもまた尽きなかった。

 ルディンルラナという名の小さな氏族に生まれたこと。まだ動きそうな機械や修理のきくものを見つけてはそれを対価に売り歩いて生計を立てていたこと。夏は短くて冬は厳しい土地柄。父親はいつも酒を飲んでいて赤ら顔だけど腕のいい機械屋で、小さな頃は手先の器用さがまるで魔法のように見えた。母親は誰よりも優秀な発掘家だった。それに、下の兄弟たちや飼っていた犬……


「親元には帰らねえのか?」

「うん。うちの氏族って、みんなそんな感じだから。今ごろは弟たちも家を出てるんじゃないかな」


 定住の地を持たず地上に散ることで自らの種の存続を画策するのが、ルディンルラナ氏族が獲得した生存戦略と言えた。


「モーターサイクルだったか。兄弟みんな、あんな機械に乗って?」

「ううん、どうだろう。僕が出る時に一番立派な奴をって、両親が餞別にくれたんだ」


 へええ、と今度はワイアが息を漏らした。


「いやそれでもやっぱりすげえよ。機械なんて、全然分かんねえしな」

「作れるって訳じゃないよ。修理して何とか動かせるようにするだけ」

「それでも十分すげえさ」


 ポルカルッタの言葉は謙遜ではなく、事実だ。ルディンルラナは流浪の民だから、設備や施設を持たない。持ちたくても持てない。周囲の自然環境がそれを許さない。人類が版図を失うとは、そういう意味だ。

 ポルカルッタ自身が跨るモーターサイクルも手直しの配線があちこち飛び出しているような有様で、かつての機能だって、もう随分と失われてしまっている。今使用しているバッテリーなどは、完全に後付けのものに過ぎない。

 かつて地上を跋扈した人類という種は最早存在せず、しかしながら機械の操作と修理に長けたルディンルラナは、最も色濃く先祖がえりを遂げた氏族と言うべきかもしれない。


「そいつが壊れちまうと、ヤバいって訳か」

「そうだね。完全に壊れちゃうと、ちょっと辛いな」


 そうは言いながら、動力部丸ごとの損傷でない限り何とかなるだろうという余裕がポルカルッタにはある。何なら履帯でもなんでも捨て、馬鹿でかい帆を掲げて陸上帆船のような格好にしても良い。それすら無理なら、ただ乗り捨てるだけだ。知恵と生命の火が消えない限り自分の旅は終わらない、極めて自然にそう思えるだけの下地を彼は自身の中に築き上げている。そういった気概は、仔細ならずとも傍から透けて見える。勿論、ワイアにもだ。


「……どうしたの?」

「いや、なんでもねえ」


 ワイアが不自然に顔を逸らし、ポルカルッタが小首を傾げる。


「よっし、あとちっとだ。内臓モツの始末がついたんなら、日が暮れる前に燻しちまうぞ」

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